土日祝は義母の晩ごはんを作っている
噛む力が弱いのでやわらか食となる
父親の介護を10年以上やって思ったことは、家族みんなが介護に協力的であったこと。
家族の協力があったからこそ、自宅介護もできた。
帰省した娘に父の下の世話をお願いした時に娘:「養豚場のがもっとすごいからぜんぜん平気だよ」
頼もしい
あの時の話しになると
娘:「ママはおじいさんの介護で病んでたもんね、どこにもいけなくて可哀想だったね」
介護を経験した人にしかわからないことだ。
もしも、家族に介護されるような立場になったら介護をしてくれる家族には感謝の気持ちを言葉にだして伝えよう。
父はありがとう、ありがとうと何度もワタシに言ってくれた
ごはんも文句言わず必ず完食してくれた
後半は認知症になりワタシのことが誰か分からなくなったけど…
93歳で生涯を終えた父
仲間が撃たれ止血しようと包帯を巻いてあげなきゃと仲間の元へ行った時に腰を撃たれそのまま意識不明。
次に意識を戻した時に隣国の捕虜として裁判で銃殺にされるのだろうと覚悟の日々。
が、敵国でありながら治療も施してくれ、食事もあり、手厚い看護と客人として扱われたそうだ。
帰国しない父は靖国神社で戦死ということになっていた…
子供の時から
戦争の話を沢山聞いた。
いま思えば、もっと話を聞いておけば良かったと思う。
今となっては時々天国の父と心の会話をしている
父の大好きな甘納豆と渋いお茶を添えて