前回の記事
・政治や社会の「総合知」に欠ける ウイルス専門家
『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社
第5章|岡田・玉川、恐怖の伝道師 66頁より
2020.04.09(木) 岡田晴恵の専門知は「専門バカ」である
『羽鳥慎一モーニングショー』の岡田晴恵が最近、「私たちはサイエンスだけ言っていればいい」と言い出した。一見、正しそうに見えるが間違っている。なぜなら「日本もニューヨークのようになる」という見解が間違っているからである。
それは、岡田の専門知では捉えきれない政治や社会分析の分野になるので、感染症の専門知だけでは分析できない。専門家は往々にして、「専門バカ」となり、総合知に欠けるのがダメなのだ。
岡田晴恵という「専門バカ」に完全に寄り添った玉川徹は理系の人間にしては相当のバカで、未だに「感染者数」を絶対にしているが、日本の「死者数」の少なさを分析する知性を持たない。「死者数」の少なさを突かれたら、肺炎患者をカウントしているからだというネトウヨ並みの陰謀論を持ち出してしまう。玉川は、むしろ「死者数の少なさ」を直視したら、危機感を煽れないというエゴイズムが働いて、客観性を完全に失っている。すなわち、理系の態度ではない。
岡田晴恵が二流なのは、サイエンスしか考えない上に、総合知に欠けている点なのだ。
おそらく政府の専門家の方が、「専門バカ」に陥らず、総合知も働かせて考えているのではないかと推測する。ただし、勇気がないから、「コロナ・ウイルスは、最終的には、インフルエンザ・ウイルスと同じ道を辿るしかない」ということが、言い出せないのだろう。感染者数を抑えるなんてアホだ。日本でも、とっくに10万人以上に感染してるだろう。
『同』 「コロナ脳」との闘い
~小林よしのりブログ『あのな、教えたろか。』が辿った軌跡 221頁より
フェア党代表(元れいわ新選組構成員)の大西つねき氏も、「専門家の判断と政治判断は別になる」述べていましたね。
さて、世の中には、幅広いコミュニティで岡田信者の方がいらっしゃって「この人に文句を言うのは許せない!」と、しばし感情的に激高される場合もあるそうな。
それは玉川氏や羽鳥氏批判なり、特定の人々を『聖人』に祭り上げ、異論を排除して礼讃する様は、かつてのオウム真理教信者たちの姿と酷似してなりません。
一方、反対者たちにとっては、同調圧力に屈しない人たちを「社会の出来損ない」が、ようやく信頼できる小林教祖さまにひれ伏しているのだなと、根拠なき罵詈雑言をぶつけるだろうが、ハッキリ言って、そういうディスは猿でも思いつける浅はかなものです。
彼らは、コロナ騒動において、自分たちの矛盾は一切説明せず、その危険性を煽りながら、防護服やガスマスクを装着もせず、あまつさえ食事時には密でお店でランチを取り、果ては居酒屋でどんちゃん騒ぎという狂騒に耽っているのだ。
続けて、歴史も社会構造も違う海外と比べる『出羽守』に至っては論外です。
何度も言いますが、小林よしのり氏は「自らの読者を失う覚悟」で、民主主義と表現の自由を守る戦いに奔走されているが、多くのマスクを外せない方々は、ムラ社会の圧力や、自らの左遷や職場パージのリスクを背負って、こうした自由主義社会を守る行動に出れますかというお話です。
これが出来なければ「独裁国家」を否定する権利はないし、だからこそ“小林氏の覚悟”に深い感銘と敬意を持ち、社会が右向け右と染まり切っている状況で、本当に孤軍奮闘の勇気ある表現活動をなさって、もはや歴史観の違いなど些細な問題という風に、この人の評価が爆上げ状態になっている次第でございます。
ゆえに、自分としても関係者の方々を通じた「ネット上の風評」を毀損するリスクを背負いながら、氏を応援することを決意致しまして、それは自分や今の民主社会を壊さないためにも、絶対に口をつむぐことのできない大切な表現活動なのです。
これを封殺する世の中になれば、たぶん大変なことになる。
「コロナ自粛」は他人事で済ませた人々も、今度は「自分たちの許容できない抑圧」にさらされたとき、もはや反抗できる手段が失われた状態では後の祭り、最悪「死ぬことを強制される」ケースだって、先の痛ましい歴史や現在の混沌とした社会を見れば、容易に想起できます。
つまり、コロナ騒動で自分たちが『変なヤツら』と思っていた連中が、今度は「自分たちになっていた」という構造で、無慈悲に社会の擂粉木に粉砕される結末です。
<参考資料>
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社
<ツイッター>
【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】
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