前回のブログについて、エディスンさんから、
ルパン2ndについて
過去3年間日本にいなかったから全てニセモノって言うより、ルパンの2ndシリーズって、そもそも、ほとんど海外の話じゃなかったでしたっけ?
----とコメントをいただいて、なるほど、補足説明が必要かなとも感じたので。
前回の内容をまとめますと、
*宮崎駿が照樹務という変名で、

宮崎本人は変名を使った理由を明かさなかったが、「私が照樹務です」と、本名で堂々とインタビューに答えてちゃ意味がないし、意図はミエミエですが…。
*TV 2ndの最終回の年代設定を、番組終了翌年の1981年とし、

西新宿の
新宿住友ビル(210.3 m 1974年3月6日竣工)
新宿三井ビル(225 m 1974年9月竣工)
新宿野村ビル(209.90m 1978年5月竣工)
安田火災海上本社ビル(現・損保ジャパンビル 200 m 1976年3月竣工)
新宿センタービル(222.95m 1979年10月31日竣工)
京王プラザホテル(本館・178メートル 1971年6月開業)
に代表される、70年代に次々に建設された近代高層ビル群は、
日本がもはや敗戦国(戦後)ではないことと、繁栄(と堕落)の象徴として、この頃のジブリ系(宮崎・高畑)アニメに、皮肉混じりに登場した。

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*その間、つまりTV 1stの最終回(1972年3月)で、ルパンが海外(中国)逃亡をほのめかしてから約10年、

銭形「バカめ、そっちはお前、アメリカだぞ」
ルパン「ヌホホ ほいじゃ中国にでも行きましょうかね」
日本にルパン三世は不在で、
*その間日本でルパンを名乗っていたのは、

どうせニセモノに決まってるんだから、
*その期間中(1972年4月頃~1981年)に、日本のテレビアニメでいかなるルパン三世のエピソードが語られようと、(それが日本国内の話であれ海外の話であれ)どうせウソッパチに決まっているという、
宮崎流の、TV 2ndの全否定であり、
正史としては認めない宣言
といえる。
よりによって最終回で、これまで他者が丸々3年間かけてコツコツ積み上げてきたものを全てぶっ潰したんだから、こりゃあたしかに、本名じゃ堂々とやれっこないよな。
もっといえば、「ルパンが日本にいること(=実在しているという大前提)」と、「個々のエピソードの舞台設定」は別個に考えるべきで、
TV 1stだって、
3話の「さらば愛しき魔女」(これは前任者の大隅正秋の担当回だが)

とか、
(高畑・宮崎に演出が交代してからの)11話「7番目の橋が落ちるとき」

↑五ヱ門が出て来ないので、ルパンが日本に来る(第一話より)前の話なのかもしれない。
とか、
14話「エメラルドの秘密」

↑ゲストキャラの名前が、「キャサリン」とか「レイモンド」、
「ニップル(「乳首」の意味!)伯爵」と、ことごとく外国人!
のように、「どこの国の話やねん(=日本が舞台じゃねえだろ!)」としか思えないエピソードがあるからと言って、
最終回の(日本を舞台にした)内容が説得力を失わないのと正反対に、
TV 2ndはことごとく説得力を欠く内容なので、そこで描かれたストーリーの舞台が、日本国内だろうが海外だろうが知ったことか(=宮崎駿の絶対評価に、何ら影響を与えない)というわけである。
んでもって、話ついででもないが、ルパンは(宮崎セオリーに従えば)日本に不在の1972年から1981年まで、別に死んでたわけじゃなく、海外で何かしらの活動をしてたんだろうから、それなりの正史があるはずだけど、宮崎駿にとって、その正史は何かと言えば、
もちろんそれこそ、
自分が手がけた『カリ城』であり、

これによって、ますます『カリ城』の年代設定を1968年にしたのは、どうにも辻褄が合わないことに…。
その続編(的意味合いの深い)「死の翼アルバトロス」なわけで、

『死の翼』エンディングの情景的つながりから行くと、時系列的には『アルバトロス』が先で、『カリオストロ』が後の可能性もあるが、いずれにせよ、2つともルパンが日本に不在な頃のヨーロッパ冒険譚であることには違いない。
だからこそ『カリ城』の舞台は、
↓ヨーロッパ小国のカリオストロ公国、

↑「死の翼」の舞台は、そこから遠くない地中海周辺で、
この2作でルパン逮捕のために、
↓埼玉県警を引き連れてインターポールに海外出向していた銭形が、
銭形を「昭和一ケタ」とするルパンのセリフは、「死の翼」にもしっかりある。

↑「さらば愛しきルパンよ」で日本に戻ってくる、というように、この3作はしっかり繋がっている。
では、宮崎駿は、自分が関わっていない映画1作目(『ルパンVS複製人間』1978 以下「マモー編」)は、

正史と考えたのだろうか?
答は、いったん組み込んでも良いかなと考えながら、途中で心変わりして、「やっぱりやめた」と除外した。
これも証拠がある。
「死の翼」で、(しかたなく)一瞬だけルパンが羽織る赤ジャケの鮮やかな(朱色寄りの)色と、冒頭で撃ち抜かれるジャケットのピンク色は明らかに異なっていて、

そのピンクこそ、マモー編のルパンのジャケット(およびその大元のパイロット版)の色だから。
わざわざ登場させたものを、あえてズタボロに撃ち尽くす真意は、容易に想像がつくだろう。
と、このように、宮崎作品は異様かつ執拗に芸コマなわけだが、
ではなぜ宮崎駿は、こうした芸コマを総動員してまで、マモー編とTV 2ndにあからさまな敵意を燃やし、全否定という攻撃に打って出たのか?
それはもちろん、内容的には自分の作品の方が絶対に優れているという自信があるのに、商売的には両者の方が成功していたからである。
『マモー編』の興収9億1500万(1979年邦画配給収入9位)に対し、『カリ城』は約6.1億円。
TV 1stはわずか半年23話で終了したのに、2ndが丸々3年間、期間にして実に6倍も続いたことへの腹いせ以外の何物でもない。
というところで、ようやく続く~。