『日本国紀』読書ノート(189) | こはにわ歴史堂のブログ

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189】ローマ教皇庁の靖国神社に関する見解には背景がある。

 

「ブルーノ・ビッテル神父はマッカーサーに次のように進言したと伝えられている。『いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。(中略)もし、靖國神社を焼き払ったとすれば、その行為は、アメリカ軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。』」(P416P417)

 

と説明されていますが、実はこのビッテル神父の話は史料的にはまったく確認できない俗説であることがわかっています。GHQの資料の中に無いのです。ビッデルとマッカーサーのやりとりの間に残された文書、手紙などに見当たりません。マッカーサーの副官ウィラーからビッテルに送付した覚書すら存在しません。皮肉ではなく、それが存在すれば是非見てみたいと思っています。

(『靖国』中村直文・NHK取材班・日本放送出版協会)

 

「またローマ法王庁も『(靖國神社は)市民的儀礼の場所であり、宗教的崇拝の場ではない』という公式見解を示している。」(P417)

 

と説明されていますが、これは1936年5月26日付の「第1聖省訓令」の「一部分」だけの抜き取りです。(   )内にわざわざ「靖國神社は」と記されていますが、これも少し恣意的です。これは「カトリック教徒の神社参拝」全体についての見解で、靖國神社だけに対しての見解ではないからです。

 

「政府によって国家神道の神社として管理されている神社において通常なされる儀式は(政府が数回にわたって行った明らかな宣言から確実にわかる通り)国家当局者によって、単なる愛国のしるし、すなわち皇室や国の恩人たちに対する尊敬のしるしと見なされている。」(西山俊彦・「神社参拝と宗教的行為の規定の恣意性」より)

 

というのが聖訓令なのですが、「政府によって国家神道の神社として管理されている神社において」という部分が「条件」なのです。

しかも、1936年という時期が問題で、日本の司教が、「ある事件」に対してローマ法王庁の見解を求めたことに対する「回答」であることも忘れてはいけません。

 

この「ある事件」が、1932年5月の「上智大学生靖国神社参拝拒否事件」です。

学校教練のために、大学には陸軍将校が派遣されていました。この将校が、学生60人を率いて靖国に参拝しようとしたところ、2人が参拝を見送りました。

これを問題視した陸軍は、学校教練将校の引き上げを示唆します。

普通ならば、はい、どうぞ、となりそうですが、「学校教練」を履修すると兵役が10ヶ月短縮されるのです。大学にとっては、これは生徒募集の面からも重要なもので、陸軍が大学という教育機関に対する思想・言論統制をおこなう「武器」にもなっていました。

日本カトリック教会のシャンボン教区長は、ただちに文部大臣に参拝の意義を確認しました。目的は「宗教行為ではなく儀式にすぎない」という回答を得るためでした。この一言があればカトリックとしても「参拝」を「儀式」と解釈できます。

文部次官からの回答は「参拝は忠君・愛国のためである」というものでした。

カトリック教会側は、これをもって靖国参拝は宗教行為ではないとしました。

ところがさらに『報知新聞』(10月1日)がこの問題を取り上げ、カトリック教会への非難が高まりました。カトリック教会は12月、『カトリック的国家観』を出版し、愛国・忠君のための神社参拝を許容すべきことを明らかにします。

これによって陸軍は、陸軍将校を上智大学に戻し、日本カトリック教会はこの危機を脱しました。

こうして、これらを追認する形で、聖省訓令が出されたのです。

これは19511127日付の「第2聖省訓令」でも確認されていますが、「政府によって国家神道の神社として管理されている神社において通常なされる儀式は…」という条件に、現在の靖國神社は該当していない、という事実も忘れてはいけません。

 

「今日、靖國神社の存在を認めない日本人が一部にいるが、ビッテル神父の言葉を噛みしめてもらいたいものだ。」(P417)

 

現在は、靖國神社は一宗教法人です。存在を認めない、というのは明白に憲法違反で信教の自由に反することで、国家神道から離れた以上、存在は認められてしかるべきです。ただ、ビッテル神父の「存在しない言葉」を噛みしめるよりも、軍国主義に利用された神道や、軍部の「恫喝」に近い指導で信仰心を抑圧された「上智大学事件」に代表されるような事件があった事実も同時に噛みしめたいものです。

 

「中国と韓国が、日本国首相の靖國神社参拝を非難・反対することを外交カードとし始めたが、これは明らかな内政干渉である。」(P417)

 

これには私は同意できます。

ただ信仰の自由はもちろんありますが、思想・信条の自由もあります。「情けないのは、日本国内に中国と韓国に同調するマスメディアや団体が少なくないことだ。」と「情けない」ことであるとは思いません。

神道を軍国主義として利用していたこと、支配地域での神社参拝などを強制された人々の気持ちも十分理解を示すべきでしょう。靖国神社の首相参拝に反対する人々が「中国と韓国に同調する」意見を持っているとも限りません。

 

「『国のために戦って亡くなった兵士を弔う』行為は、どの国にもあるが、日本人は昔から敵国の兵士をも弔っている。」(P417)

 

と説明され、蒙古襲来の後の円覚寺の話、朝鮮出兵の折も、各地で死んだ敵兵を埋葬している話、日露戦争の戦死したロシア兵の礼拝堂建設の話などが続きます。

靖國神社の話の流れで、この話が出てきたのはやや唐突で戸惑いをおぼえました。

「亡くなった者には、もはや敵味方の区別はない。死者はすべて成仏する」という仏教精神と「死者を鞭打たない」という心理については、まったく同感で、私個人は「すばらしい日本人の美徳」と考えています。

ただ、「対照的に、敵の死体さえも陵辱を加える(時には墓から引きずり出してまで)という他国の人々に、靖國神社を非難などされたくはない。」(P418)の説明に違和感をおぼえます。

靖國神社を非難している方々のご意見は、「亡くなった者には、敵味方の区別はない。死者はすべて成仏する」という日本の文化・哲学を批判しているものではありません。

そもそも「この話」と「靖國神社」はよく考えると別の文脈で説明されたほうがよかった気がします(靖國神社を仏教精神で説明するのも違和感がありますし…)。

 

「靖國神社」には「鎮霊社」がありますが建立は1965年で、「昔から敵国の兵士を弔っている」とは言えません。本殿主神にはもちろん敵兵はいません。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12438697737.html

円覚寺や日露戦争の戦没者の礼拝堂とは、性格の違うもので、別々にご意見を主張されたほうがよかったように思います。