2024/12/8(日)  00:55

 

 

 

とある快晴の土曜。妹とGLAYの30周年ライブに参戦してきた。めちゃくちゃ良い経験になった。

 

物販はスムーズでさほど待たずにグッズ購入できたし、ライブ中はファンの方々の愛情が素晴らしかったし、規制退場では順番守ってこちらもスムーズに済んだし。それに、80年代や90年代の音楽を、自分たちの音楽を信じて表現する、愛を届けるというアーティストの在り方というのもまた素晴らしかった。どのように音楽と向き合うのかというのは、決してGLAYなどの超一流アーティストに限られた課題ではないだろう。ファンが数人程度しかいない地下アイドルなどでも、対峙すべき課題だとは思っている。少なくとも、ファンの多少によって、もしこれを夢の如き誇り高く抱けるのであれば、それを棄てるべきではない。

 

そんな感じの体験録というのを、今回著そうとは思っていた。しかし、この前日に開拓した某アジアンエステについても全然書けてないことからも自明かもしれないが、このところ、ブログ執筆する時間が無いほどに、プライベートが充実し過ぎてしまっている。特にこの12月は忙しい。GLAYライブ参戦に限らず、とき宣もライブ参戦するし、他土日ではドクターXや推しの子、孤独のグルメなどの映画を回収しつつ、隙間時間で桃鉄ワールドの幻獣調査イベント攻略の糸口を探るといった具合だ。

 

ただ、12月全体が仮にそうだったとしても、この12月7日に関してそうだと当て嵌め難いのは然りである。その通りだ。なので、体験録を著せない真の理由としては、上記以外のコンテンツの割り込みにある。ということで、今回はそのあたりを主に書いていきたいところだ。そんなわけで、掲げた表題、後出しじゃんけんというのが理解できるに違いない。

 

 

 

GLAYライブ参戦から帰宅したのは21時45分頃である。帰路、途中で市ヶ谷駅で一旦降りて、空腹過ぎたのでラーメンと葱御飯を掻き込んで帰宅した次第だ。なお、この食事も急いで済ませたのだが、その理由として、22時から、とき宣のYouTubeプレミア公開があったからだ。動画の内容は、池袋サンシャインシティ噴水広場でのリリイベについてである。とき宣についてはクリスマスライブに参戦予定なので、予習しておきたいといった意図もあるが、そこまでモチベが上がる理由として、総じて歌唱力が高くかつ王道アイドルとしてプロデュースが軌道に乗っていると感じるからだ。経歴長いメンバーにとっては、アイドル界全体で卒業や解散が相次ぐ状況なので、彼女たちも何かと気にしているに違いない。なので、今回の参戦は本腰を入れて臨みたい。話を戻せば、リリイベ様相、アルバムランキングはデイリー2位と、正直惜しい結果となってしまったが、CDやDVDなど、物理コンテンツが不況の中でも2位というのは十分凄いことではと思ってしまう。とき宣については、デジタルコンテンツだってすっかり充実しているので、それでも2位に食い込めたのは凄いことな気がしている。そんな発表もあったが、他内容としてはケーキが出てきたりアルバム開封してみたりなどと、良くコンパクトにまとめられていると感じた。最近ではバラエティーなど活動の幅を広げているが、やはり彼女たちは、ステージの上が一番似合うし、活き活きしている。リリイベでのライブ様相だけでも十分、それを再確認できたので、来るSSA、広い会場と言えど、彼女たちの生きる姿を目に焼き付けたい所存である。

 

そして続いてのコンテンツが、23時から公開された、乃木坂46、5期生楽曲MV公開直前での、これまでの5期生楽曲の振り返りとしてのYouTube1時間特番であった。特番、とざっくり書いたものの、中身としては、メンバーは合間に軽く話すだけで、ほとんどが歴代MVが流されたに過ぎなかった。とはいえ、である。個人仕事でもすっかり充実している彼女たちなので、その状況でもコメント録りかあるいは23時過ぎなので考えにくいがリアルタイムでコメント入れて、だけでも十分頑張っているのではと思えてきてしまう。定期的なアンダーライブの開催などといい、物凄いスピードでライブを行っているし、正直心配してしまうぐらいではあるが、ただ、その活動量ほどには苦しい、つらいなどといった様子が見えてこない。だからといって真にしんどくないかは知る由も無いので割愛するが、こうして特番組んでもらうことで振り返ることもできたし、貴重な時間だとは思った。

 

この流れから自明ではあるが、24時に公開された、5期生楽曲、新曲MVである。念願の岡本姫奈センターである。

 

 

 

 

((ここで貼り付けるのがMVじゃなくてブログっていう←←))

 

いやでも、彼女が如何に、周りの人たちの暖かさに感謝できる子かっていうのが伝わると思う。当たり前なことだとは思う。ただ、それを改めて、言葉に起こしてってなると、また違うんじゃないかなとは思う。筆者のように、目の前に第三者を思い浮かべて言葉を起こすような人は例外だとしても、普通ならば言葉に起こすとなれば、一旦反芻して、推敲して、ようやくタイピングするなどして言葉が画面に映し出される。なんてことを書かずとも、自分事のように喜んで共有してくれる人が多くて嬉しかったことが素のまま伝わるに違いない。そんな子が、今の乃木坂46にいるということ。財産だと思う。

 

そして、MVの内容だが、筆者は5期生楽曲のMVは特に注目している。どのメンバーをセンターとして選んで、如何なる世界観を描いてくるか。乃木坂46に限らずとも、大人数グループにおけるセンター選定およびプロデュース全体というのは、そう簡単なものではない。楽曲の顔であるセンター、グループを取り巻く状況や季節性など考慮して、選定する。もちろん、5期生でひと通りセンター起用する、といった側面もあるが、じゃあ逆にそれだけの理由で起用できるのか。否、前述の通り、選ぶからには描きたい世界観があって、展開や構図など練る必要がある。筆者は以下の理由から、非常に合点のいく作品だと感じた。

 

 
 

 

 

 

((YouTubeのリンクも貼っておこう…、いや思ったより書きたいこと多かったし飛べる方が嬉しいはず…))

 

まず冒頭を観て、宇宙との交信を連想した。アンテナだってあるし。交信が叶って、な感じで波長が変化するのだが、ここで一歩踏み込んで、交信するとなれば相手がいるはずだと考え、UMAを思い浮かべた。最近では、ダンダダンのアニメ放映や、桃鉄ワールドでのムー大陸追加など、UMAなどへのブームが来ているんじゃないかと思っている。たぶんそんなタイミングで世界観を描いた方が、奇妙に映る懸念だって薄いだろうし、かつ描写自体もかなり控えめにしているのが良い。これ以外であと挙げるとすれば2サビ以降での月を模したようなライトアップ様相ぐらいだろうか。ここまで来ると考え過ぎな気もしてくる。

 

続いて浮かべたのが、歌詞などにも描かれているように、光と愛の比較である。光よりも速く移動できないというのは自明だとしてもそれが情念などについても想いを馳せればどうだろうか。故に相対性理論を信じないとしても、実際に逢いに行くとなれば井の頭線という、せいぜい電車程度の速さで移動することしかできない、現実世界のもどかしさも感じ取れる。ただ、だからといって、愛を諦めるわけではない。矛盾的かもしれないが、それが次に記すことに繋がってくる。

 

それが、姫奈が光を求めて駆けるシーンである。ここで、光、をアイドルとしての夢や理想などと重ね合わせてみれば、センターを務めることがその一つ、とすれば、この夢というのが長く叶わなかったこと、そんな現実をもどかしく想い葛藤する姿というのが表されているように、筆者は考えた。光よりも速く移動することはできない。そんな理というのを、何らかの都合で片付けられてしまうアイドルの限界性と重ねてみればどうだろうか。彼女とて、何度も心が折れて諦めそうになったことだってあったはずだと、つい考えてしまう。それがようやく、念願叶ってセンターである。ここまで考えるのはさすがにやり過ぎな気もするが、ただこう考えてみれば、あの描写、そしてメッセージ性というのは、最後である彼女じゃないと務まらないものでもある。

 

 

 

なんだかんだで結局、推しである岡本姫奈のセンターMVについていろいろ語ってしまったが、改めてやはり、最後に書きたいのは、人財を漏れ無く活かせるプロデュース力の高さである。センターに立たせるとして、上記では世界観などを主に据えて理解したものの、今の時代、アイドルとして務める側だって納得のいく作品でなければ、相乗効果は生まれないし、それが無ければ他を差し置いて売れる、愛されることなど叶わないものだ。プロデュースしている、アイドルとして人生を預かり持っている少女というのを、魅力や個性を引き出して十二分に活かすこと。本当にアイドル界は良く発展したと思う。感謝が尽きない。運営として携わる方々、ファンとして惜しみ無く愛する方々、そして同志として励むメンバーの方々。

 

目頭が熱くなる。何度考えてもやはり、岡本姫奈、彼女を乃木坂46として、アイドルとして、生かしていただいている方々への感謝が尽きない。本当に良かった。また一人、アイドルとして確かに活かされた。

 

アイドルとして生きる少女たちの一層の幸せを願って。(4000字)