『日本国紀』読書ノート(211) | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

211】政府はメディア問題に鈍感であったわけではない。

 

「公共放送のNHKを除いて、民間のテレビ事業に参入したのは新聞社だった。多くの先進国では新聞社がテレビ局を持つこと(クロスオーナーシップという)は原則禁止されているが、当時、メディア問題に鈍感であった日本政府は禁止しなかった。これにより後に多くの弊害が生じたが、それらは改善されることなく現在に至っている。」(P461)

 

と説明され、その「弊害」を、

 

「新聞がテレビの問題や腐敗を批判・報道することがない。」(P461)

 

と説明されています。

「当時、メディアに鈍感であった」という説明は誤りです。そもそも1953年からの民放テレビ局として放送を開始したのは読売テレビで、ここから日本のクロスオーナーシップが始まりました。

テレビが経営・放送内容に新聞社の意向が反映するようになるこの制度を日本で始めたのが、読売新聞初代社長の正力松太郎でした。

正力は、戦前、内務官僚をつとめ、警視庁警務部長も歴任し、免官後は大政翼賛会総務をつとめた人物で、自民党政権とも太いパイプを持っていました。

正力が、新聞社の子会社としてテレビ局を設立していく、という方式の先駆けとなったのです。

当初は東京を中心に支局を置く計画でしたが、郵政省からストップがかかりました。単独資本が他府県にまたがるメディアを寡占することを憂慮したからです。政府は「メディア問題に鈍感」ではありませんでした。

 

「後に多くの弊害が生じたが、それらは改善されることなく現在に至っている。」という説明を補足しますと…

2010年1月14日、鳩山政権下の原口総務相は「クロスオーナーシップ」禁止の法制化について発言しました。もちろん各新聞社は反発しましたが、クロスオーナーシップ規制の見直しを盛り込んだ放送法の改正法案は閣議決定されています。

しかし参院選の民主党大敗で、法制化が難しくなってしまいます。その後、クロスオーナーシップ規の条項が削除された改正放送法が成立し、規制は見送られることになったのです。

 

以下は蛇足ですが…

 

「『WGIP洗脳世代』が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始める。」(P465)

 

占領期の「WGIP」が言論空間を歪めたかのような言説を説明されますが、それならばいっそ1950年代以降のCIAの活動に触れられたほうが「陰謀論」としてはおもしろかったと思います。

週刊新潮の2006年2月16日号で早稲田大学有馬哲夫教授が、正力松太郎が戦犯不起訴後、CIAが正力を工作しようとしていたことをアメリカ国立公文書記録管理局によって公開された外交文書から指摘して話題になりました。

百田氏は、朝日新聞を「WGIP」に絡めて批判されていますが、「日本では、世論は新聞社とテレビ局によって操作される部分が非常に大きい」(P462)と説明されるのであれば「戦争責任を伝える計画」(WGIP)という1947年に終わっている計画などを例にされるよりも、CIAとメディアの関連を指摘したほうが「陰謀論」としては説得力があったように思います。(『日本テレビとCIA』有馬哲夫・新潮社)