前回は→その4          最初からは→その1



たかちほは、日蓮を調べているうちにトンデモ無い事に気が付いてしまいました。


でも、これはどうしても言わないと真実が見えて来ないので結論から思い切って言います。


空海と日蓮・・・・宗派も違うし考えたかも違う様に見えます。


しかし、この二人は同じものを信仰していた可能性?

というより記録に有るので事実が有るのだと思います。

何言ってんの!そんなアバンギャルドな考え着いていけない!

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!


と思った方も先ずは、これから話す事に耳を傾けて欲しいのです。


先ず、空海の事についてお話しして行きます。



高野山に真言密教を創建した空海の事ですから、偉大な仏教の教祖というイメージを持つ方が多いのではないでしょうか?


私もそう思って居ました。


ところがです・・・・


私がこれから書いて行く文章の内容は以下の本にも同じ様な内容が書いてあります。




私が探した中に、この事について解り易く書かれたHP様を見つけましたので下に引用して行きます。

高野山に真言密教を創建した空海・・・・

余りにも有名な仏教の教祖でありながらも・・・その原型となるものが別にあったとしか思えないのです。


引用先「秦野エイト」様→こちら

①「空海と景教について」

803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、潅頂(頭に潅ぐの意で、 キリスト教の洗礼)を受け、

「遍照金剛」

という洗礼名を受けました。

「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という、マタイ5:16の漢語聖書からとったものでした。


彼は帰国後、高野山に真言密教を創建します。

空海は新約聖書を持ちかえり、最澄は旧約聖書を持ち帰ったということです。

しかし、二人は喧嘩してしまいます。

最澄は天台宗を創建し、空海は真言宗を作るわけですが、 彼の仏教は釈迦が説いた原始仏教とは似ても似つかぬ教えで、「景教と混合した仏教」でした。

空海と景教徒の景浄の出会い

長安で、彼は景教徒の景浄に会います。

彼は「大秦景教流行中国碑」の碑文を書いた僧です。

彼は、61才死に就こうとするとき、 「悲しんではいけない。わたしは・・・・弥勒菩薩のそばに仕えるために入定(死ぬ)するが、 56億7000万年ののち、弥勒と共に再び地上に現われるであろう。」と言いました。


弥勒とは、へブル語のメシア、ギリシャ語のキリストであり、 原始仏教にはなかった「キリストが再臨するときに復活する」というキリスト教信仰、 景教の信仰と同じものです。


真言宗では、法要の最初に胸の前で十字を切るとか、 高野山奥の院御廟前の灯篭に十字架がついているとか、景教の影響がみられます。


②日本の仏教のお寺にいる感じの景教の教会

ケン・ジョセフがアメリカの景教の教会を訪問したときの印象紀によると、 日本の仏教のお寺にいる感じだったとのことです。

牧師も会衆もみな祭壇の前を向いて礼拝し、牧師が「読経」のようなことを延々と行う、 しかも独特の節まわしで読経と錯覚するほどだそうです。


③香炉からは煙が立ち上がる景教の教会

また香炉からは煙が立ち上り、人々はその煙を自分の体にかけるようにするそうです。 それが祝福をもたらすからです。

また、信者は手に数珠(ロザリオ)を持っているそうです。


仏教の数珠の発案者は、唐の僧、道綽(どうしゃく)(562~645)といわれてますが、 この時期に初めて景教が入ったのですから、景教の風習であった数珠が、 仏教にもとりいれられたと思われるようです。


更に、景教では、ろうそくを立て、明りを灯します。

祈りの初めや終わりには、ベルの音が鳴ります。なんとなく仏教に似ています



④空海が説いた仏は「大日如来」

空海が説いた仏は、「大日如来」でした。

それを「法身仏」、さらに真理を具現化した「報身仏」、そして釈迦のような存在を「応身仏」と、 仏教では、異なった仏ではあるがすべて一体と考え、「一身即三身」「三身即一」と言います。

キリスト教での、父なる神、キリスト、イエスに似ています。

「大日」はデウス、神の日本訳とフランシスコ・ザビエルはしたくらいです。

「いろは歌」が示す「咎なくて死す」

空海との関係で、興味深いのは、彼の作との俗説があり、一般には、作者不明とされている、「いろは歌」です。

そこにも景教の影響がみられます。


これは七言絶句に並べ、47文字の「かな」を並べ、しかも深い意味のある一つの歌にしているからです。

ここで、一番下の文字を続けて読むと「とがなくてしす」(歌の中で清音と濁音は一つになっている)となることがわかります。 「咎なくて死す」と読めます。


更に、左上、左下、右下の文字を続けて読むと、「イエス」と読めます。


罪がなくて死んだ、の意味です。これらから、「罪なきイエスが十字架上の死を遂げた」という、 景教徒が持っていた信仰と関係があるのであろうといわれてきているのです。


~引用以上~


でも、これって良く考えてみると不思議は無いですよね。


彼が、秦系の出自で有れば原始キリスト教を大事にする考えも解ります。


自分の民族のものですから。


イスラエルの謎を話す時に、皆空海の話しは大好きだと思います。

私もその一人です。


しかし・・・・それは彼だけでは無かったのです・・・。


そんな意外性のある情報とは何でしょうか・・・?




続きは→その6


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