vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。
[ORIGINAL]
HOW VAPORWAVE WAS CREATED THEN DESTROYED BY THE INTERNET
An exploration of the anti-consumerism music that died the way it lived.
AUG 19, 2016
http://www.esquire.com/entertainment/music/a47793/what-happened-to-vaporwave/
Photo Illustration by Kevin Peralta
vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。——ふさわしい死に方をした反消費主義の音楽についての考察
2016年にvaporwaveについて書くのはほとんど不可能だ。まだ知らない人々は、仮に彼らがvaporwaveを聴いたとしても、そのジャンルに当惑することも多いだろう。その一方で、ファンたちは「Vaporwave is dead.(vaporwaveは死んだ)」と言う。ほとんどの人が聴いたことがなく、ファンにはもはや存在しないと言われている音楽について、どのようにして書けばいいというのだろうか? あるいは、それと同じくらいに重要なのは、なぜ書くのか?ということだ。
そのジャンルがそれでも続いている理由は、vaporwaveの歴史そのものが説明しているといえるだろう。今も私たちの生活の大部分を占めている巨大な経済の力や社会の力、そういったものに対する反応の中でvaporwaveは生まれた。グローバル化、暴走する消費主義、そして、特にそれらの中で製造されたノスタルジアについての反応だ。私たちの時代精神のこのような側面を明白に扱った音楽はほかに例を見ない。もしvaporwaveがまだ重要なものであるなら、それらが扱っていることもまた重要だということである。
どこかから持ってきた音楽をスローダウンし、リミックスしている、そして、少なくとも80年代や90年代にとりつかれているということがその一部だと定義される音楽――インターネットで生まれ、その歴史のほとんどがインターネットにある最初のジャンル――、もしあなたがそんなvaporwaveを聴いたことがないなら、それでかまわない。事実、そこがある意味ポイントだ。vaporwaveはpopを意識した、ある種のパロディで、決して大衆にアピールしようとしたことはないのだ。そのことには私たちの検証は必要ない。それはカウンターカルチャーのどんなものにも当てはまることだからだ。つまり、多くの人々が受け入れるようになると、物事の真偽に対するその主張が薄められてしまうのである。無理に大衆にアピールする形にしようとすることは、その存在意義を薄めてしまうのだ。歴史的な例、音楽評論家Lester Bangsの「アメリカ中西部でロングヘアーがオーケーになったとたんに、どのように60年代が終わったか」という引用について考えてみてもらいたい。
そのため、注目を集めるvaporwaveはつまらなくなってしまったように感じた者も、ファンやクリエイターの中にはいたかもしれない。ジャンルを濃く、複雑にしてきた者たちにとっては、それを生きたままに埋葬し、ほんとうに死ぬ時がくる前にその死を公にアナウンスすることはほとんど義務のようなものだったのだ。比較的少ない人数の、vaporwaveに熱くなっている人々のグループが、ジャンルのアイデンティティのボーダーをまだ規制できているうちにそのプロジェクトを終わらせる、それはおおむね賢明だと思われる。しかし、もともとvaporwaveが作られるようになった理由は現代の問題にまだ関連していることだ。例えば、資本主義への批判、20世紀に成し遂げられなかったユートピアへの辛らつな見解、消費主義、現実逃避、グローバル化など。vaporwaveのヴィジョンはまだ枯れたり、しなびたりしてはいない。フレッシュで、核心をついていて、“future funk”や“mall soft”などの細分化したサブジャンルの中で成長している。
だから、vaporwaveは死んだのだ。vaporwave万歳。
---
音楽ジャンルの発展のポイントに合わせてひとつひとつ取り上げることは、ある程度、その人の好みや判断にまかせて行なわれることになる。vaporwaveの場合、80年代のデトロイトのアンダーグラウンドミュージックシーンに戻るのがいいだろうか? 初期のDIYシーン? No Wave? Stockhausen? なんと弁証法は幅広く、私の器は小さいことか。シンプルにいくのが一番良さそうだ。
では、2010年に“Chuck Person”という名義で、アルバム『Ecco Jams Vo.1』をリリースしたアーティストDaniel Lopatinから始めるとしよう。これは、vaporwaveのメイフラワー号、あるいは、基礎石のようなアルバムだ。
聴くと、そのタイトルは“echo(エコー)”にかけたものだとわかる。これはもちろん、スローダウンし、“チョップ・アンド・スクリュー”した80年代のpopのリミックスを詰め込んでいるのがこのアルバム作品の特徴だということをはっきりと認めているということだ。しかし、そのエコーは現代のものでもあるのだ。このアルバムは過去をよみがえらせるサウンドで構成されている。ポップな輝きは歪められ、引きのばされ、ほとんど幽霊のようなサウンドになっている。その結果、過去の買い物客の亡霊が現代の私たちのもとへ訪れているように響く。批評家Simon Reynoldsが『Retromania: Pop (Culture)'s Addiction to its Own Past(**レトロマニア:ポップカルチャーの過去中毒)』で書いているように、これらの作品は「資本主義の中の文化的記憶と、埋められたユートピアニズム、特にコンピューターやオーディオ・ビデオの娯楽分野における消費者テクノロジーに関連している」。音楽的な違いはのちに複雑化し、これらのトラックが着想を与えたジャンルは分裂していくことになる。しかし、テクノロジーと消費者主義への傾倒は、より大きなイデオロギーの傘下で、その後に続くプロジェクトをまとめる共通の系譜を残すのである。
James Ferraroの2011年のアルバム『Far Side Virtual』は、vaporwaveの設立の書といえる『Ecco Jams vol.1』と合わせて語られることが多い。
Ferraroのvaporwaveの解釈はLoptainのものとはわずかに異なっており、アップテンポで、希望に満ちた90年代の消費主義のサウンドトラックであることが強調されている。例えば、さわやかなエレベーターミュージック、アップテンポのシンセストリングス、自動音声など。曲のタイトルをちょっと見てみよう。“Global Lunch”、“Palm Trees, Wi-Fi and Dream Sushi”、“Condo Pets”、“Starbucks, Dr. Seussism, and While Your Mac Is Sleeping”。レトロフューチャーだが、90年代初頭のインターネットカルチャーの喜びに満ちた未来への期待が、政治や歴史から完全に解放されたような気分にさせるものであったことを示している。
Ferraro自身がインタビューでこのように説明している。
「『Far Side Virtual』は、主に社会での場所や行動の様式を示しているんだ。携帯の着信音、フラットスクリーンの画面、映画館や劇場、料理、ファッション、スシ。シンクロニシティでもたらされる、こういったすべてのもの。僕はそれを“virtual reality”とは呼びたくない。だから、“Far Side Virtual”と呼んでる。もしほんとうに“Far Side(向こう側)”を理解したいなら、まず最初にドビュッシーを聴いて、次にフローズンヨーグルトの店に入っていく。その後、アップルストアに入って、ただあれこれ触ってみながら、そこでうろうろする。それから、スターバックスに行って、ギフトカードを買う。店にはスターバックスの歴史についての本があるから、その本も買って家に帰る。これを全部やれば、“Far Side Virtual”が何なのか理解できると思うよ。——だいたいみんなその中に生きているからね」
そのすべてが“Far Side Virtual”の表面に、まさにそこにある。時間が許せば、アルバム全体を聴いてみてもらいたい。作業のサウンドトラックとしてBGMに流せば、さわやかで、アップテンポで、心地良い。それがどんな音で構成されているのかが私にはわかる。昔からよく知っている声や、子どもの頃の経験の小さなかたまりのようなものでできている。私が育ったのは80年代後半から90年代前半だ。『Utopia』(*テレビゲーム)からの、その独特の音声を取り入れたアップテンポなサウンドコラージュは単純に心地良いというだけではない。——それは、私のアイデンティティの一部のように感じられるのだ。私にとってのAOLの“You've Got Mail”の音声はプルーストにとってのマドレーヌである、そんなことがほんとうにあり得るのだろうか?
---
最初のvaporwaveと呼ぶのにふさわしいであろうとみなされているアルバムは『Floral Shoppe』だ。2011年の後半、グラフィックアーティスト/プロデューサーRamona Xavier(主にVektroidというアーティスト名で知られている)によってリリースされたが、クレジットされている名義は“Machintosh Plus”である。ここまでに紹介してきたものはvaporwaveの方向性を示したものだったが、『Floral Shoppe』はvaporwaveそのものだ。vaporwaveの特徴とされる要素をすべて体現した、磁石のように引きつける力があるアルバムだ。その中でも、特にきわだったトラック“リサフランク420 //現代のコンピュー”を聴いてみてもらいたい。
フィーチャーされているDiana Rossのトラック“It's Your Move”は、チョップされ、ぎこちなく、スピードを落とされ、ゾンビのようにぐちゃぐちゃになって、延々と続く。トラックはばらばらに解体されて、それから、また元に戻されている。そのすべての巧妙さをたずさえて、死の淵から引き戻されている。その“プロダクト”は原曲からすべてを吸い取っている。そして、どういうわけか、オリジナル以上に官能的で、もろく、はかないもののように聞こえる。『Floral Shoppe』は、消費主義のパロディであることと実際にじっくりと聴けるほんとうに良い音楽であることの間のデリケートなバランスが取れているのだ。
しかし、単にサウンドがvaporwaveであるというだけではなく、『Floral Shoppe』のジャケットではvaporwaveの美学もまた体現されている。見てみるとしよう。レトロなコンピューターグラフィックス、古代ローマの胸像、ぼやけた街のスカイライン、日本語のタイトル。vaporwaveのアイデンティティと音楽の一部とされている一連のヴィジュアルイメージのコアとなるものは、こういったもので形作られている。これらがまた、インターネットミームとして簡単に増殖していったとしても、いたってかまわないのだ。見覚えがあるかもしれないものはほかにもまだある。Arizonaのアイスティ、マリファナのかたまり、VHS、ヤシの木、Fijiのミネラルウォーターなど。
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その音楽のように、名前もハイブリッドだ。
もちろん、ヴィジュアルジョーク——消費主義の果たされなかった約束の小さな小さなゴーストたち(私たちはこれまでほんとうにアイスティのボトルの中に本物の幸せを見つけようとしていたのだろうか?)、その安っぽさとやぼったさ——それが私たちを“vaporwave”という名前が出現したところへと連れていってくれる。その音楽のように、名前もハイブリッドなのだ。vaporwaveという名前は、“vaporware”ということばと合わせたものだ。vaporwareとは、発売すると宣伝されたものの、実際には市場に出す予定はなかった製品に対する企業広告用語である。そのジャンルの名前の半分は、人々の欲を操作するためのインサイダー用語からきているのだ。もう半分はマルクスのwave of vaporからきている。「あらゆる固定した、さびついた関係は、それにともなう年ふりた貴い観念や見解とともに解体され、新しく形成された関係は、すべて化石化するひまもないうちに古くさくなる。すべて固定的・恒常的なものは煙ときえ、すべて神聖なものはけがされ、こうして人間はついに、彼らの生活状態、彼らの相互の関係を、ひややかな目でみつめざるをえなくなる」 vaporwaveというジャンルの名前は、このような成しとげられなかった期待からきており、その音楽を通して、ある種、冷戦後のアメリカのもうひとつの歴史に祈りを捧げているのだ。はっきりとそれを行なっているとわかるやり方のひとつは、80年代や90年代のコマーシャルに対するアプローチだ。エレクトロニックアーティストSkylar Spence(かつてはSaint Pepsiとして知られていた)によって組み合わせられた“Enjoy Yourself”という曲とそのビデオのように。
そのビデオでは、1986年から1989年にかけてマクドナルドの広告キャラクターだった三日月頭のバラードシンガーMac Tonightが使われている。それはある意味風変わりなマーケティングキャンペーンだ。私自身が子どもの頃、わずかに気持ちのどこかに引っかかっていたものが、奇妙でノスタルジックなインサイドジョークに変わっている。しかしそれは、そのCMが仕向けていた、人々の憧れのような感情がなければ、機能しないジョークでもある。オリジナルの広告は、マクドナルドでの午後4時以降の夕食キャンペーンを強化するだけでなく、星、ベルベットのような夜空、街のスカイラインといった夢の光景で、まさにその匿名性、つまり、どこにでもある、誰でも利用できる、ということが、決まった場所や制限されたアイデンティティから解放される自由をほのめかしていたのだ。この広告は、広告コンクールのクリオ賞を受賞したが、50年代の人たち、つまり、1980年代のベビーブーマーたちがノスタルジアを感じるように仕向けられたものだった。Bobby Darinの“Mack the Knife”を歌う、サングラスをかけたRay Charls風バラードシンガーはなんとも巧妙だった。そして、Bobby Darinのその曲もまた、戯曲『三文オペラ』のために書かれたKurt WeillとBertolt Brechtのバージョンを流用したものだった、ということは忘れてはならない重要なことである。この意味において、Saint Pepsiのビデオ——そして、vaporwaveで行なわれる、もともと消費者向け製品としてパッケージされていた音源を流用することは、通常は経営幹部レベルのところから人々に提示される、文化へのある種の再結合の根源だといえる。
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それは資本主義の美学、アメリカのショッピングモールに対抗する場、平穏で永続的な現代のサウンド、といったもののまねごとかもしれないが、パンクとの共通点も多い。
この点では、アメリカの音楽や文化において、vaporwaveにははっきりとした先例があるということは明らかであるといえるだろう。そして、資本主義の美学、アメリカのショッピングモールに対抗する場、平穏で永続的な現代のサウンド、といったもののまねごとかもしれないが、パンクとの共通点も多く持っているのだ。それは、政治的であるというところである。その最優先事項はヒットチャートに入ることではない。事実、そのアイデンティティは商業的な成功に抵抗することと深く関係している。商業的な成功に対してふざけることで、その関係性を示しているのだ。vaporwaveを作ることはシンプルだ。実際、そのほとんどは家で作られ、Bandcampのようなサイトでリリースされる。それがまた、ほんとうにほんとうにおもしろい。パンクのように、vaporwaveは壊れていて、合成されていて、そして、さまざまなアーティストが特定のサウンドや概念を強調し、新しいサブジャンルの音楽へと細分化していっている。
カナダのプロデューサーBlank Bansheeは、vaporwaveがふみ込んでいった方向の一例だ。そこではtrap beatが強調されており、政治的にとがった感じはあまりなくなっている。おそらく、そのほかのvaporwaveのサブジャンル(例えば、文字通りショッピングモールのBGMそのもののMall Soft。私のお気に入りのジャンルだ)の多くのサウンドに比べて、とっつきやすいのではないかと思う。とはいえ、vaporwaveの基本的な前提の上に作られてはいるのだが。
Golden Living Roomは完全に別方向の音楽へと進んでいる。アルバム『Welcome Home』(一番vaporwaveらしさを感じられるのはそのジャケットだ)は、シンセサイザーやコンピューターだけでなく、実際に本物の楽器を使って演奏されている。そして、忘れられないほどに美しい。初期のvaporwaveと同様に政治的関心をいくぶん保ちつつも、より壮大なサウンドと音楽スタイルの基盤を含んでいる。楽器を用いて制作されている、そして、とても多くのソースからさまざまなものを取り入れているという事実は、lo-fi、サウンドコラージュ、前衛音楽といったものとたいていはクロスオーバーできるというvaporwaveの持つ親和性を立証している。
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vaporwaveは死んだというニュースはもうすいぶん前のものだ。ジャンルのピークは2013年だという人もいる。昨年、Redditでそのことについての議論が交わされていた。そしておそらく、最もしっかりととどめをさしたのは、昨年の夏、MTVとTumblrがvaporwaveの比喩であろうものをブランド再生のヴィジュアル面に取り入れた時だろう。
しかし、vaporwaveの美学を流用したのは巨大企業だけではなかった。Drakeの“Hotline Bling”のミュージックビデオは、ネオンパステルカラーのミニマルアートと80年代のラウンジ風のヴィジュアルを「vaporwaveへのトリビュート」のようだと避難された。Tom BarnesはMicで、Kanye Westの最新アルバムのジャケットを「ひどくシンプルなvaporwaveの美学」だと言った。音楽の世界の外へ出ても同じだ。今月は、ロボット・トランプ(Donald Trump)が「ばかげたvaporwaveビデオ」の中で世界を破壊するということが起こっていた。何年も前に死を宣告されたジャンルの割には、vaporwaveは私たちみんなのイマジネーションの中にまだまだ存在し続けたままだ。たとえ、必ずしも多くの人々がそのジャンルに気づいているわけではないとしても。私たちにとっては重要なことであり、その死を知らなければ関連性を保ち続けることはできる。
ジャンルが“死んだ”と言われる時には、ふたつの意味があり得る。そのジャンルが市場の製品としての有用性を終えたということ(ライフスタイルの変化などによって)。あるいは、もはや私たちの生活には関連性がないということ。vaporwaveは経済的に“成功”したことがないので、前者ではない。私たちは今でも失敗に終わった楽園、ゴーストユートピアにとりつかれているので、後者でもない。vaporwaveは、アメリカの歴史における私たちの時代に必要な表現を提供し続けている。その歪みやねじれは私たちの経済的、文化的衰退をひきうけているのだ。
人々がvaporwaveは“死んだ”と言う時、マーケティング用語そのものの流用、そのジャンルが淘汰されてしまわないようにするために“売り切り”行為の前に行なわれた計画的、あるいは、人工的な衰退の流用であると、その宣言をとらえた方がいいだろう。vaporwaveはhip hop、pop、カントリーミュージックのように製品にはならない。だから死んだ。ああいった風に売られることはこれまでもなかった。そう、その意味では、常に“死んで”いたのだ。
vaporwave万歳。
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(* )の説明は追加しています。
(** )の書籍、調べてみた限りでは、現在のところ日本語翻訳版は出版されていないようです。日本語のタイトルは私が訳したものです。正式な書籍名ではありません。
リンクなどありませんが、ロボット・トランプのビデオはおそらくこれではないかと思われます。
MTVとTumblrの件についてはコチラ。
https://ameblo.jp/chocolat-et-framboise/entry-12325380062.html
とてもおもしろい記事でした。これまでなんとなくもやもやしていた“Vaporwave is dead”について、かなりすっきりしました。ライター名の記載が見当たらないのですが、書いた方のvaporwaveへの愛情が感じられる記事だなと思います。Long live vaporwave.
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No copyright infringement intended.
HOW VAPORWAVE WAS CREATED THEN DESTROYED BY THE INTERNET
An exploration of the anti-consumerism music that died the way it lived.
AUG 19, 2016
http://www.esquire.com/entertainment/music/a47793/what-happened-to-vaporwave/
Photo Illustration by Kevin Peralta
vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。——ふさわしい死に方をした反消費主義の音楽についての考察
2016年にvaporwaveについて書くのはほとんど不可能だ。まだ知らない人々は、仮に彼らがvaporwaveを聴いたとしても、そのジャンルに当惑することも多いだろう。その一方で、ファンたちは「Vaporwave is dead.(vaporwaveは死んだ)」と言う。ほとんどの人が聴いたことがなく、ファンにはもはや存在しないと言われている音楽について、どのようにして書けばいいというのだろうか? あるいは、それと同じくらいに重要なのは、なぜ書くのか?ということだ。
そのジャンルがそれでも続いている理由は、vaporwaveの歴史そのものが説明しているといえるだろう。今も私たちの生活の大部分を占めている巨大な経済の力や社会の力、そういったものに対する反応の中でvaporwaveは生まれた。グローバル化、暴走する消費主義、そして、特にそれらの中で製造されたノスタルジアについての反応だ。私たちの時代精神のこのような側面を明白に扱った音楽はほかに例を見ない。もしvaporwaveがまだ重要なものであるなら、それらが扱っていることもまた重要だということである。
どこかから持ってきた音楽をスローダウンし、リミックスしている、そして、少なくとも80年代や90年代にとりつかれているということがその一部だと定義される音楽――インターネットで生まれ、その歴史のほとんどがインターネットにある最初のジャンル――、もしあなたがそんなvaporwaveを聴いたことがないなら、それでかまわない。事実、そこがある意味ポイントだ。vaporwaveはpopを意識した、ある種のパロディで、決して大衆にアピールしようとしたことはないのだ。そのことには私たちの検証は必要ない。それはカウンターカルチャーのどんなものにも当てはまることだからだ。つまり、多くの人々が受け入れるようになると、物事の真偽に対するその主張が薄められてしまうのである。無理に大衆にアピールする形にしようとすることは、その存在意義を薄めてしまうのだ。歴史的な例、音楽評論家Lester Bangsの「アメリカ中西部でロングヘアーがオーケーになったとたんに、どのように60年代が終わったか」という引用について考えてみてもらいたい。
そのため、注目を集めるvaporwaveはつまらなくなってしまったように感じた者も、ファンやクリエイターの中にはいたかもしれない。ジャンルを濃く、複雑にしてきた者たちにとっては、それを生きたままに埋葬し、ほんとうに死ぬ時がくる前にその死を公にアナウンスすることはほとんど義務のようなものだったのだ。比較的少ない人数の、vaporwaveに熱くなっている人々のグループが、ジャンルのアイデンティティのボーダーをまだ規制できているうちにそのプロジェクトを終わらせる、それはおおむね賢明だと思われる。しかし、もともとvaporwaveが作られるようになった理由は現代の問題にまだ関連していることだ。例えば、資本主義への批判、20世紀に成し遂げられなかったユートピアへの辛らつな見解、消費主義、現実逃避、グローバル化など。vaporwaveのヴィジョンはまだ枯れたり、しなびたりしてはいない。フレッシュで、核心をついていて、“future funk”や“mall soft”などの細分化したサブジャンルの中で成長している。
だから、vaporwaveは死んだのだ。vaporwave万歳。
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音楽ジャンルの発展のポイントに合わせてひとつひとつ取り上げることは、ある程度、その人の好みや判断にまかせて行なわれることになる。vaporwaveの場合、80年代のデトロイトのアンダーグラウンドミュージックシーンに戻るのがいいだろうか? 初期のDIYシーン? No Wave? Stockhausen? なんと弁証法は幅広く、私の器は小さいことか。シンプルにいくのが一番良さそうだ。
では、2010年に“Chuck Person”という名義で、アルバム『Ecco Jams Vo.1』をリリースしたアーティストDaniel Lopatinから始めるとしよう。これは、vaporwaveのメイフラワー号、あるいは、基礎石のようなアルバムだ。
聴くと、そのタイトルは“echo(エコー)”にかけたものだとわかる。これはもちろん、スローダウンし、“チョップ・アンド・スクリュー”した80年代のpopのリミックスを詰め込んでいるのがこのアルバム作品の特徴だということをはっきりと認めているということだ。しかし、そのエコーは現代のものでもあるのだ。このアルバムは過去をよみがえらせるサウンドで構成されている。ポップな輝きは歪められ、引きのばされ、ほとんど幽霊のようなサウンドになっている。その結果、過去の買い物客の亡霊が現代の私たちのもとへ訪れているように響く。批評家Simon Reynoldsが『Retromania: Pop (Culture)'s Addiction to its Own Past(**レトロマニア:ポップカルチャーの過去中毒)』で書いているように、これらの作品は「資本主義の中の文化的記憶と、埋められたユートピアニズム、特にコンピューターやオーディオ・ビデオの娯楽分野における消費者テクノロジーに関連している」。音楽的な違いはのちに複雑化し、これらのトラックが着想を与えたジャンルは分裂していくことになる。しかし、テクノロジーと消費者主義への傾倒は、より大きなイデオロギーの傘下で、その後に続くプロジェクトをまとめる共通の系譜を残すのである。
James Ferraroの2011年のアルバム『Far Side Virtual』は、vaporwaveの設立の書といえる『Ecco Jams vol.1』と合わせて語られることが多い。
Ferraroのvaporwaveの解釈はLoptainのものとはわずかに異なっており、アップテンポで、希望に満ちた90年代の消費主義のサウンドトラックであることが強調されている。例えば、さわやかなエレベーターミュージック、アップテンポのシンセストリングス、自動音声など。曲のタイトルをちょっと見てみよう。“Global Lunch”、“Palm Trees, Wi-Fi and Dream Sushi”、“Condo Pets”、“Starbucks, Dr. Seussism, and While Your Mac Is Sleeping”。レトロフューチャーだが、90年代初頭のインターネットカルチャーの喜びに満ちた未来への期待が、政治や歴史から完全に解放されたような気分にさせるものであったことを示している。
Ferraro自身がインタビューでこのように説明している。
「『Far Side Virtual』は、主に社会での場所や行動の様式を示しているんだ。携帯の着信音、フラットスクリーンの画面、映画館や劇場、料理、ファッション、スシ。シンクロニシティでもたらされる、こういったすべてのもの。僕はそれを“virtual reality”とは呼びたくない。だから、“Far Side Virtual”と呼んでる。もしほんとうに“Far Side(向こう側)”を理解したいなら、まず最初にドビュッシーを聴いて、次にフローズンヨーグルトの店に入っていく。その後、アップルストアに入って、ただあれこれ触ってみながら、そこでうろうろする。それから、スターバックスに行って、ギフトカードを買う。店にはスターバックスの歴史についての本があるから、その本も買って家に帰る。これを全部やれば、“Far Side Virtual”が何なのか理解できると思うよ。——だいたいみんなその中に生きているからね」
そのすべてが“Far Side Virtual”の表面に、まさにそこにある。時間が許せば、アルバム全体を聴いてみてもらいたい。作業のサウンドトラックとしてBGMに流せば、さわやかで、アップテンポで、心地良い。それがどんな音で構成されているのかが私にはわかる。昔からよく知っている声や、子どもの頃の経験の小さなかたまりのようなものでできている。私が育ったのは80年代後半から90年代前半だ。『Utopia』(*テレビゲーム)からの、その独特の音声を取り入れたアップテンポなサウンドコラージュは単純に心地良いというだけではない。——それは、私のアイデンティティの一部のように感じられるのだ。私にとってのAOLの“You've Got Mail”の音声はプルーストにとってのマドレーヌである、そんなことがほんとうにあり得るのだろうか?
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最初のvaporwaveと呼ぶのにふさわしいであろうとみなされているアルバムは『Floral Shoppe』だ。2011年の後半、グラフィックアーティスト/プロデューサーRamona Xavier(主にVektroidというアーティスト名で知られている)によってリリースされたが、クレジットされている名義は“Machintosh Plus”である。ここまでに紹介してきたものはvaporwaveの方向性を示したものだったが、『Floral Shoppe』はvaporwaveそのものだ。vaporwaveの特徴とされる要素をすべて体現した、磁石のように引きつける力があるアルバムだ。その中でも、特にきわだったトラック“リサフランク420 //現代のコンピュー”を聴いてみてもらいたい。
フィーチャーされているDiana Rossのトラック“It's Your Move”は、チョップされ、ぎこちなく、スピードを落とされ、ゾンビのようにぐちゃぐちゃになって、延々と続く。トラックはばらばらに解体されて、それから、また元に戻されている。そのすべての巧妙さをたずさえて、死の淵から引き戻されている。その“プロダクト”は原曲からすべてを吸い取っている。そして、どういうわけか、オリジナル以上に官能的で、もろく、はかないもののように聞こえる。『Floral Shoppe』は、消費主義のパロディであることと実際にじっくりと聴けるほんとうに良い音楽であることの間のデリケートなバランスが取れているのだ。
しかし、単にサウンドがvaporwaveであるというだけではなく、『Floral Shoppe』のジャケットではvaporwaveの美学もまた体現されている。見てみるとしよう。レトロなコンピューターグラフィックス、古代ローマの胸像、ぼやけた街のスカイライン、日本語のタイトル。vaporwaveのアイデンティティと音楽の一部とされている一連のヴィジュアルイメージのコアとなるものは、こういったもので形作られている。これらがまた、インターネットミームとして簡単に増殖していったとしても、いたってかまわないのだ。見覚えがあるかもしれないものはほかにもまだある。Arizonaのアイスティ、マリファナのかたまり、VHS、ヤシの木、Fijiのミネラルウォーターなど。
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その音楽のように、名前もハイブリッドだ。
もちろん、ヴィジュアルジョーク——消費主義の果たされなかった約束の小さな小さなゴーストたち(私たちはこれまでほんとうにアイスティのボトルの中に本物の幸せを見つけようとしていたのだろうか?)、その安っぽさとやぼったさ——それが私たちを“vaporwave”という名前が出現したところへと連れていってくれる。その音楽のように、名前もハイブリッドなのだ。vaporwaveという名前は、“vaporware”ということばと合わせたものだ。vaporwareとは、発売すると宣伝されたものの、実際には市場に出す予定はなかった製品に対する企業広告用語である。そのジャンルの名前の半分は、人々の欲を操作するためのインサイダー用語からきているのだ。もう半分はマルクスのwave of vaporからきている。「あらゆる固定した、さびついた関係は、それにともなう年ふりた貴い観念や見解とともに解体され、新しく形成された関係は、すべて化石化するひまもないうちに古くさくなる。すべて固定的・恒常的なものは煙ときえ、すべて神聖なものはけがされ、こうして人間はついに、彼らの生活状態、彼らの相互の関係を、ひややかな目でみつめざるをえなくなる」 vaporwaveというジャンルの名前は、このような成しとげられなかった期待からきており、その音楽を通して、ある種、冷戦後のアメリカのもうひとつの歴史に祈りを捧げているのだ。はっきりとそれを行なっているとわかるやり方のひとつは、80年代や90年代のコマーシャルに対するアプローチだ。エレクトロニックアーティストSkylar Spence(かつてはSaint Pepsiとして知られていた)によって組み合わせられた“Enjoy Yourself”という曲とそのビデオのように。
そのビデオでは、1986年から1989年にかけてマクドナルドの広告キャラクターだった三日月頭のバラードシンガーMac Tonightが使われている。それはある意味風変わりなマーケティングキャンペーンだ。私自身が子どもの頃、わずかに気持ちのどこかに引っかかっていたものが、奇妙でノスタルジックなインサイドジョークに変わっている。しかしそれは、そのCMが仕向けていた、人々の憧れのような感情がなければ、機能しないジョークでもある。オリジナルの広告は、マクドナルドでの午後4時以降の夕食キャンペーンを強化するだけでなく、星、ベルベットのような夜空、街のスカイラインといった夢の光景で、まさにその匿名性、つまり、どこにでもある、誰でも利用できる、ということが、決まった場所や制限されたアイデンティティから解放される自由をほのめかしていたのだ。この広告は、広告コンクールのクリオ賞を受賞したが、50年代の人たち、つまり、1980年代のベビーブーマーたちがノスタルジアを感じるように仕向けられたものだった。Bobby Darinの“Mack the Knife”を歌う、サングラスをかけたRay Charls風バラードシンガーはなんとも巧妙だった。そして、Bobby Darinのその曲もまた、戯曲『三文オペラ』のために書かれたKurt WeillとBertolt Brechtのバージョンを流用したものだった、ということは忘れてはならない重要なことである。この意味において、Saint Pepsiのビデオ——そして、vaporwaveで行なわれる、もともと消費者向け製品としてパッケージされていた音源を流用することは、通常は経営幹部レベルのところから人々に提示される、文化へのある種の再結合の根源だといえる。
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それは資本主義の美学、アメリカのショッピングモールに対抗する場、平穏で永続的な現代のサウンド、といったもののまねごとかもしれないが、パンクとの共通点も多い。
この点では、アメリカの音楽や文化において、vaporwaveにははっきりとした先例があるということは明らかであるといえるだろう。そして、資本主義の美学、アメリカのショッピングモールに対抗する場、平穏で永続的な現代のサウンド、といったもののまねごとかもしれないが、パンクとの共通点も多く持っているのだ。それは、政治的であるというところである。その最優先事項はヒットチャートに入ることではない。事実、そのアイデンティティは商業的な成功に抵抗することと深く関係している。商業的な成功に対してふざけることで、その関係性を示しているのだ。vaporwaveを作ることはシンプルだ。実際、そのほとんどは家で作られ、Bandcampのようなサイトでリリースされる。それがまた、ほんとうにほんとうにおもしろい。パンクのように、vaporwaveは壊れていて、合成されていて、そして、さまざまなアーティストが特定のサウンドや概念を強調し、新しいサブジャンルの音楽へと細分化していっている。
カナダのプロデューサーBlank Bansheeは、vaporwaveがふみ込んでいった方向の一例だ。そこではtrap beatが強調されており、政治的にとがった感じはあまりなくなっている。おそらく、そのほかのvaporwaveのサブジャンル(例えば、文字通りショッピングモールのBGMそのもののMall Soft。私のお気に入りのジャンルだ)の多くのサウンドに比べて、とっつきやすいのではないかと思う。とはいえ、vaporwaveの基本的な前提の上に作られてはいるのだが。
Golden Living Roomは完全に別方向の音楽へと進んでいる。アルバム『Welcome Home』(一番vaporwaveらしさを感じられるのはそのジャケットだ)は、シンセサイザーやコンピューターだけでなく、実際に本物の楽器を使って演奏されている。そして、忘れられないほどに美しい。初期のvaporwaveと同様に政治的関心をいくぶん保ちつつも、より壮大なサウンドと音楽スタイルの基盤を含んでいる。楽器を用いて制作されている、そして、とても多くのソースからさまざまなものを取り入れているという事実は、lo-fi、サウンドコラージュ、前衛音楽といったものとたいていはクロスオーバーできるというvaporwaveの持つ親和性を立証している。
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vaporwaveは死んだというニュースはもうすいぶん前のものだ。ジャンルのピークは2013年だという人もいる。昨年、Redditでそのことについての議論が交わされていた。そしておそらく、最もしっかりととどめをさしたのは、昨年の夏、MTVとTumblrがvaporwaveの比喩であろうものをブランド再生のヴィジュアル面に取り入れた時だろう。
しかし、vaporwaveの美学を流用したのは巨大企業だけではなかった。Drakeの“Hotline Bling”のミュージックビデオは、ネオンパステルカラーのミニマルアートと80年代のラウンジ風のヴィジュアルを「vaporwaveへのトリビュート」のようだと避難された。Tom BarnesはMicで、Kanye Westの最新アルバムのジャケットを「ひどくシンプルなvaporwaveの美学」だと言った。音楽の世界の外へ出ても同じだ。今月は、ロボット・トランプ(Donald Trump)が「ばかげたvaporwaveビデオ」の中で世界を破壊するということが起こっていた。何年も前に死を宣告されたジャンルの割には、vaporwaveは私たちみんなのイマジネーションの中にまだまだ存在し続けたままだ。たとえ、必ずしも多くの人々がそのジャンルに気づいているわけではないとしても。私たちにとっては重要なことであり、その死を知らなければ関連性を保ち続けることはできる。
ジャンルが“死んだ”と言われる時には、ふたつの意味があり得る。そのジャンルが市場の製品としての有用性を終えたということ(ライフスタイルの変化などによって)。あるいは、もはや私たちの生活には関連性がないということ。vaporwaveは経済的に“成功”したことがないので、前者ではない。私たちは今でも失敗に終わった楽園、ゴーストユートピアにとりつかれているので、後者でもない。vaporwaveは、アメリカの歴史における私たちの時代に必要な表現を提供し続けている。その歪みやねじれは私たちの経済的、文化的衰退をひきうけているのだ。
人々がvaporwaveは“死んだ”と言う時、マーケティング用語そのものの流用、そのジャンルが淘汰されてしまわないようにするために“売り切り”行為の前に行なわれた計画的、あるいは、人工的な衰退の流用であると、その宣言をとらえた方がいいだろう。vaporwaveはhip hop、pop、カントリーミュージックのように製品にはならない。だから死んだ。ああいった風に売られることはこれまでもなかった。そう、その意味では、常に“死んで”いたのだ。
vaporwave万歳。
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(* )の説明は追加しています。
(** )の書籍、調べてみた限りでは、現在のところ日本語翻訳版は出版されていないようです。日本語のタイトルは私が訳したものです。正式な書籍名ではありません。
リンクなどありませんが、ロボット・トランプのビデオはおそらくこれではないかと思われます。
MTVとTumblrの件についてはコチラ。
https://ameblo.jp/chocolat-et-framboise/entry-12325380062.html
とてもおもしろい記事でした。これまでなんとなくもやもやしていた“Vaporwave is dead”について、かなりすっきりしました。ライター名の記載が見当たらないのですが、書いた方のvaporwaveへの愛情が感じられる記事だなと思います。Long live vaporwave.
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