統一地方選挙戦3日目の 4/16(火)、友人であり、同志でもある、板橋区議会議員候補、南雲由子 さん(無所属で2期目に挑戦中)の応援をしていたときのこと。

 

突然彼女に年配の女性が言い捨てた言葉。


「早いよ。子育て終わってからにしなさいよ。」
「女性活躍はいいけれど、あんたが今やることは別でしょう。」

 

 

 2歳になる小さな息子さんを大切に育てながら、旦那さまやご家族の理解を得ながら、新人議員としてNO1の数の質問を議会で行い、子どもの貧困対策特別委員会副委員長を務めるなど、板橋区の子どもたちの問題に真剣に取り組み、子育て世代・当事者の代表としてママたちパパたちの声を区政に届け、問題解決に奔走してきた彼女に浴びせられたあまりにも残酷な言葉。

 

 その場にいた彼女を応援する私を含める仲間みんなが、本当に悔しいと感じた瞬間でした。

 

 この年配女性のような、意見があるのがこの日本の現実。それは、認めなくちゃいけない。子育て中の女性が何かにチャレンジすることを大きく阻む、見えないけれどあまりにも大きな分厚い壁、意識の壁とも私たちは戦わなくてはいけないんだと、改めて厳しい現実を再認識した瞬間でもありました。

 

 子育て中の方々の声を届ける代表として、彼女のような議員の存在は必要だと思います。当事者でしか寄り添えない、熱意を持って訴え、取り組むことができないことがたくさんあります。

 

 組織やお金、地盤、に恵まれた旧来型の政治家ばかりで構成されている議会に、少しの多様性も認められない日本であって欲しくない。
そう思います。

 

 その場にいた、私の友人でもある、中島 明 (Akira Nakajima)さん(おとなり豊島区で、人と人をつなげる街づくりで活躍中)が、私より的確に言葉に表してくださっているので、シェアさせて頂きます。
 

ぼくらの声は思っているよりあまりに小さい。

今日とある女性議員の方の選挙を応援していた時のこと、その議員さんは2才の子どもを育てながら議員をがんばってきて、まさに今回2期目に挑戦してるのだけど、街頭演説中、とある年配の女性が言いました。

「早いよ。子育て終わってからにしなさいよ」

それはもう、尖ったナイフのような言葉でした。もう、応援に駆けつけた僕ですら悔しかった。

正直このやろうとは思ったけど、そういう考え方の世代もいるよね。それは否定できるものでもない。でも、時代は変わっています。そして、つくづく気づかされたのは、いまの政治はどちらかというとそういう昔ながらの価値観の人に向いて行われているんじゃないかということ。

地元の議員さんたちを見ても、真正直にしがらみのない政治をしている人ほど、選挙は大変だなと感じます。市民感覚を大切にして、既存の政治の世界に染まらない人ほど、助けてくれる人がまわりに少ない。ぼくらが政治に無関心なあまり、志ある政治家の人たちをより孤独にさせているし、そしてぼくらのそういう態度が、志ある政治家たちを、ぼくらが嫌いな方へと変化させちゃってるようにも思う。

いろんな人が「誰に投票しても変わらない」って口にするのだけど、それは割と正しいかもしれない。でも、いい加減、せめてこっちを振り向かせるくらいはさせないと、いや、せめて手綱は離さず持っておかないと、かなり違う価値観で世の中がつくられていっちゃうんだという危うさを、今日の体験から、僕は強く感じました。

特定の団体に所属しなくなっている、若い世代の声は塊として票にはなりません。だから、政治家たちは塊としての声に耳を傾けがちなわけです。だからこそもっと声を発し、声を発する人をもっと応援なくてはならないのだと思う。今日のやるせなさが、うまくことばにならないのだけど、でも、これだけは言えるかな。きっと、ぼくらの声は思っているよりあまりに小さい。