教科書から消えたもの 遣唐使の“廃止” | こはにわ歴史堂のブログ

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生徒たちは、よく、年号をおぼえるためのゴロ合わせ、というのをよくやります。

日本は“だじやれ”文化の国。こういうのが好きなんですよね。
かんたんに言えば、ほとんどが「おやじギャグ」みたいなもんです。

710年は、「ナント見事な平城京」です。平城京遷都の年。ナントと南都も掛かっていて、これはなかなかよくできています。

794年は、「ナクヨうぐいす平安京」です。平安京遷都の年ですが、これは美しいですけれど、「遷都」の意味はこのゴロ合わせには含まれていません。

1167年は、「平清盛イイムナ毛」だそうです。平清盛が太政大臣になった年なのですが、これにいたっては、まったく意味不明。インパクトはあって絶対忘れそうにはあのませんが、そもそも「いい胸毛」をしていたかどうかもわかりませんし、見たくもありません。

さてさて、「遣唐使の廃止」、というのもみなさんは学生時代に習って出来事だと思います。

894年ですから、「ハクシにもどす遣唐使」というゴロ合わせが有名です。
「白紙にもどす」ということから遣唐使が無くなっちゃった、というイメージと重なってなかなかよいものです。

と、いう話を、生徒たちにしたら、

「わたしは、ハクヨげろげろ遣唐使と習いました。」

という子がいました。

きたないやんっ と、なりましたが、まぁ、確かに遣唐使の航海は困難と危険をともなうものですし、インパクトも大。なかなかの“傑作”かもしれません。

さて、

 遣唐使の“廃止”

なのですが、実は、現在の教科書からは無くなりつつあります。

え? どうして? となりますが、実は「遣唐使は廃止されていない」からです。
はぁ?? ますますわからぬ…

と、なりそうです。

7世紀後半までに遣唐使は7回ありました。
第1回が、犬上御田鍬によるもので630年。第7回が669年です。

とくに第2回以降は、

653年
654年
659年
665年
667年

と、数年間隔で“頻繁”に往来しているといえます。

ところが第8回以降は、十数年に1回くらい…
任命されたが行かなかったのが3例あの、遭難してしまったものが2回ありました。

759年に派遣された後、779年まで派遣されていないので、この間は20年間空白です。

そしてその後、838年まではなんと60年間も空白なんですよね。

で、838年の次が894年で、このとき任命されたのが菅原道真だったのです。
56年間、遣唐使はありませんでした。

120年間に1回行っただけ、ということになります。菅原道真の前の遣唐使について知っている政治家はまずいないでしょう。

「中国は、今、政治的に混乱しています。今回は行くのをやめましょう。」と菅原道真は提案しました。

むろん、背景には藤原氏との勢力争いがあり、

菅原道真を中国に追っ払おうとする藤原氏
そうはさせるか、という菅原氏

の、“つばぜりあい”があったともいえます。

宇多天皇は決定しました。

 じゃ、今回は、止める。

つまり、過去にもあったように、「任命されたが行かなかった」というもので、遣唐使の制度そのものを廃止したのではないのです。

今回は行かない、と、「停止」しただけでしたが、次に行こうとする前に、907年に唐が滅亡してしまった、というだけのことなんです。
(極論を言えば、現在にいたるまで、遣唐使は廃止されていないということになっちゃいます。)

よって、「遣唐使の廃止」という表現は教科書からは無くなり、

 遣唐使が“停止”されました。

という表現になっているものがほとんどです。

(このあたりの詳細は、拙著『日本人の8割が知らなかったほんとうの日本史』をお読みください。)