『‐(追記有)北朝鮮という国を前に、日本全体が『血盟団』化する‐』
https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12355376156.html#cbox
こちらの記事で、『紅野ヒロミ』氏と以下のようなコメントをかわしました。
要約してまとめます。
‐紅野氏コメント‐
『純日本人主義は嘘』
ネトウヨ(腐翼)などの連中(右派系市民グループ、右派系グループ、標榜ゴロツキ、街宣右翼、街宣右派、街宣保守、自称:行動する保守運動、行動保守、行動右翼、行動右派)は、表向きは純日本人主義(純血主義、ネイティブ主義)を掲げていますが、実際は、後述の通り、あちら系(外国人(外人)もしくは帰化日本人(帰化邦人、帰化人)など(移民))の方が関係しているようです。まあ、利用するだけ利用しているって感じで、そんな連中に排外主義(閉鎖主義)を掲げる資格はあると思いますかと言いたくなります(笑)。
ご本人は笑って馬鹿にするようなコメントされているようですが、やり玉に挙げられた当事者たち(在日コリアンや外国人および帰化された人々)はたまったものではありません。この人は何ら裏どりやソースもなしに、いきなり「日本の排外右翼運動は外国人や帰化人が関わっている」として、そのことに私が掣肘を加えると、「外人という表現はまずかった」などと、こちらの話を十分理解しないコメントをされた挙句、こんなコメントを残されました。
私の発言が、韓国・朝鮮の人達のみならず韓国の親戚(父方のおばさん)にも申し訳無いことした(ホントだよ)。
私のコメントは、一部もしくは全体を削除しても構いません。
私は、自分の世界にでも転生して参ります(少なくとも腐翼とは無縁で)、では..。
いやいや、今でも十分ネトウヨ(彼の解釈では腐翼)だと思いますが、なぜ何の脈絡もなしにこのような発言をされたのか、少なくともこの人がご自身のブログを持っていれば、さらなる問いかけや議論も可能でしたが、こうやって都合が悪くなって、すぐどこかに消えてしまわれたら、別の記事含めて、今までこちらが誠意あるコメントをしてきたのが馬鹿らしくなります。
この件で私が個人的に思ったことは、やはり発言される人は、ある程度の「正当なリスク」を背負わなければ、ネットにおける言論状況がまともに機能しないのではないのかと思ったことです。
一度自分が不快に思ったことや、都合の悪い指摘がされると、リンクなしの『捨てハンドルネーム』場合、即座に交流を切ったり、トンズラできてしまうのです。
しかし個別のブログなりを運営して、リンク先が提示されると、自らのハンドルネームに対する「信用度」が出ます。例えば、ひとつひとつの「無礼な行い」が蓄積されると、ネット上におけるその人の価値を下げるわけですから、当事者もそれなりの「筋を通して」行動しなくてはなりません。
もちろん私自身も、そのような問題と無縁ではありません。
認識の違いから、行き過ぎた表現をしてしまったり、しかし後はちゃんと認めて謝罪もします。活動が長ければ尚更です。
しかしリンクなしの『捨てハンドルネーム』の場合だと、そうしたリスクとは一切関係なく、当人が少しでも煩わしく思ったり、面倒だと思ったら「こいつと話すのやーめよっと」という具合に、リンクやブログを持つ相手側の真剣な問いかけにも無視したりして、これには私もかなりの不快感を持った経験があります。
たしかに「ブログを持っている」人でも、どうしようもなく下品で差別を垂れ流すネトウヨがいるのも現実です。
しかし彼らは「ダメな人間」であると同時に、ちゃんと「特定できる存在」なのです。界隈の例で言うならば、かつて私と論争した『hokk』だったり、現在なら『長渕』(岡田力=夜王)もそうでしょう。
無論、彼らの肩を持つわけではありませんが、ネット上における様々な行いをすることによって、彼らの存在そのものであるハンドルネームは、著しく信用を棄損したり、印象を悪くします。
もちろん各人の自由裁量の問題も含めて、半強制的にブログを持てとは言いませんが、少なくともブログを持つことによって、発言する本人はリスクを背負う反面、活動の輪を広げたり、対価としての「信用」を得ることが可能なのです。それから先々発展させるか否かについては、自分自身の問題でもありますが。
<参考資料>
・拙ブログ記事『‐(追記有)北朝鮮という国を前に、日本全体が『血盟団』化する‐』(コメント欄)
https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12355376156.html#cbox
・『‐無知と憎悪の荒らし!日テレの朝鮮学校特集を見た日本人の反応‐』(コメント欄)