「信仰」について | ゴンの徒然ノート

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一人の人間として、女として、母として、介護士として
時に迷い、泣き、笑い、
そして「よろこんで あきらめて 運命とよばれるものにノックダウンされよう!」

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私がバプテスマを受けたのは、小学5年
10歳の時だった。
もう少しで10歳になる長男を見ていると
10歳なんて、まだまだ自分のことさえ見えていない子供なんだな~と思う。

「献身」という意味を本当にわかってバプテスマを受けたのか?
今思い返しても、よく覚えていない。
バプテスマの討議もしたし、大会で二つの質問にも答えたはずなのに(笑)


ただ強烈にあったのは、早く母から一人の人間として承認されたいという思いだった。
それには母と同じ「姉妹」と呼ばれる立場にならなければいけないと思った。

ちょうど、この年の始めに兄が17歳で
排斥され、母のJWでのメンツを守ってあげたいとも思った。
それには、私がバプテスマを受けるしかないと思ったような気がする。

色々な選択肢を思い浮かべることができず、JWの中で自分は生きていくのだと思っていたから、バプテスマをいつか受けるのは当然という気持ちもあった。

つまり、「信仰」があっての「献身」ではなかったのだろう。
まぁ当たり前ですね^_^;

前にも書いたが、「エホバを身近に感じる」ということの意味がわからないぐらいだから。

ずっと子供の頃から、自分が思い描き感じる「神」と、JWを通して学ぶ「エホバ」がなぜか重ならなかった。
それは上手く言葉に出来ないが、皮膚感覚に近い感じ。



そして、JWの中の数々の制限に窮屈さもずっと感じていて、それは、中学、高校と少しずつ「自由」というものに憧れるようになり、強くなっていった。


それは17歳の時に半年間、語学留学で行ったアメリカで、日本のJWとは違う雰囲気を感じとった時に、さらに実感として自分の中で強くなった。

JW発祥の地のJWたちにとって、「JW」は
キリスト教の一宗派のような存在、または「生活の全て」ではなく、「一部」なのではと思うほど、日本のJWとは違っていた。
もちろん集会の雰囲気や、やっていることは日本と変わりがないのだが、どこか自由で、一人ひとりが個性的に見えた。
なにか、日本のように四角四面な教義に縛られていないように見えた。


行った当初はカルチャーショックを受けながらも「国民性」なのだと思っていたが
帰国する頃には、ここならJWを続けられるかもしれないと思えた。

その時は、まだJWを辞めるつもりはなかったが、ただ漠然と、もしかしたら....という予感がしていた頃。



帰国してすぐの事、母と何かで言い争いになり、「お母さんから教えられたエホバではなくて、私はまっさらの状態でエホバを知りたかった!」と、母に言った記憶がある。

私にとっての「エホバ」という神は「JW」というフィルターがかかっているように思えたし、そこにまた「母」というフィルターがかかっているから「自分の信仰」に出来ないのだと。

それは、いつか「エホバ」を実在の神として実感したいとも思っていたから。
なぜ、生まれた時からJWなのに、私には
「エホバを身近に感じる」とか
「エホバを愛する」という感覚がわからないのだろう?と、不思議だった。

いつかわかるときが来るのだろうか?
私にも「信仰」とは何かがわかるのだろうか?と思いながらJWを続けていた。

自ら、信じられるものを見つけて
それを生き甲斐にできる母のような1世が羨ましいと思った。


実はそんなことを思い出したのは
私が使っていた聖書と開拓者学校の教科書を、今回姉が、「お母さんの荷物の中にあったよ」と渡してくれたから。






母が亡くなった時、段ボールに入れて実家に置いていた出版物はすべて処分したつもりだった。
なぜ、母の荷物の中に私の聖書と
教科書が入っていたのかはわからない。

もしかしたら、母はこれを見て、いつか戻ってきてほしいという思いを捨てられずにいたのかもしれないと思った。

自分でも忘れていたが、個人研究は好きだった。
開拓者学校の時も、我ながらよく勉強したことを思い出した。

あの頃、JWを辞めるかも知れないと思いながらも、
身近に感じる事が出来ないからこそ「神」を......
実感として、ないからこそ「信仰」を......
模索していたのかもしれない。

上手く表現出来ないのだけど。


今年の始め、とある教会で心に残る聖書からの講話を聞いた。
そして先日「沈黙サイレンス」を観た。
この映画は、本当に色々な事を考えさせられた。


その中でも「信仰」というものの意味をとても考えさせられた。


「沈黙サイレンス」の中で
「この国は沼地である」という行がある。
この日本にはキリスト教は根付かないという意味なのだと思う。
その理由は、宣教師たちの心の中にある「神」と、日本人の中にある「神」は
一致していないということを、宣教師たちが感じていたということだろう。
それでも、この日本には殉教を厭わない
クリスチャンがいて、キリスト教は根付いた。
言葉もあまり通じない、もともと仏教の思想が根強く残る日本人に、命を賭けてまで
貫くほどの「信仰」を宣教師たちは伝えたというよりも、思い出すきっかけを与えたのかもしれないと思う。


それは、もしかしたら人の心の中にある
何かはわからないけど、本能的に感じる
「大いなる存在」とか「宇宙」とか
「神」といったものなのかもしれない。

あまり言葉が通じないからこそ、自分の心が感じる純粋な「神」の概念だったのかもしれないと思った。
そこに、個人の思想や宗派の教理が入らないからこその純粋なもの。

私の子供の頃からJWを通して教え込まれた「エホバ」という「神」に違和感があった理由と重なった。

JWの教理を通して学べば学ぶほど
「神」の知識は増えるのに、どんどん感じる違和感は、つまり宗教という組織化されたものの余計な思想や概念が入るからなのかもしれない。

JW人生50年になる姉が今、「自分の信仰」について、組織がどうなっても
「エホバ」は信じる!と言っていたが、
それは「神」との1対1の関係で、姉が何かを感じ、それが揺るがないからなのかもしれない。


それこそが「信仰」というものなのかもしれない。