2024/8/15(水)  00:52

 

乃木坂46『熱狂の捌け口』

 

執筆時点ではリンクがイメージ壊れてるようになってしまっているが、そう調査にも時間かけていられない。

本題へと移っていこう。

 

一ノ瀬美空という少女をセンターとして据えて楽曲を構築するなら、と、本楽曲を一旦忘却して考えてみるが、やっぱり王道アイドルでかわいい路線で攻めるか。しかしそれだと表題曲であるチートデイと方向性が被る。あれはドラマがありはするが、結局はメンバー個々人の強ルックスをシンプルに魅せることに重きが置かれているように感じられる。とはいえ、じゃあかっこいい系とかか、などと考えてもどうも浮かばない。なので、別の舞台とか設定で誤魔化して、王道で勝負してしまいそうだ。

 

こうして考えてみたが、やはり表面的すぎる。彼女の人間味にもっとフォーカスして、どのような楽曲、そして世界観が表現可能か、さらには相乗効果でプラスに転じるか、などと、逆算的に考えてみれば確かに、関係を壊さないように密かに留める同性愛、これが2人ではなく3人であれば三角関係なども絡んでくる、いずれにせよ行き場、消化できない愛情たるものを何処へ捌くべきなのか、という熱情を解っていながらも、センターを飾る少女は上手にコントロールして平静を保つ、という、雑に言ってしまえば二面的ながらも、そう纏めるのもまた不適切であることは言わずもがなだろう。あまりにも安直である。

 

その捌け口として、都会の喧騒が挙げられるわけだが、本記事のタイトルは「喧騒」ではなく「喧噪」とさせていただいた。意味としては同じだし、異なる漢字だけ取り上げても意義的な差異は無いのだが、「噪」という漢字を見た時に「操」という漢字を思い出した。グリム童話の原作やその解説などにも出てきた言葉である、といった意味については割愛するが、改めて漢字の意味を調べてみれば、あやつる、志、などの意味も見つかった。上記でコントロールと著したが、ちょうど合致するじゃないかと思い選んだ次第である。嗚呼、あとは「騒」だとなんだかシンプルすぎてつまらないというのもあるが…

 

喧騒、ざっくり言えば騒がしい場所だが、この対比として本屋や川辺などが映っていた。カフェは正直微妙なラインだが、店内が綺麗でテーブル間隔もあって民度良いカフェとなればそう騒がしいものでもないだろう、ぐらいに半ば無理矢理だが、静かな空間というのはどうしても、映る対象が少なければ少ないほど、意識してしまうものであり、反復的に目にするようであれば猶更といったところだろう。仲良しで作為的に会う場合も同様だ。逆に言えば、多少五月蠅い空間であれば関心という名の対象は紛れるものだし、だからといってディズニーデートするカップルが別れやすいというのはこれには合致しない。

 

呪術廻戦では、学校や病院などが思い出の場として挙げられ、呪いが溜まりやすい場とされていたが、その理で考えるなら、修学旅行あるいは家族旅行など、都会というのもまた思い出の地の一つである。ここと前述の喧騒を組み合わせれば、熱狂というのを呪いと解釈して、捌け口を都会に据える、などという考察も可能ではある。ただやはり、喧騒で気が紛れる、というのが直感的で解り易い気がするので、流行りのコンテンツに結び付けようとするのもまた違う気がしてきた。

 

肝心なことを書き忘れていたが、聴いた第一印象としては、AKB48が初期に描いていた世界観に近いものを感じた。それも劇場公演で、年増なメンバーが演じていたものだ。かといってすぐに代表曲などは出てこないが、おしめしや禁じられた二人などのようなストレートな表現楽曲よりかは、どこか懐かしさや寂しさなどが込められた楽曲の方が近い。ざっくり言えば、幼いメンバーが演じたところでオリジナル楽曲の良さがほぼ完全に消え得るような楽曲だ。ただ、そんな方向性というか世界観な楽曲を、乃木坂46の5期生、まだ皆若いのに良く務まっているものだと、今回もまた驚かされてしまった。

 

気持ちの整理など、何か思い悩んでいることがあれば一般的には、川や海の近くなど静かな場所で一人佇んで落ち着かせるものだが、確かにこれは熱狂とは違う。秘める熱情であれば、必ずしもこれと同じではないに違いない。まあ筆者は男性なので、女性同士の愛情がどのようなものなのかは推測の域を脱しないものだが、とはいえ、それでじゃあ、とりあえずこうして考察できたしそれで十分でしょう、と無理強いに落とし込ませるのも違う気がする。まだこの楽曲には、考察の余地がある。

 

熱狂、か。

アラサー男性には似つかわしくない単語だが、そうだな。

 

挙げてみるのであれば。昨年の自分に負けず劣らぬ、熱情を以て。(2024字)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
2024/8/17(土)  02:00
 
なんとも薄っぺらい考察じゃないか。かつ冷淡だ。
 
本楽曲と対峙するにあたって、肝心な"熱狂"という要素を抜いてしまっているじゃないか。
 
かといって、熱狂たるもの、アイドルブログなので推しを応援するにあたっての積みゲー、そこに熱狂性を充てるということも一応可能ではあるが、本楽曲の世界観からあまりにも懸け離れてしまうように感じる。改めて映像を観てみれば、やはり女性同士の愛情というところが気になる。普遍的な愛情ほど、抽象化しにくいものは無い。
 
なので、筆者もまた個人的な事情から議論していけば、やはり昨今は、先日の開拓記事にもあるように、某ホテヘル嬢への愛情というのを仮定してみようじゃないか。しかしこれは即破綻する。昨年抱いていた某ソープ嬢への破滅的な愛情とは大きく異なるものだし、そもそも愛情なのか。今改めて彼女のことを思い返しても、隣で護ってあげたくなるが人間的にいろいろと抜け落ちた筆者の人間的要素を補填してくれるような存在、簡潔に言えば、恋愛よりも結婚を思い浮かべたぐらいだ。
 
出勤頻度は普通に高い。もっとも、昨年愛した女性、月に2回程度というのが、風俗嬢にしては異常な頻度と見做すべきで、店側が抱く普通の頻度、で考えれば、週3日程度が平均的だ。で、筆者が出逢ったホテヘル嬢というのは、週に1~2日程度だ。なので決して多過ぎることはないし、ひたすら逢瀬を重ねて破産するほどの頻度でもないが、彼女が風俗に務める理由としては小遣い稼ぎだと明言していたし、仮に貢いだところで結果流れる先は男性アイドルである。ならばその分、女性ライブアイドルに会うもしくは純粋にライブ参戦に捧げるのがベターかなと考えてしまうものだ。
 
などと結局は冷静に思考してしまう。これこそが、本来、本楽曲と対峙して記したかったことだ。
 
去年の自分であれば、もっと熱狂的になれた。青春に近い眩しさがあった。
故に、羨みに近い。熱く、狂わしく、愛情を抱けることというのが、どんなに贅沢なことか。
 
そうか。
 
改めて映像を観れば、表層的な関係では友達を装っているが、深部では愛情や嫉妬などを抱いている。
 
ということは、これを筆者の事情に置き換えれば、表層的には男女アイドルの話をしてヲタクあるあるな展開をしつつも、深部に抱く愛情や嫉妬、それがふとした時に表面へ出て、しかしそれはあくまで刹那的、膨大な時間はその熱狂的感情の捌け口を探すように誘蛾灯などを求めるのだろうか。なるほど、これならSKE48『愛のホログラム』とリンクさせられる。
 
いや、そんなことはどうでもいい。やり方を選ばないのであれば、昨年同様、地上地下問わず、アイドルに抱く愛情、興味関心レベルも含めて、風俗嬢へ集約させて、で叶っていたが、あれはあれで、iLiFE!甘音ゆあの一件があって、アイドル自体に嫌悪感を強く抱いていたために必要だっただけだ。今は別にそう憂うようなアイドル界ではない。
 
身近に炎を有する者でもいれば、このキャパ超過な状況も打開できるのだろうが、いや待てよ。
 
いや、それは危険すぎる選択だ。今し方描いた妄想までも、きっとたかが知れていると一蹴できるものだろうか。(3340字)