かつては、中学校の教科書はもちろん、高校入試などても「江戸の三大改革」という表現が用いられ、入試でも必出でした。
享保の改革 徳川吉宗
寛政の改革 松平定信
天保の改革 水野忠邦
小学校の教科書では、「寛政の改革」「天保の改革」は、「三大改革」という一つにくくるどころか、その名前すら登場しません。
松平定信も水野忠邦も、小学校では習わない人物で、結果として、中学入試でも出題されません。
え? 中学受験の塾では習ったよ?!
という人もいるかもしれませんが、習って損、ということは絶対にありませんが、残念ながら出題されない歴史用語を習っていたことになります。(ただ、現在では「ゆとり」教育からの脱却が図られ、ようやく新しい改定で、小学校の教科書で、松平定信や水野忠邦の名が出てくるものもあらわれました。)
ちょっと話をすっ飛ばしますが、世界史でも「四大文明」という表現をします。
エジプト文明・メソポタミア文明・インド文明・中国文明
(昔はインド文明はインダス文明、中国文明は黄河文明と習ったと思いますが…)
ただ、こうして「四大」と説明してしまうと、子どもたちは、「ああ、この時代は、この四つの分明しかなかったんだ」「これらが文明の最初だ」と“誤解”してしまいます。
この時代、100種類以上の「文明」はありましたが、その中からとくに現在の文化にも影響をあたえているものを四つチョイスしたのであって、「他の地域が未開で文明がなかった」と考えてもらうと危険です。
同じように、江戸時代の改革政治をことさら「三大」としてしまうことによって、他の改革を「その他」的に理解させてしまい、「江戸時代の政治史」の印象を誤らせる、ということから「三大改革」とは説明しなくなりました。
ですから、享保の改革、寛政の改革、天保の改革を習わない、というわけではありませんが、ただし、それは中学校以後の話で、高校の教科書では
家綱の改革・綱吉の改革・正徳の治・「享保の改革」・田沼意次の政治・「寛政の改革」・「天保の改革」・文久の改革・安政の改革
などなど、「三大改革」に限らない、他の改革も大きく扱います。
さらにもう一つ、そもそも三大改革は「改革」だったのか、というところも見逃してはいけないポイントです。
「改革」というと、次の時代の新しい革新、前時代の否定、というイメージがありますが、
享保の改革・寛政の改革・天保の改革
の三つに関しては、崩れようとする幕府の体制の「ひきしめ」という要素が次第に強くあらわれるようになり、進行している「貨幣経済」「前期資本主義」の動向に逆行しようとする政策が多くられ、その意味では、「三大改革」というより
「三大反動」
というべき部分が多くあります。
とくに寛政の改革・天保の改革では、思想や言論の弾圧などもみられます。
そして、現在では、「天保の改革」は、幕府の水野忠邦の改革一つをさすものではなく、諸藩とくに同時期の“雄藩”の改革もふくめた「総称」という認識に変わりつつあります。
かつては高校の教科書だけで「長州や薩摩の藩政の改革」が説明されていましたが、現在では幕府の「天保の改革」と並んで中学校の教科書でも「藩政の改革」が大きくとりあげられるようになりました。
そして最後に、かつての「三大改革」の、教科書における単元配列も大きく変わってしまいました。
かつては、三大改革として「享保」「寛政」「天保」の改革は「幕府政治の改革」という単元内で同時に説明していました。ところが今は、
「幕府政治の改革」 享保の改革・寛政の改革
「ゆらぐ幕府の支配」天保の改革・諸藩の改革
というように、「分割」して説明されています。それどころか、今までは「近代」を明治維新からスタートさせていますが、ペリーの来航からが「近代」になり、「近世」と「近代」の間にわざわざ「近世から近代へ」という章を設けて説明しています。
享保の改革・寛政の改革は「近世」
天保の改革は「近世から近代」
という別々の章で説明されています。
中学生の教科書ですと、もはや享保の改革も寛政の改革も独立した項目でもなくなりました。
「綱吉と吉宗の改革」
「田沼と定信の改革」
と、1項目2事件での記述です。
ただ、その「記述」には、かつての「幕政改革善悪交代論」が色濃く残っています。
綱吉の政治の説明のしめくくりでは「金銀の質を落とした」「しかし物価が上がって人々の生活を苦しめた」となっていて、高校ではその後、「正徳の治」、中学では「享保の改革」の話を続けていきます。
「享保の改革」の説明も、最初は善い話から入って、「米価が安定しない」「ききんが起こって米価が急にあがって初めて江戸で打ちこわしがおこった」で結ばれます。
「田沼の政治」でも、最初はやはり善い話から入ります。「鉱山開発」「貿易の振興」などなど… でも、結びは、「わいろ政治」「ききんや百姓一揆」場合によっては、本人の政治とは無関係な火山の噴火、などもおりこんで説明されます。
綱吉の改革(悪)→(善)正徳の治(悪)→(善)享保の改革(悪)→(善)田沼政治(悪)…
プラス・マイナス・プラス・マイナス… という「波型」の説明なんですよね…
「もちあげといてぇ、落とす」みたいな感じです。
「三大改革」そして「善悪二元論」
という呪縛から、そろそろ解放されてほしいと思います。