山形県の吾妻連峰の北川標高1300メートルの奥深い谷間に湧く秘境温泉に行ってきました。飛行機の予約をしていたはずでしたが、フライト時刻を確認すると朝8時発ではありませんか!これは大変と出発前にササッと荷物を準備して、リムジンバス乗り場まで徒歩で向かいました。
最悪だったのは、先月購入したリムジンバス回数券がすぐ出せず、交通系カードで乗ってしまったことです。使い勝手の悪い回数券は多分次回は買わないかもしれません。なかなかログイン出来なくて、仕方なく交通系で払ったら、出発後に回数券が出てきました。払い戻し不可とのことで、回数券は使わず交通系で支払いになってしまいました。
思い起こせば昨年のことです。Vivduraを打ち始めて調子良く過ごしていたある日、激悪化モードに陥っていきました。それが山形に旅行に行く前日でした。秘境行きは諦め、予約している温泉旅館でダラリと過ごして何とか乗り切ろうかと考えましたが、朝起きたときに「やっぱり秘境に行きたい!」ということになり、目が見えないなりにも運転して秘境温泉を2ヶ所まわり、そこから数十キロ離れた宿泊先の旅館に向かいました。その時に悪夢は起こりました。あの悪夢の件は今でもトラウマになっています。
翌朝、空港に向かう時には高速の標識が見えず、単なる緑色の板にしか見えません。頼りはナビの声のみです。ガソリンスタンドもオレンジ色だからエネオスかな?みたいな感じ,、たった一晩でみるみる悪化。その後も遂に再び呂律が回らなくなり、物がほぼ飲み込めない?週単位で抗体価が倍になる様な現象。後から分かったのは、抗体価が一気に跳ね上がるように増えていたことでした。
あの時、悪化の兆候が無かったなら、通称で山寺(宝珠山立石寺)と呼ばれているお寺に行ってみたかったのです。
出発して飛行機の中でも悩みましたが、取り合えすは山寺に行ってみようということにしました。目がすでに怪しく、次にVivdura打ち始める前まで何とか現状維持できれば良いのですが、とても怪しいモードでした。足が日々痛く、もうこれは多分治らないけれど、MGの禁忌薬服用すると少しだけ改善はするのですが、逆に脱力感は強めてしまいます。歩くのも自信無く、手すり持ちながらゆっくり行けば良いといった気持ちで向かうことにしました。
悩みながらも、空港で予約していたレンタカーを探し(今回は秘境に行くために軽自動車を借りました。)山寺にナビの目的地合わせスタートしました。山形空港は熊出没で最近話題になっていましたが、レンタカー会社の人の話ではもういなくなったとのことでした。「それにしても一体どこから熊が来たんでしょうね〜」と車借りるなり熊の話題は尽きませんでした。
ナビに導かれ山寺の近くまで来たものの、駐車場が分からず、民間の24時間500円という激安駐車場に停めて山寺へと向かいました。後から分かったのは山門横に24時間500円のオフィシャル駐車場があったということでした。山寺周辺は24時間500円が相場のようです。
自宅を出る時に日傘を持ってこようか悩みましたが、帽子とアームカバーにしました。地獄の様な蒸し暑さの私ん家近辺と異なり、気温は22度と過ごしやすく、坂道を登っても心肺に至っては何の苦しさも無く、汗さえもかきません。7月の本州にこんなに快適な所が存在することに驚いてしまいました。
山門らしき所を見つけ、順路に従いにお堂を回って行くと、写真で良く見かける開山堂という切り立った崖に立つお堂にたどりつき、もう一つのクライマックス、清水の舞台の様な見晴し台五大堂に辿り着きます。松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句を詠んだ地なのだそうで、山岳信仰のように岩の上や隙間に朽ちたお堂が見られる様な所でした。
スペイン好き?の私からすると、クエンカかモンセラートといった感じの岩がちな所?で、五大堂はermitad(見張り台)といった感じでしょうか?どちらかと言えば清水の舞台の方がイメージに近いかも知れません。とにかく五大堂はインパクトの強い場所でした。
※山寺と言えば有名なお堂(開山堂)の風景と一緒にこの小さな建物も存在するのですが、こちらは納経堂とのことでした。この下には慈覚大使の遺骨が納められた入底窟があるそうです。(もしかして即身仏?遺骨だからミイラではないから違う?)開山は860年で古来より悪縁切寺として信仰を集めているようです。
※山寺といえば良く目にするこのお堂(開山堂)の風景です。お寺を開山した慈覚大使の廟所で木造尊像が安置あれているそうです。(ここが本堂かと思っていたら違っていました。)
※こちらが本堂奥の院と呼ばれる如法堂です。何とも立派な金色の阿弥陀如来像が祀られていました。大仏殿はお参りすると悪縁切りの後利益があるとのことで、しっかりお参りしてきました。
※華蔵院の横にある三重小塔で重要文化財なのだそうです。岩の中に入っているのであまり分かりませんが、文化財に指定されている三重の塔では日本最小なのだそうです。
昨年立ち寄った秘境の湯でお話した山形のマダム(愛読書は「孤高の人」で六甲山に登ってみたいと話していた)がお勧めと話していた秘境のお餅屋さんに行ってみたくて、山寺近辺ではあえて食事はせずに、「峠の茶屋」さんに目的地を合わせ高速を走りました。軽自動車なので、走らないことと言ったら。。。瞬間2車線になり再び1車線になるまでに前の車を追い越そうとしたのに、全然加速しない車でした。
心地よい気候は霧がちとなり、トンネル抜けると土砂降りの雨に変わっていました。進めば進むほど道は狭くなり、すれ違いが難しくなって行きます。雨と霧と難関な山道。軽自動車の腕の見せ所?曲線カーブを曲がっる瞬間、SUV車とあわや正面衝突!びっくりする様なシーンでもスレスレですれ違い、ある箇所はバックしなければどうにもなりませんでしたが、狭い山道を走るには軽自動車は多少大きな対向車が現れてもすれ違える点では快適でした。
「峠の茶屋」さんは2軒あるみたいで、お餅屋さんでは無い方に行ってみたのですが、閉まっていました。お餅屋さんは空いているとのことで、念願かなって伺うことが出来ました。
結局そこはお餅屋さんなので、お餅の他にある食べ物はうどんかそばの麺類でした。昨年食べにくくなった時は麺類は完全に食べれず、結局今でも何故かスルスルッと食べることが以前の様に出来なくなってしまっています。麺かぁ〜と少しがっかりしながらも、悩んだ挙句山菜そばを注文しました。そして持ち帰り用にと4種類入りのお餅。しかし後からお餅こそが食べ難い食品だと気付くことになるのですが。
出てきた山菜蕎麦は何というのでしょうか?煮込み蕎麦みたいな柔らかめのごった煮的なお蕎麦でした。何とも不思議なお蕎麦で、何処か知らない遠い地方の味付けでした。柔らかめに炊き込んだ様なお蕎麦は、今の私にはやや食べやすい感じがしました。勢いよくはないのですが、何となく麺を折りたたみながら少しづつ頂きました。
※煮込み蕎麦の様な山菜蕎麦は、麺が柔らかく、しっかりとお出汁が染み込んだお蕎麦でした。
※4個セットの内1つは納豆だったのですが、途中で納豆がこぼれて匂っては嫌なので、ずんだに変更してもらいました。お餅に納豆をかけて頂くなんて、興味津々だったのですが、持ち帰りのため無難にずんだにしました。本場のずんだは大変美味しかったです。デパートの催事や全国銘菓コーナーなどで買わなくも無いのですが、これが本物なのか!といった感じでした。甘すぎない美味しさでした。
そこからラストスパートです。お店の女性は「よくぞこんな山の中までやってこられました!がんばって姥湯さんまで行って下さい!」と見送って下さいました。道は更に細くなり、雨と霧でで気温も16度と低い中、秘境温泉へと向かってゆきました。雲の中を走っている様な幽玄の世界を彷彿とする、不気味ともとれない風景の中、蛇行した山道は続いて行きました。昨年お話した山形のマダムから「あそこは軽トラのじいちゃんが崖から落っこちて亡くなってるんだよ~」と聞いたことを思い出し、油断せずに慎重に目的地を目指しました。
やっとの思いで駐車場に辿り着いたものの全てのスペースが埋まっていました。仕方なく路肩に寄せて、既に停まっている車に縦列で停めました。ややスロープ気味になっており、備品に車止めは無く、朝起きて勝手に車がずり落ちていたらどうしよう?などと考えましたが、後から旅館の人に確認し、そこも停めても良いスペースで大丈夫とのことでした。
雨は小雨になったものの、そこからが勝負でした。リュックを出して手荷物を詰め背負いました。キャリーは引ける所は引き、引けない所は持ち上げながら、釣り橋を渡り、霧と小雨の中やっとの思いで旅館に到着しました。
到着後は従業員さんが荷物を運んで下さり、食事や混浴と女性の入浴時間、お布団を敷く時間などについて説明して下さいました。手際よくしないと各露天に上手く入れません。疲れていましたが、まずは手始めに手前の女性の露天に入ることにしました。
瑠璃の湯という露天は昨年は立ち寄り湯で、太陽が眩しく、日焼けを気にしながら木陰で湯につかりましたが、夕方に入れるのは宿泊者の特権です。グリーンがかった乳白色の湯がかけながされる岩風呂は、硫黄の香り漂う最高の露天風呂でした。
※夕食時間前の束の間に女湯に設定されていた瑠璃の湯に入ってきました。夕方の冷たい外気の中に入る硫黄のお風呂は格別でした。アクセス困難な秘境であっても再びあの湯につかるためなら苦にも思わないほど上質の硫黄泉です。
慌てて部屋に戻ると食事の時間です。食べきれないほどのお料理は、特に説明はありませんでしたが、お刺身が鯉で恐らく煮魚も鯉であろうというのが何よりも驚きました。山の幸と米沢牛と、お米は勿論山形米なのでしょう。DM専門ドクターから血糖値が急激に上がる食べ方はやめるよういにと注意を受けていましたが、この時ばかりは折角のお料理なので、美味しく頂きました。食べにくさは一応大丈夫なものの、物によるというのでしょうか?喉のある部分で鼻に抜けてしまいそうになり、強く意識して飲み込むとまあまあ大丈夫でした。いつの間にか自然に食事をするというのが難しくなっていると感じました。
※食事の説明があった訳ではないのですが、お刺身が鯉の洗い、煮つけも鯉だと判断しました。山菜メインなのですが、先日の岩手とはこれまた異なる調理方法や味付けのお料理で、本当に感動的なお夕食でした。お魚もあるのに米沢牛のしゃぶしゃぶもあり、一体なにから食べれば良いのか迷ってしまうほどでした。この後にも追加の料理が出てきました。
夕食時間が終わると、混浴と女性のお風呂が入れ替わる時間になります。その前にお布団を敷いて下さる予定が入っており、部屋にいないといけないので、お布団を敷いて頂いてから、入れ替わったお風呂(2種類)に出かけて来ました。
こちら1つの露天(山姥の湯)は昨年に勇気を出して混浴入浴しています。しかしもう1つ(薬師の湯)はどうにもこうにも裸を隠すのが難しく、歯がゆい思いを残しながら断念しています。まずは薬師の湯へと向かいました。奥深い山の谷間に流れる上質な硫黄の岩風呂に浸かる醍醐味と言ったらもう言葉では表現することは出来ません。
※昨年は混浴で入りそびれた薬師の湯です。この大自然の中で薄緑乳白色の硫黄泉につかる醍醐味といったらこれ以上の贅沢はありません。
当初だれもおらずひとりで大自然の中の湯につかる時間を堪能しました。続いてはお隣の山姥の湯に向かいました。本来なら浴衣を着て移動するのですが、面倒なのでタオルを巻いてそのまま移動しました。少し離れたところの瑠璃の湯が混浴になっているので、男性がやってきたなら見えてしまうのですが、タオルを巻いていたので問題無いでしょう。
山姥の湯は冷たい風が吹き抜けるとても心地の良いお風呂でした。山姥が赤ん坊を抱いて入浴していたという言い伝えが、本当にあった話だと想像出来る、荒々しい切り立った山肌を見上げることが出来る岩風呂です。しばらくつかっていると暑くなり、岩の上に寝そべり、またつかるというのを繰り返していると、自分自身が大地の中に溶け込んでゆくような不思議な心境になってゆきました。
もう一度だけ薬師の湯を堪能して一旦部屋へと戻りました。
8時を過ぎると瑠璃の湯が再び女湯に変わったため、夕方とは異なる薄明かりの中、硫黄の良質な湯を堪能しました。最後に内湯で硫黄の匂いを全て流してお部屋へと戻りました。
折角お布団を敷いていただいたのに、座椅子を枕に横になるとそのまま意識消失しており、真夜中に気づいてお布団の中に入りました。清潔な白いシーツで寝たのは数時間でした。
秘境温泉の旅は翌日へと続きます。。。























