過去記事「瀬織津姫と饒速日~ニギハヤヒ、現る!~」の続きです。

https://s.ameblo.jp/happylife3749/entry-12364300392.html


ニギハヤヒは、オオモノヌシだったんですね~!


オオモノヌシ(大物主)とオオクニヌシ(大国主)も同一神とされやすいですが、

こちらは別の神様のようです。


「スサノオと瀬織津姫を巡る旅~オオクニヌシとニギハヤヒ」参照

https://s.ameblo.jp/yuji-arakawa/entry-12350859394.html


そして今回は、ニギハヤヒを封印した持統天皇のお話です。

荒川祐二さんが、ニギハヤヒと持統天皇を引き合わせます。

https://s.ameblo.jp/yuji-arakawa/entry-12357101494.html


再び僕らは持統天皇の魂が鎮まる、

奈良県は明日香村にある、『持統天皇凌』に降り立った。


{7E59286A-1761-4500-8CBD-D7213F2F1045}

ニギハヤヒ「持統よ


持統「ヒィィィィィィィイ!!ヒ、ヒィィィィィィ!!」


ニギハヤヒ「もう己を許してやってはどうだ?」


あ「え?」


聞こえているのかいないのか、

持統天皇は両手で頭を抑えてガタガタ震えている


ニギハヤヒ「私たちはお主を決して、

祟るようなことはしておらん

神はそのような存在ではない」


あ「ど、どういうことですか?」


ス「

まぁ本来『祟り』というものはな、

神が起こすものではないということや。

大概の場合『祟り』というものは、

自らが犯した罪や行動に対しての、

罪悪感や自責の念によって引き起こされる」


あ「そ、そうなんですか


ス「あぁ。だから持統が、

ニギハヤヒと瀬織津姫を封印したことによって、

晩年に起きた祟りの数々は、

実は封印に怒ったニギハヤヒが起こしたものではなく、

実際は神々を封印してしまったということに対して、

持統が持っていた抱えきれないほどの

罪の意識や自責の念が引き起こした現実であるということ


スサノオさんと僕の会話を尻目に、

ニギハヤヒさんが持統天皇の魂に言葉を発する。


ニギハヤヒ「この者(荒川祐二)がいる今だからこそ、伝えよう

人間が施した封印などという小さなもので、

神の存在を抑え切れると思うな。

そんなものは神という無限の概念に於いては、

毛筋ほどのことでもない。

お主(持統)が国家の長としてやろうとしたこと、

見据えた未来、その1つ1つを我々神々も、

きちんと理解をしている


持統「………


ニギハヤヒ「見よ、こうして豊かな国の礎を築いたのは誰なのか?

『誰もが飢えることなく平和で豊かな時代を作る』という天武の遺志を、

時を越えて形にしたのは誰なのか?

すべてお主ではないか」


持統「し、しかし私はその未来のために、

障害となると思えた貴方様の存在を闇に葬ろうとし、

同じく絶大な力を持つ、瀬織津姫という存在を消し去ろうとしました


ニギハヤヒ「神を侮るな。

ましてや我々、万物創成の神々を侮るな。

しかし、敢えて人の世界で言うならば、

お主が施した封印によって、今も私たちはこうして多くの人間に、

謎の解明という建前のもとに忘れ去られることもなく、

たくさんの愛情に包まれることが出来ているのではないか


持統「うっ、うっ


ニギハヤヒさんの、その言葉に持統天皇から、

溢れる涙が止まらない


ニギハヤヒ「この世はすべて、偶然という名の必然が作り出す世界。

例えお主がかつて自責の念を抱えながらしたことだとしても、

今この現代ではこうして現実に我々に対してたくさんの愛が降り注ぎ続けているではないか。

そのお主の功績に、感謝を伝えよう」


持統「うっ、うぅ、うぅぅぅぅ

私は、わ、私は!」


ニギハヤヒ「分かっている

お主も辛かったのであろう

もうよいではないか

お主は立派に、お主の使命のもとに生きた

それでよいではないか


ニギハヤヒさんがそう言うと、

辺り一面が突然真っ白な光に包まれ


先程までとは比べものにならないぐらい、

優しく、柔らかい表情をした持統天皇の魂が、そこに現れた。


{276706DA-6FEC-4A13-91BB-626CC4BEE308}


持統「ニギハヤヒ様、そして瀬織津姫様

これまでの多くの神々様

私の無礼を心よりお詫び申し上げます


ニギハヤヒ「あぁ、もう終わったことだ

これからはお互いに、良き未来のために、

この世界を見守っていこうではないか」



持統天皇が生きた時代から、

1300年以上という時を越えて今、

神と人の歴史的な和解を、

僕は目にすることとなった。


いや、和解ではなく、

神はそんな概念すらも超越している

『愛』の存在だということを、

この目に、この心に、強く焼き付けられたと思う。


僕は一生、この日を忘れない。