2024/8/24(土)  14:11

 

 

 

前記事の通り、作中終盤で主に描かれていた彼の情動について考えてみるが、母親という大切な人が殺された、しかし自分はどうすることもできなかった、といった感じの状況を仮に、あくまで仮の話だが、筆者も同様に体験したところで、決して筆者は幼児でもないので、一般人として既に得た人生経験はまだ陽のままで残り続ける。復讐だってすぐにできてしまうだろうし、人物の相関や出来事を揃えたところで、決して同じ経験はできないわけだ。その方が平和で幸せなのかもしれない。

 

故に、彼には完全には共感できないのが惜しく感じられる。人間に興味がある筆者なので、それが如何にアニメの登場人物でなかったとしても、写実性強いアニメが故にどうしても共感を同程度に獲得しようと願ってしまう。とはいえ、普通に人生生きていればあまりにも遠すぎる条件なので、そこまで揃えずとも何か近いもので共感できるのかで考えたい。

 

そう。ここで詰むわけだ。それこそが今回、自己対峙として議論したいことである。

 

これまで筆者は、大切な人に逢えなくなった、という経験を得たことが無い。幼少期はすっかり記憶から抜け落ちたし、小学校では幾多と課せられた習い事に忙殺されて対人交流は疎か、中学校では何度か片想いはするが全て失敗に終わり、高校はそんな経験からひたすら学業に打ち込んで大学へ行ったはいいが全然遊んでいなかった反動でひたすらライブに行って浪費の毎日。まともな恋愛ができなかったのは、恋愛が立ち入る隙が無いほどに何か別のことに時間を費やしてしまったことが大きい。

 

大人での恋愛というのは、そんな未成年時の恋愛経験の有無によって大きくアドバンテージが変わってくるだけでなく、恋愛をせずとも人生を充実させることは可能だという思考へと自分自身を追い遣ってしまう。故に筆者としては、学生時代に一番学ぶべきことは、恋愛なども含む対人交流だと、鋭く発したいのである。学業なんて正直どうでもいい。主に据えられた5教科を真面目に学んだところで何になる。今の時代、それを記憶しているよりも、どう検索すれば出てくるのか、というスキルを身に着けた方が得だと考えるし、スキルと称したがさほど時間かけなくても習得できるものなので残りの時間は友達や恋人などに捧げて、他者という人間と関わること、コミュニケーションをとって連携すること、これを特に学んでほしいと考える。

 

 

 

だいぶ逸れたので話を戻すが、じゃあ、作中の彼は恋愛経験などあったのかというとそうでもないし、あくまでビジネス上の彼氏彼女ということで付き合っているぐらいだ。あくまで、大切な人を喪う経験を得るには、と考えて、交際レベルまで発展した恋愛経験が豊富である方が遭遇しやすいのでは、という勝手な偏見で上に著した次第ではあるが、そういえば家族や友人を大切にできているか、という点でも、今日の筆者はすっかり無機質なものだ。もちろん業務などであれば仕事だし他者に関心を持って接することなどは全然するのだが、プライベートまで、と考えれば、一気に億劫に感じてしまう。

 

前述の通り、他者という存在無くしても人生を充実させてしまったことももちろんあるが、これに関連して、今日、アイドル応援を趣味の一つとして深くのめり込んでいることも大きいだろう。もちろんアイドルに友達や恋人の要素を求めているわけではないのだが、そうでなくとも、SNSや他Web媒体や雑誌やテレビなど、様々な形式でアイドルを見て知ることができる。よくイメージしていることではあるが、0.1%の人間味が1000人分集まれば100%になる、といった感じで、超が付くほどに対象問わず広くアイドルを応援していれば、それが女性アイドルと限定を設けたとしても、十分、間に合ってしまうわけである。

 

それでもたまに、家族や職場以外の生身の人間と長時間話したい、と思う時があるので、その際に風俗へ赴くだけである。ただ話すだけだったら別の店でもいいのでは、となってくるが、メイドカフェやコンカフェはキャスト1対客複数で対応するのが一般的だし、1対1を確約している水商売系については安いけどサービスが悪いかサービスは良いけと高いかのいずれかでそこまで惹かれるものではない。とはいえ風俗に行く方が十分高いのでは、となってくるが、ドルヲタですっかり金銭感覚が狂った筆者でありかつ、異性との交流にあたって金銭を支払う、ことがすっかり当たり前になってしまったので、嬢が如何に一般的な女性だったとしても、筆者のような人間と話してもらうわけだしその割にはむしろ安いぐらいだ、と思ってしまうわけである。

 

 

 

恋愛で遊ぶのは20歳まで。どうして世間はそう割り切れるのだろうか。もっと遊びたくないのだろうか。それよりも、仮に結婚できなかったとしたら生涯死ぬまで独身であることが寂しく感じられてしまって、已む無く結婚するのだろうか。それはあまりにも生涯添い遂げると誓った女性、そして新たにこの世に生を受ける子供に対して、失礼なんじゃないか。結婚へと舵を切るのであれば、相応の覚悟と責任を女性というのは有するはずだ。だからこそ男性側も同様に真剣に、その先の人生を歩んでいく必要があるんじゃないか。テレビでの報道に限らずとも、崩壊している家庭があまりにも多過ぎる。もちろん家族とはいえ他人なので、趣味嗜好が合わないとか意見が食い違うとかあるだろうが、殺したいとまで恨むとか実際に傷害事件にまで発展するなど、待ち受ける不幸を考えればあまりにも、結婚というのはリスキーだと感じ得てしまうものだ。

 

それでも、結婚したいと願いながら交際を続ける男女は多い。やはり、他者を必要としたいというレベルにまで関心を強く持てる者が多いからこそなのだろう。それがむしろ一般的であり、筆者のような人間は少数派に違いない。大学時代、就活の際に大手ではなくあえて中小を選んだ理由の一つに、結婚よりも刺激を求めて、という人生設計のためではあるが、紐解けば、結婚を棄てた理由の一つに、客観視して筆者は結婚に相応しくない人間だから、というのもそういえばあった。重度のドルヲタであること、社畜体質であること、もあったが、改めて、真の理由というのが今回の議論で解った気がする。

 

大切な人を喪うという経験。筆者もどうにかすれば獲得できるのかと考えてみた今回の記事だが、議論を経て確実に無理だと、そしてそれに近しい経験までも叶わない可能性が高いと判ったのは、十分な収穫だ。執筆現在である土曜日、そして若干の晴天予報であるアップロード現在の日曜日、共にライブ参戦しようというモチベーションが起きないぐらいには、今回行った議論というのは喉に閊えているが如く、休日を迎える筆者を悩ませていた。その煩悩というのが一つ解消できた。やはり、今後もアメブロには御世話になりそうだ。こんな休日も、たまには設けて、今後も自分という人間と仲良くしていこうじゃないか。(2851字)