私は 幼いころから 生真面目な性質で
学校の先生からも
〇〇さんは 本当に生真面目
と言われてきた。
それが 実は悪口なのだと気づきもしなかったけど。
自分では どこが 生真面目なのかまったく分からなかった。
一生懸命なのがどうしていけないんだろう?
思春期を経て
自分の生真面目さが なるほど こういうところなのか
と認識できるようになり
さらに 心理学を専門に勉強しはじめて
ますます 自分への理解を深めることになった。
真面目さは 長所のように映るけど
まったく違う。
自分を追い詰めて 自分の身体を蝕むもの。
整体をやるようになって
ますます 真面目な人間が自分の身体を追い詰めていることを
確認し
真面目さは 早々に捨てた方がいいと確信した。
真面目さは捨てていい。
いつも それを自分自身に言い聞かせてきた。
なのに性質が真面目だから
意識しないと すぐに真面目が顔を出してしまう。
かなり年齢を重ねてきたので
相当 真面目な部分は消失したかもしれないけど
このお正月に 大変象徴的な出来事があり
それを解読すると
私の真面目さの片鱗を 捨てていいよという
お告げだと解釈。
もしその解釈が間違っていれば
同じようなことが また起きるから
さらにそれを解釈し直せばいい
というのは 心理学からの学びなのだが
同じことは起きていないので
私の今回の解釈は正しいのだと
勝手に合点した。
てことで
今年は まだ残る 私の真面目さを捨てる。
もっと 自由にのびのびと生きる。
充分のびのびしていると思っていたけど
まだ 自分を縛るものがあったのだわ。
確かにありました。
気分が落ち込むのに続けてきたことが。
これ以上 やりたい放題でいいのか?
なんて 微塵も思わずに
もっともっと 大胆にやりたい放題やれと
そういうお告げだと
つまり
今後は もっともっと突き抜けなさいと
背中を押されたようなので
はっちゃけます
もう何も 我慢しない。
心が望まないことは 決してしない。