元しばき隊の野間易通、もしくは精神科医の香山リカと仲良しのアイヌ研究家に、
「マーク・ウィンチェスター」なるイギリス人が居ります。
【のりこえねっとにも参加している】
と言えば、「のりこえねっと」の悪評を知ってる人間はまず警戒するであろう人物でしょう。
この御仁、日本人によるアイヌ差別を糾弾する事をライフワークとしているようですが、
重度の「日本人差別主義者」です。
だから野間易通や辛淑玉なんかと仲良く出来るのでしょうね。
【日本人は差別を止めろ!】
と声高に主張する者に限って、最大の差別主義者である皮肉です。
例えば、『アイヌ民族否定論』という学説が有ります。
九郎判官こと源義経を祭る義経神社は、現在の札幌や室蘭より東の北海道平取町に在ります。
(平取町の位置)
源義経の時代はおろか、五百年以上経った江戸時代でもまだ、日本の中央政府の直接統治下に入ってなさそうな遠隔地です。
このような遠隔地ですら、源義経を讃え、神様として祭る風習があった…
ここが神社となったキッカケは1798年(寛政10年)に、北方調査をしていた近藤重蔵が神像を作ってあげ、
現地のアイヌ人にそれをプレゼントした事に始まっております。
重要なのは近藤重蔵は何も無い所に源義経信仰をいきなり叩き込んだのではなく、
元々アイヌ人たちが持っていた源義経信仰を目に見える形として残したという事です。
「判官贔屓」という、当時の日本人と全く共通の価値観を持っていたアイヌ人たちが、
「民族として独立していたのに、日本人に独立を奪われた」
なんて神話が成り立つのかどうか?
このような疑問が湧き出るのも当たり前の話であり、
アイヌ出身者自身の中にも、
『独立アイヌ民族など居ない』
『21世紀現在に日本から独立しなければならないアイヌ民族など存在しない』
と考える人は居ります。
アイヌ民族が存在するか否か、どちらが正しいかは置いておきますが、
学術的に「アイヌ民族否定論」は成立しているものです。
既に1930年代初頭には、知里真志保と言うアイヌ出身の言語学者が、
『伝統的なコタン生活を営んでいるアイヌなど存在しない』
『既にアイヌの民話も言葉も話せる人間は数少ない』
『日本人と同様に算盤を弾いたり、英語の勉強をやったり、レコードを聞いたりしているアイヌばかりである』
と書いているのであって、それから更に80年近くも経過しているのであれば、
完璧に日本人と同化していると考えて間違いないでしょう。
今の日本に、文明生活から隔絶された、
日本人と一切混血していないイメージ通りの【アイヌ民族】なんて存在しません。
むしろ、「クォーターのクォーターのクォーターのクォーター…」
くらいに、アイヌの血が薄れているくらいでしょう。
わざわざこんな人々を取り上げて、『お前は日本人と違う!』
と排斥する必要が無い。
それらの意見を【暴言を吐いて】黙らせようとするのがマーク・ウィンチェスターという人です。
日本第一党神奈川県本部
玉川 晃嗣