鎌倉文化、というと、中学受験では、
・武家造
・東大寺金剛力士像
の二つがよく出てきます。え? 鎌倉仏教は? 禅宗では曹洞宗、臨済宗、で、おぼうさんが道元と栄西で… あ、一遍上人とかいたよね、あれは時宗だったかな… と、法然やら親鸞やら、鎌倉新仏教をたくさんおぼえた人もいるかもしれませんが、これらは高校入試や大学入試が必出で、なんと中学入試ではほぼ出ません。
高校入試でいうと、建築物が加わり、
・東大寺南大門(大仏様)
・円覚寺舎利殿(禅宗様)
え? だいぶつさま?? いえいえ、「だいぶつよう」と読みます。
40才以上の方ですと、「天竺様」と習った方が多いと思いますが、現在では「大仏様」と教科書では記載されているものがほとんどです。
同様に、円覚寺舎利殿も「唐様」と習った方も多いと思いますが、現在では「禅宗様」と教えるのがふつうです。
ついでに、円覚寺は「えんがくじ」で「えんかくじ」ではありません。これも塾の講師でも間違えて子どもに教えている人もいます。
ところで、円覚寺舎利殿って、鎌倉で(というか神奈川県で)唯一の「国宝」建築物だって知っていましたか?
え? 鎌倉といえば、京都に並ぶような古都でしょ? さぞかし「国宝」が多いのでは? と思った方も多いかもしれません。
鎌倉市で国宝というと、絵画は4点ほどあります。でも彫刻は鎌倉の大仏さま1件だけ。そして建造物は円覚寺舎利殿のみなんです。
まぁ、ここまでは、へぇ~ で、すむような話ですが、実は教科書から円覚寺舎利殿が消えつつあるんです。
東大寺南大門はあいかわらず大きく取り上げられているのですが…
実は、かつては「鎌倉時代」の代表建築物として教科書で必ずといっていいくらい掲載されていた円覚寺舎利殿なのですが…
これ、実は、室町時代の建物なんです。
円覚寺自体は鎌倉時代のもの、ということで問題は無いのです。
創建は1281年。開いた人は、北条時宗と僧の無学祖元。
このころ、蒙古襲来の二回目、つまり弘安の役が起こっているのですが、円覚寺では蒙古襲来で犠牲になった武士たちも、なんとモンゴルの兵たちも、分け隔てなく葬ったとされています。
ここなんですよね。日本の“よい文化”だと思いますよ。
日本は、死ねばみんな仏さま。
生前の極悪人でも、死ねば仏さまではないか、と、考える… ちゃんと手を合わせて葬る…
けっしてその極悪人を「崇拝している」のでもなく「賛美している」のでもないのですよ。
それとこれとは別、の死生観、が、あるんですよね。
おっと話がそれてしまいました。
円覚寺舎利殿が鎌倉時代のものではない??
いや、鎌倉時代の代表的な禅宗様でしょ、というツッコミがたくさん入りそうなんですが…
そもそも舎利殿がある塔頭(歴代住職の墓をまもるための寺院内寺院)、正続院は、後醍醐天皇の勅命で夢窓疎石が建長寺の正続庵を移して建てたものなんです。
鎌倉末期から南北朝時代、と、いってもよいですよね。
そして舎利殿そのものは、もともと円覚寺にあったものではなく、尼寺だった太平寺(現在では廃寺)の仏殿の移築で、現在の研究では15世紀の建築物だと考えられているんです。
代表的な「鎌倉時代の禅宗様」でつくられた建物だが、建てられたのは室町時代…
実はこういう建築物、というのは、時代的あいまいさがあるために、○○時代の文化の建物、というように教科書で紹介するのをやめよう、となっています。
よって入試問題でも、出題頻度が著しく低下しました。
たとえば、有名な金閣。中学入試ではあいかわらず人気の出題率ですが、大学入試ではパタっと出題率が低下しました。
だってあれ、一回燃えて、国宝指定を解除され、昭和になって「再建」された建物でしょ。
室町時代の北山文化の“概念”で再建されているといえますが、でも、あきらかに建築物としては昭和のモノですよね。(金閣は意外かもですが国宝ではないんです。)
ちょっとレベルをあげて言うと、西本願寺の飛雲閣、も、そういう扱いになってきました。
かつては、聚楽第の遺構だと考えられていた時期もあり、桃山文化を代表する建築物、として今でも紹介されてはいるんですが、どうやら建てられた時期は江戸初期の建築物で(増築された部分はかなり後年で1795年頃であることがわかっている)、寛永期に建てられたとものと建築史家の多くは推定するようになりました。
よってこれまた、パタっと入試では出なくなってしまいました。
京都を代表する「三閣」のうち、「金閣」・「飛雲閣」の「教科書的地位」がずいぶんと揺らいでしまいました。
では、残りの「銀閣」は安泰なのか?
たしかに、銀閣は、中学入試、高校入試、大学入試を通じて出題率は低下していません。
ただ… 「銀閣」という名称は、「金閣」と対比されて江戸時代に呼ばれるようになった名称で、建てた足利義政本人も、室町時代の人々も「銀閣」とは読んでいません。
2007年の調査で、最初から銀箔など貼られていないことも確認済(黒い漆が塗布されていたことがわかっている)。
ですから、「室町時代の、東山文化を代表する『銀閣』」と呼ぶのはなんだかビミョ~な感じです。
銀閣は「慈照寺観音殿」と教科書では記されるものが増えて銀閣の呼称はあくまでも通称として紹介する教科書も出てきました。
あ、ちなみに、金閣は「鹿苑寺舎利殿」。
金閣も「舎利殿」なんですよね。