2世として思うこと | ゴンの徒然ノート

ゴンの徒然ノート

一人の人間として、女として、母として、介護士として
時に迷い、泣き、笑い、
そして「よろこんで あきらめて 運命とよばれるものにノックダウンされよう!」

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先日24年ぶりに、足を踏み入れたKH。

私がいた会衆のKHは、別なところにあり、今回行ったのは、姉夫婦が現在いる会衆だから、知っている顔も三分の一ぐらいだった。


それでも、もうかれこれ四半世紀も経っているが、変わりなくJWを続けてきた1世のお母さん姉妹たちが、何名かいた。
顔を見た瞬間、一緒に奉仕をしていた
あの頃に、タイムスリップしたようだった。
もう彼女達も70代。

鬱病を患い、数週間我が家で過ごした
当時40代の独身の姉妹が、今でも独身のままで、JWを続けていた。

集会中、1番後ろの席から、彼女達たちの
後ろ姿を見ているうちに、母がそこにいるような既視感を感じ、少し目頭が熱くなった。

始まる前の少しの時間、姉と一緒にいる
私に、彼女達のうちの数名が声をかけてくださった。
あの当時と同じ呼び名で「ゴンちゃん?そうだよね?今どこに居るの?」と質問攻めだった(笑)


素朴で、まじめで、優しかったその姉妹たちは、年齢を重ねて、ひとまわり小さくなったように見えたけど、変わらない雰囲気のままだった。

思い返すと、私はこの会衆の人たちが好きだった。
生まれ育った会衆にも、大好きな兄弟姉妹たちがいて、たくさん可愛がってもらった記憶がある。

とても子供が多い時代で、会衆の中も
子供達で溢れていて、賑やかで、活気があり、それと同時に鞭の音も、いつも響いていた時代。

鞭をされた子を、ちょっと年上の子たちが
集会が終わると、抱っこしたり、KHのまわりの雑草で花冠を作ってあげたり、草笛を作って慰めてあげたりした時代。


みんなそれぞれに弱さはあるけど、純朴で、一生懸命聖書の原則に沿って生きようとする、愛すべき人たちだった。


そんな思い出が、子供のころの写真には
たくさん写っていた。

会衆の野球大会で、大好きな兄弟に肩車をしてもらっている3歳の頃の写真。

北海道で行われた地域大会に行くフェリーの上で、会衆の子供達と遊んでいる4歳の頃の写真。

大会に行く途中のパーキングエリアで
家族で撮った5歳の頃の写真。

思い出の写真は、ほぼJWと関連するものばかりだった。

私が生まれた頃には、すでに不本意ながらも、協力的だった父は、いつも大会には一緒に来てくれて、そのついでによく家族旅行をした。

「子供達がもしJWを辞めたくなった時に
俺が受け皿になってあげないとかわいそうだから、俺はJWにはならない!」と、巡回監督に言った父は、最後まで未信者のままだった。

神権家族に憧れたし、父にも「楽園」に行って欲しいと真剣に思っていた時には、
その言葉を残念に思ったが、父が未信者でいてくれたから、私は二十歳で辞める決意が出来たのかもしれない。

最後まで、脇目もふらずにJWを続ける母を見捨てずにいてくれたこと、自分が亡き後も、母がJWを続けられるように、経済的にも考えてくれたこと、父には本当に
感謝している。
母の40年以上に及ぶJW人生は、未信者の父が支えてくれていたのは間違いない。

もし、母がJWを辞めたら?と
考えたことがある。
一つの会衆の礎を築いたと言われる程
熱心な母が、JWを辞めるなどとは
考えられなかったけど、「もし」と考えてみた。
でも、その当時、私自身は既に自然消滅し、もう戻ることがないと思っていたが、
母にはJWを辞めて欲しくないと思った。

それには理由はいろいろある。
これは2世でも、人それぞれだと思うが。

母の人生はもうJWというコミュニティしかなかった。
それを辞めたとしたら、母は抜け殻になるだろうと思った。
仕事をしたこともなく、趣味もない。
「趣味は奉仕」という人だもの。
自分が信じてきたものが幻想だったと知ったとしたら、心が壊れるだろうと思った。

それは、そんな母を支え続け、そのために
経済的にも援助してくれたり、KHの為に
土地や資産を提供してくれた父の為にも、
辞めて欲しくなかった。
それがすべて水の泡になるのは
見ていられないと思った。

そして、私たち子供の為にも、辞めて欲しくなかった。
生きがいを持ち、活き活きしている母でいて欲しい。
あの厳しい子供時代が、幻想の為だったとは、思いたくないという思いもあった。
そのために、鞭にも、イジメにも耐えたなんて思ったら、母を許せなくなりそうだった。

そして、母が「真理」に導いたと
思っているたくさんの姉妹たちの為、
その子供たちの為にも、母が辞めることは
許されないと思った。

「ドアの向こうのカルト」を読んだ時
2世でも、こういう2世もいるのか?と
思った記憶がある。

親の洗脳を解いていく。
それには、かなりの知識と弁が立たないと無理だろうな~と思った。

でも、私は母に洗脳されたままでいて欲しかった。
そして、母はそのとおり、洗脳されたままで、この世を去った....?と思う。

あの時、母らしく最期を迎えられたことに少しホッとした。
あれで良かったんだと思う。

KHで再会した1世のお母さん姉妹たちの後ろ姿を見ながら、母と同じように
最後まで、信じ続けることも、
もしかしたら彼女達にとっては幸せなのかもしれないと考えたりもした。