また今日も岩崎さんがサンクチュアリアンのブログに、私の批判記事を投稿しています。無視しても良いのですが、今日の記事で公開された「原理原本」の真のお父様による記述は、霊界システムの様相と仕組みを理解しない限り、理解不能な解説になっています。
まさしく、比喩と象徴で書かれた詩的表現なので、真のお父様自身が説明しなければ理解できるものでは無いのです。
そこに、私たち人間としての解釈を入れてしまうと、まったく違う意味を持つ内容になってしまうという事です。
ですから、ここに取り上げて少しだけ説明します。具体的な解説は、神様が三位一体の様相を基点にして構築された、霊界システムの仕組みが分からないと、理解できる解説文にはなりません。そこでここでは、日本語訳を担当している方が、自分の視点で、真のお父様の直筆の言葉を改変しようとしている個所にしぼって説明します。
それではまず、岩崎さんの記事を引用します。
**【本然世界に展開する真の父母様本体論論考 補足33】より引用**
〈お父様の説かれた原理原本及び原理講論が理解できない菅井氏〉
聖神(ソンシン)と聖霊(ソンリョン)は違います。イエス様の相対のことを「聖神(ソンシン)」と言います。
聖霊(ソンリョン)は男性格になります。
『原理原本』にあるイエス様と聖神に関するみ言その二です。
그런고로 예수는 聖神를 보내심은 해와이 神를 보내신 바가 卽 예수 昇天後 온 聖神降臨이였다. 그런고로 해와는 卽 男便이 예수라는 겄를 잘 알무로 사 람 마음예 들러가서 感動주웨서 예수를 男便과갗치 思慕하면은 霊的으로 天에 는 예수 땅에는 聖神으로 思慕케 하여서 한나이 될수 있는 其 때만의 霊的生 命의 注入始作를 보는 바로 되었다.
根本 罪짓케 한 겄은 해와니 罪싯는 直接力活은 해와의 神 聖神의 하여야할 해와的 責任分担使命이 있슴으로 聖神은 사람, 사람 마음를 通하여서 役事하 여서 전부가 한몸의 될 대에 墮落하기 전 아담 정도까지는 全世界人類를 끌러 올리고저 함이 예수와 聖神 基本役事의 原因이 있는 바이다.
それゆえイエスは、聖神を送られ、エバの神性を送られたのであるが、それがすなわちイエスの昇天後に訪れた聖神降臨であった。そのエバは、夫がすなわち イエスだということをよく知っているため、人間の心に入っていって感動を与え、(その人間が)イエスを夫のように思慕すれば、天にはイエス、地には聖神 として霊的に一つになることができ、そのときに霊的生命の注入が始まるように なったのである。
根本の罪を犯すようにしたのはエバであるため、罪をぬぐう直接的な役割は、 エバの神性である聖神が果たすべきエバ的責任分担使命である。そのため聖神は、人間の心を通して役事し、すべてが一つの体になるときに、堕落する前のアダムの段階までは全世界の人類を引き上げる。そこにイエスと聖神が基本役事を行う原因がある。(『原理原本』第二巻4「イエスの3年公生涯路程はみ旨成就の基を取り戻すため」より)
※原文「해와이 神」の訳について
『原理講論』p363に「後のエバの神性である聖霊(후해와의 신성(神性)이신 성 신(聖神) )」とあるため「エバの神性」と訳した。
※翻訳責任:伝道復興委員会 副委員長 中村仁史
https://unification-principle.com/sonsin2/
岩崎栄樹 拝
**引用終了**
まず最初に考えなければならないことは、真のお父様が「聖神を送られ、エバの神を送られた」と表現したのに、原理講論の解説を根拠として、「エバの神」を「エバの神性」としてしまったことです。
翻訳された「聖神を送られ、エバの神性を送られたのである」という表現が意味するところと、真のお父様原文の「聖神を送られ、エバの神を送られたのである」の表現の意味には、大きな隔たりと違いがあります。
「エバの神性」としてしまえば、「エバの心で成長する神性」ということになり、聖神はエバの神性に限定されたものとなります。「エバの神」とすれば、「エバが理想として成長し実体となるべき聖神」ということで、エバが仰ぎ見るべき存在となり、エバとエバの蕩減を背負う者の責任分担をともなうものとなります。(聖神と聖霊は表現は違いますが、同じ存在であり、ただ聖神には聖霊の実体という意味も含まれるという事です。)
ただ、真のお父様は「エバの神」という表現に、この説明以上の深い意味合いを込めておられるのは間違いのないことです。
なぜなら、聖神をイエス様が送ったことになっていますから、「聖父・聖子・聖霊」の三位一体の様相が理解できない限り、納得のいくものにならないのです。イエス様と神様が同一なので、聖神を送れたという事になります。
ですから日本語訳を担当している方は、原理原本と言う真のお父様が直筆された歴史上唯一の著作に、自分の判断を加えることなく、「エバの神性」と訳するのではなく、「エバの神」と真のお父様が書かれたままに書き記すべきです。意味が大きく違ってしまいます。
意味が理解できなくても、真のお父様自身が説明しないと理解できないと、お父様が語っておられるのですから、そのまま文字にするべきです。
真のお父様の直筆ではなく、日本語原理原本は翻訳者独自の著作になってしまいます。それとも、自分の解釈を広めたいがゆえに、我知らずに原理原本を利用してしまっているのかという事になります。
最初の文節より以上に、微妙でありながら、実は大きく意味を捻じ曲げてしまう表現になっているのが後半の部分です。
「根本の罪を犯すようにしたのはエバであるため、罪をぬぐう直接的な役割は、 エバの神性である聖神が果たすべきエバ的責任分担使命である。そのため聖神は、人間の心を通して役事し、すべてが一つの体になるときに、堕落する前のアダムの段階までは全世界の人類を引き上げる。」
ここも真のお父様の原文は「エバの神である聖神が果たすべきエバ的責任分担使命である。」と訳されるべきものになっています。その「責任分担使命」にも「エバ的」という形容動詞が付くことによって、エバ自身のものでは無いことを暗示しています。あくまでも、聖神(聖霊)が協助してくる使命を、責任分担を自覚して果たすのは、エバの蕩減を背負った女性です。
真のお父様が、私たちには理解できない神様の本質世界を意識しながら、地上の人間に合わせ、また摂理的展開の条件の中で、計り知れない意味と意義を込めて書かれた原理原本ですから、たとえ翻訳者の理解の範疇を超えていたとしても、そのまま文字にするべきです。
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