赤?緑?ジャケット色の秘密『カリ城』後/ルパン三世展40+α〈その11〉 | アディクトリポート

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この続きで、かれこれ通算11回目。
もはや執筆動機の
ルパン三世展40+α
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は、ほとんど無関係に…。

『カリ城』(1979年12月15日公開)の時系列が、
TV 1stより
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後(10年以上後という設定)になるなら、
なぜジャケットが当時現役(TV 2nd=開始時に1stの5年後という設定)の赤でなく、
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緑のままだったのか?
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これは宮崎駿が、
「1stの後の時代は、自動的に赤ジャケ」
だと括(くく)ったりせず、
むしろ「赤ジャケのルパンなんて、ニセモノじゃんか。
純正のホンモノのルパンは、やっぱ
(自分が手がけたTV 1st同様に)、
緑ジャケでしょ」
つまり
「赤ジャケなんて、ルパンじゃない!」
という主張だったと思われる。

これが憶測でないことを裏付ける証拠がある。

そもそも宮崎駿の『カリ城』参加は、
彼より先に映画2作目の監督を依頼された、大塚康生から持ちかけられた。
そのため日本アニメーションの『未来少年コナン』(1978年4月4日~10月31日)を終えて、
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同社で、『ハイジ』(※この時点ではズイヨー
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-haiji
『母をたずねて三千里』と
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-400
同じ布陣で高畑勲と組んで、
赤毛のアン』(1979年1月7日~12月30日)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-あん
に取り組んでいた宮崎が、途中で離脱。

日本アニメから、先に大塚も移籍していた、東京ムービー系の
テレコム・アニメーションフィルム(以下テレコム)に移籍した。

そしてテレコムの社員の仕事として、本シリーズ終盤2作品の脚本と演出を、照樹務(てるき・つとむ 又は てれこむ)名義で担当。

1本目は、第145話「死の翼アルバトロス」(1980年7月28日放送。以下「死の翼」)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-さんれん
↑「死の翼」(下)の作画、キャラクターデザイン、アクションは『カリ城』(中)を踏襲し、それはすなわち、「コナン」(上)を引き継ぐことも意味している。

『カリ城』がルパン版『未来少年コナン』だったのと同様、
「死の翼」は『コナン』のギガント編(24話「ギガント」25話「インダストリアの最期」26話「大団円」)のルパン版再現と言える。

この「コナンをルパンで再現」という一連の動きは、
宮崎駿が師たる高畑勲から離れて、初の単独演出作品として渾身作だった「コナン」が、日本アニメーションにズタズタにされた(宮崎駿の名前を除外し、「劇場版」として1979年9月15日に公開)ので、せめて今の職場(東京ムービー)の財産にし直したかった
----のだろうが、それはともかく、
宮崎駿はこの回で、ルパンが赤ジャケットを着ないようにと、
徹底的な妨害工作を謀っている。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-こま
*まず、ルパンはランシャツ姿で登場。
すき焼きを食べているところを銃撃され、壁の赤ジャケを撃たれてズタボロにされてしまい、
*その後はブルーのワイシャツ姿。
*次の場面では、銭形に変装したため、彼のコートをまとい、
*ようやく人質交換の場面で、赤ジャケを短期間だけ着用するも、
*ほどなく取り調べでパンツ一丁にされてから最後まで、ずっとパンイチのままで過ごす。


そうまでして、ルパンに赤ジャケをまとわせたくないのか…。

そしてもう一編は、TV 2nd最終話の「さらば愛しきルパンよ」(1980年10月6日放送)

この最終話は、『カリ城』の再現であり、実質的な続編。
同時に『ナウシカ』『ラピュタ』の原型だが、
↓たとえ声が島本須美でも、これはナウシカではなく、小山田真希です。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-darara
↑たとえ形状は同一でも、これはラピュタのロボット自動兵ではなく、有人操作型のラムダです。

それはともかく、
赤ジャケルパンは冒頭から出ずっぱりだが、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-にせ
実はニセモノという位置づけ。

ホンモノは海外から日本に戻ってきたばかりで、はじめは銭形に変装。
ようやくラスト近くで、赤ジャケットを羽織る。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-はた

本当は赤ジャケを羽織らせることさえ避けたかったろうが、当時の宮崎駿には、これができる精一杯だった。

というのも、
「映画『カリ城』など知ったことか」
「TV 2ndはとにかく大成功!」

という位置づけの当時のテレビ局側(日本テレビ)は、TV 2ndが3年間の放送期間に育(はぐく)んだ絵柄とまるで別物の、「死の翼」と「さらば」の受け取りを、いったん拒否したくらいだから。

だけど赤ジャケ云々よりスゴイのは、
*最終話の時代設定が1981年、つまりこの回が放送される1980年の翌年の「未来(今から先)の話」で、
*ホンモノのルパンやその仲間、銭形まで含めて、それまで日本を離れていた

----という設定。

つまり宮崎駿が言いたかったのは、
「TV 2ndで放送された、丸々3年間(1977年10月3日~1980年10月6日)の内容なんて、ホンモノのルパンが不在だったんだから、全部インチキ、ニセモノ、作り話だったんだよ」
と言うこと。

こんなのを堂々と通しちゃうんだから、当時の東京ムービーって、すごい会社だったんだなあ。
 
もっとも、天下の宮崎駿のやることに誰も文句が言えず、制作現場はほとんど無審査、ザル体制だったんだろうし、「TV 2ndが総じてゴミ」という認識は、たしかに正解だとは思いますがね。
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またつづく。
(終わらない…)