2024/6/23(日)  02:24

 

 

 

帰宅してやはり、リピート再生してしまう音楽は、櫻坂46『何度LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう』に変わりは無い。それは自明に近い。如何に圧倒的なワンマンだったとしても、

 

・沸き確定なアップテンポ

・既存の櫻坂46に無い王道アイドルソング

・表現者 村山をセンターに立たせても中心も周囲も浮かない演出含む塩梅

・恋愛ソング

・最近配信ライブでパフォーマンス観てかつ楽曲自体をそこで知った

 

というえげつない条件の揃いようなので、仕方のないことだと、初めに書いておきたい。

 

 

 

となれば、大抵のライブアイドル対バン参戦の場合、歌唱力やダンス力など技術面での不足、他パフォーマンスつまりはアイドル当人の人財力、現場の治安、等々、即刻、否、と酷評を下し、あとはチケット代と見合うぐらいには雑に居残って、日が落ちる前にとっとと帰る、流れだろうか。

 

経験上、ワンマンライブなら猶更である。ライブアイドルや地下アイドルのワンマンライブというのは、内輪ファンしか来ないことを前提したものなためなのか、非常に妥協的もしくは形骸的だ。ただシンプルに、会場貸し切って普段よりも長めにライブして、それだけだ。あとは入場特典とか適当につけて、これを定期的に行うことによって、動員ベースでの知名度を測る。

 

しかし、これがもし、たまたまスケジュール空いてたから行ってみた、程度のモチベーションであれば、果たしてどう映るだろうか。対バン参戦と大差ないと幻滅するに違いない。故に筆者は、ワンマンライブや生誕祭などには参戦しないように、いつからか自然と意識するようになってしまった。

 

それでも今回、透色ドロップの4周年記念ワンマン、厳密にはツアーファイナルとしての東京公演、だったのだが、参戦すると決めたのは、その会場がなんとあの竹芝ニューピアホールだったためだ。

 

この会場については以前、と言っても既に2年前のことにはなるが、LEADING主催のハロウィン対バンとして参戦したことがある。なかなか攻略の難しい会場である。今日対バンが開かれるホールの中では中程度のキャパに筆者は分類しているが、フロア中腹から後方すべて、スタンド席として展開されるので、ジャンプが禁止となっている。冗談ではないが、かなり体重ある人が階段を行き来するだけで周辺が揺れるぐらいには、揺れやすくなっている。少なくとも品川グランドホールほどではない。そして、その割には、横に広い会場であり、あとは渋谷や新宿などと比べれば微妙に遠い会場ということもあって、穴場と呼べる会場である。そんな会場でワンマンライブだ。筆者一人が参戦できるほどの隙、というか、それなりに過疎るんじゃないかと狙っての参戦選定である。

 

 

 

 

 

あとはそもそも、透色ドロップ、というアイドルグループを、なんだかんだで意識している、わかりやすく言えば、推しているからだと、あえて書いておこう。一応初期から知ってはいるし、総参戦回数がそこまで多くはないが、筆者個人的に、人生のターニングポイントで参戦あるいは楽曲対峙など、気付かぬうちに強く意識するアイドルグループになった、と客観的に論じれるだろう。

 

前述、過疎を狙って、とあったが、実際には、最優先、優先、一般エリア、すべてが普通に人埋まるぐらいには動員できていた。同日イベントの多さを考えても、これは凄いことだ。白金高輪SELENEでは同じフィールドで活動するライブアイドルが数多く出演していたし、より楽曲派でということであれば品川ステラボールでも対バンがあった。あとは、これは地上にはなるが、日向坂46が46時間ぶっ続けでYouTube配信を行っている真っ最中であり、タダで観れること、そして日向坂46については4期加入による勢い増したためにより広い範囲で愛される存在になったと考えている。というわけで、6/22(土)、よくこの日に開催したものだと、それだけでも十分天晴れなのだが、動員を会場普通に埋めてくるぐらいに多く動員させてくるという。重ねてにはなるが、本当に凄いことだ。

 

いざ入場してみれば、非常に装飾が凝っていた。床には今回のツアーファイナルに至るまでの経緯をテキスト付き円と線で表現されており、壁にはメンバーの写真が、そしてフロアには各メンバーの垂れ幕である。正直、開演を待たずともこれだけで十分、筆者が知るライブアイドルのワンマンとは一線を画していたし、それに超知名度事務所とかがこなしているならまだしも、初期を振り返ればプロデュースに行き詰っていたほどの事務所がここまで立派にワンマンライブを創り上げてくる。だからもう、この時点で称賛は確定していた。あとはどれだけ、それが強いものと化すか。

 

 

 

透色ドロップの現場については、他の現場と比べれば大人しい印象「であった」。そもそも楽曲がそこまでアッパーでも沸き狙い見え見えでもなく、すきいろ特有の世界観の範疇で、グラデーションの如く楽曲間で繊細な差異を生み出し、それがセトリとして表現される。そんな印象なので、そもそも現場構築したところで、声援は果たして必要なのか、という議論が生まれてくる。しかし、ファンとしては若年層が中心であり、如何なる理由とて声援を飛ばさずにはいられないだろう。ライブ音楽への愛情も欠かせない要素だろう。そんなわけで、トータルで平均もしくは若干大人しいぐらいの現場分析だったのだが、彼女たちがデビューした当初、まだ地下現場がそこまで壊滅していなかった。コロナが明け始めてまだ若干、様々な現場に猛者が残っていたが、今日、すっかり猛者はどの現場からも消えて、特殊な条件が揃わない限りでは現れないようになった。なので、ライブアイドルや地下アイドル全体で現場を「今日」議論するのであれば、相対的に、活気ある現場だと分析している。

 

と、こうして冷静に考えれば判ることだったが、ワンマン参戦当時の筆者は、つい古き固定概念に囚われてしまい、観賞で立ち回ろうと暫し地蔵を貫いてしまった。もちろん、それによる収穫が無かったことはないのだが、周囲の活気、というか沸きたい雰囲気を一層と消極化させてしまう様相となってしまっていた。と考え直し、後半からは加勢で立ち回った筆者であった。まあ後付けでいろいろ言うのであれば、セトリ戦術として、前半を捨てて後半で巻き返す、というものがある。これと関連して、所感レベルで考えれば、そんな立ち回りと化していたのだと説明付けることができる。無理矢理だが。

 

 

 

 

 

セトリについて凄くざっくり言えば、新しい→古い、の順番で組まれていたので、終盤は初期体制を懐かしむようなものであった。合間にMCが何度かあったが、1期2期生は初期体制または中盤以降の苦労を振り返り、3期梅野はそこまで新旧ギャップあるような発言は目立たなかったが、4期生は透色ドロップの歴史と比べれば活動期間が短いことが端々に漏れていた。4周年ワンマンとなれば、自然とそういった発言、あるいは意識が生じて当然だと思う。

 

そんな流れもあったからか、終盤、初期衣装を纏った見並が、どこか険しい表情のように見えていた。そこまで堅いわけではなかったが、前半戦を彼女ならではの無邪気な笑顔で舞っていたことからしても、ほんの少しだが心配してしまった。確かに、初期は本当に迷走していたし、今だから言えるが、プロデュースの行き過ぎであったことも否めない。アイドルをプロデュースする上で肝心なのは、その対象が人間であるということだ。どのアイドルにも人生があり、興味関心が千差万別である。だからこそ当人たちが望む、少なくとも抵抗感の無いような方針や戦術の決定を行うべきなのだ。デビュー時のトレンド入り含め注目度高かったこともあって、多々苦労したと想像してしまうものだ。

 

そんな様相を一変させたのが『やさしさのバトン』での、佐倉と目を合わせる瞬間だ。彼女もまた、本当に良い人財だ。あの一瞬で、見並の表情が元に戻った。なんだかこうして執筆している瞬間でも、涙してしまいそうだ。ああいう自然な形で支え合い、同じ方向へと戻すというのは、信頼深い関係性あってこそだ。言葉でも行動でもない。ライブパフォーマンス中のたった一瞬で、フォローし合えるというのは、本当に素晴らしいことだ。これに限らずとも、1期生としてのプレッシャー、多くは語らない彼女だが、本当によく頑張っている。支え合うメンバー無くしては、彼女が今、こうして透色ドロップの一員として活動を続けていることは無かったかもしれないと考えてしまう。

 

 

 

歴史逆順でのセトリと書いたが、その工夫を工夫だと感じ取り、趣深いと感じるために必要な要素を考えてみるが、歴史が長いこと、は必ずしも必要ではないだろう。表現者、もしくは語り手とでも呼べばいいだろうか、メンバー総じて、その歴史を大切に扱っていることこそが必要だろう。

 

筆者個人としては、初期から低頻度ながらもライブ参戦しているために、各楽曲の持つ歴史、よく歌われていた当時はアイドル界や世情がどうだったか、などを思い出したものだが、じゃあそんな前提知識が無ければ感動は得られないものなのだろうか、と考えてみるが、そんなことは無い気がする。メンバーが大切に扱うことで、パフォーマンスの細部に神が宿るようなもので、結果として歌唱力やダンス力や各種完成度などに終着するだけで、観客側が知らずとも十分に、素晴らしいパフォーマンスだと認識することは可能だと筆者は考える。故に、愛情の始点を悔やむ必要など無い。

 

そんな議論の後で書くべきことではないかもしれないが、終盤で『アンサー』を入れてくれたのが本当に嬉しかった。当時コロナ禍、もうかつての集客ライブ、そして現場ができないんじゃないかと強く懸念していたが、そんな状況でも、アイドルという職業の持つ力、「変わりたい」という衝動にスポットライトを当てながらも、背景として潜む令和やZ世代、都会社会などの生き苦しさ。この世界観の表現は前述の通り、避けるべきだが、礎の一つでもある楽曲だ。故に、筆者としては、特に周年ライブなどであれば、大事にしたい楽曲だと思うところだ。当たり前な議論かもしれないが、そんな当たり前ができていない、軽視されてしまっているアイドル事務所は数多い。だからこそ、メロディーが流れた瞬間、歓喜したものだが、手を叩くことも歓声あげることもしないようかなり配慮した。まあそんな私的事情はさておき、セトリに改めて感謝である。

 

 

 

 

 

セトリで最も感動したのは、アンコールでの『君色クラゲ』→『だけど夏なんて嫌いで』→『きっと夏のせいだ』、という選定および順番である。クラゲはまあ解る。支持強い楽曲なので、夏テイストで構築するならまず欠かせない楽曲だ。それ1曲だけでも全然成立するのだが、まさか、だけど夏を再び、夏に、ライブ会場で聴けるとは思ってもいなかった。

 

何度だって書こう。振り返れば昨年5月、iLiFE!甘音ゆあの一件があり、如何に優れたパフォーマンスを行うアイドルでも恋愛不祥事は起こし得ることを痛感させられた。純粋にアイドルを応援してきた筆者にとっては非常に痛ましく、立ち直るには時間が必要だと思っていた最中、大手町三井ホールでの対バンで、透色ドロップがセトリ最後に、だけど夏をパフォーマンスした。あんなに歌詞が刺さることはきっとこの先の人生でも無いだろう。ただ、おかげで、暫し苦しむこと無く、成仏されたようなもので楽になれた。今思えば、当時以前、よく使命感を貫いて応援を続けられたものだと感心してしまうものだ。加えて、甚だ時代錯誤だと、その稚拙さを隠したくなるほどである。

 

故に、だけど夏についてはどちらかというと結びつく思い出は暗く、夏自体のイメージもマイナスなものとなってしまっていた。それを、きっと夏のリリースにより既に反転されてはいたが、まさか、それをライブで、しかもワンマンという大事な場所で組んでくるとは、と、間違い無く私信ではあったが、いずれにしろ、本当に、本当に嬉しかったし、感動した。筆者個人どうこう関係無く、確かにこの2曲は対照的で、連続して組むことで新たな意味が出てくる。組写真のようなものだ。

 

 

 

本記事冒頭、櫻坂46『何度LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう』をリピート再生していると書いたが、主人公がLOVE SONGと対峙して、記すこと、文字に起こすことの大切さを認識しているが、透色ドロップのワンマンをこれに準えるのであれば、これまで歩んだ歴史、各メンバーの個性や強み弱み、数多く存在するオリジナル楽曲、ファンの多様化、ライブアイドル界を取り巻く状況。様々な要素、議論観点があるが、それらを書き記して整理して、ワンマンライブ開催に向けて取捨選択等の判断を行い、最終的に、恋文に似る開催詳細が創られるわけだ。筆者が理想として描いていたものが、もう全てと言っていいだろう、実現されていたというのが、嗚呼、やっと、一つのモデルケースが生まれたと、非常に感慨深い想いに包まれるのである。

 

だからこそ、何度も聴いている楽曲、他アイドルではあるが、その楽曲が持つメッセージ性というのを、今回のワンマンそのもの、そして一理想の実現が叶った透色ドロップというアイドルグループへと向けているために、何度も聴いてしまう、というのが正しい。解り易い要素切り分けとしては、アイドル/運営/ファン、という三要素である。アイドルという職業および活動に純粋な人財、質高いプロデュースを実現させる運営、グループやメンバーや楽曲を深く愛するファン。どれか一つだけでも実現させるのは難しいというのに、全てクリアしている。これだけでも十分、奇跡的なことだ。

 

 

 

 

 

完璧な戦術。そして行動力。今回のようなライブイベントに参戦してしまっては、あまりにも極上すぎたがために、今後の他ライブ参戦が危ぶまれてしまうものだ。要は、比較してそうでもないものだと。まあ、透色ドロップはライブアイドルの中でもパフォーマンスが長けている方なので、ワンマンどうこうに問わず他が勝ち難いのはあるかもしれないが、ただ、たとえばここで対バンを挙げてみれば、今回のワンマンは3Kで約2時間半というボリュームだった。一方、一般的な対バンであれば、同じぐらいの金額で10時間程度なので、コスパという点では対バンに軍配が上がるような気もしてくる。しかし、出演するアイドルの全てが同程度にパフォーマンス良い保証はどこにも無いし、そのためタイパの観点では果たして価値あるものか否か、と疑問が湧いてきてしまうものだ。それぐらいだったらむしろ、日向坂46時間TVなど、在宅でもアイドルを楽しめるサービスを摂取する方が、結果的にアイドルという存在自体を嫌いになる懸念も払拭されるのでは、と筆者は考える。

 

とはいえ、もうすっかり夏である。東京は梅雨の最中ではあるものの、イベント開催量を思えばそんなの終焉を待っていられないほどに、すっかり賑わっている。それに、梅雨だからといって参戦してはいけない、などというルールも無い。むしろ天気が悪い方が、ライト層の動員がかなり減って、特にライブハウスなどでは質の高い現場が形成されるという参戦戦術も仮定できる。あとは、どれほど土日にエネルギーを割けるか、そして土日に呑気にライブなどに行っても問題無いほどに課内の雰囲気が柔和であるかどうかだ。正直後者まで考えなくてもいいのだが、筆者は集団の雰囲気というものを重視してしまう傾向にあり、どうしても後者、精神的影響が大きいものとなってしまう。

 

そんな性格が故の、物販回収が遠のいているのもある。ついでなので説明しておくと、今回、ワンマンに参戦したにも関わらず、一切物販回収を行わなかった。待ち時間が長いとか周囲に誰も知り合いがいないとか、そんなのはどうだっていい。唯一懸念していたのは、筆者は赤の他人なアラサー独身男性、青髭強く目つきも鋭い、そんな他を寄せ付け難いような人間が、二十歳前後な少女たちと相対するべき存在なのだろうか、と、つい考えてしまうのだ。透色ドロップのファンは特に、皆綺麗で友好的で人間としても成っている者ばかりだ。そんな方々と、待機列とはいえ、密に我が存在を置き続ける必要があるというのもどこか申し訳なくなってくる。あとは一応、先日参戦した中野対バン、代々木女子音楽院というアイドルグループで開拓を行おうとした時、筆者が待機列最前になった瞬間、一気に待機列を捌くスピードが落ちたのを思い出してしまう。筆者を見て、誰の撮影待ちだろうと、会話させたくない、近付けたくない、などという嫌悪があったのではと、被害妄想してしまうものだ。なので、チェキ券は今や一般的に2K程度だろう、アイドルと話すことのメリット以上に、筆者という人間を否定するかのような対応によるデメリットが著しく、まるで金を溝に棄てるかのような心象と化すことが最近あまりにも多く、透色ドロップに限らず、物販回収全体が遠のいてしまっているのである。

 

じゃあそれで孤独感が増しているのかというとそういうわけではなく、趣味娯楽に関しては、日常と化したSNSチェックだけでなく、ゲームやテレビ、あとは一人暮らしなので家事などもある。なのでやるべきこと、やりたいことが多くて、孤独について考える余裕が無い、というのがより正確な表現になるだろうか。今の会社に就くにあたって、どこにでもあるような中小企業、しかし刺激を求めて選んだ、逆に言えば生涯孤独と化す恐れも確かにあった。それも覚悟した上での選択である。あとはそれを、どう正解へと運んでいくかだけだ。故に、心配たるものは一切不要だと一応言っておこう。

 

 

 

 

 

さて、最後にはなるが、参戦当日、開演が15時からと遅めで、かつ午前中がかなり天気良かったこともあって、会場周辺の観光スポットを多々巡った筆者である。芝公園や浜離宮恩賜庭園の麗しい緑に癒され、東京タワーの外国人観光客の多さに圧倒され、そして増上寺もまた趣深かった。参拝してもよかったのだが、既に歩き回って疲れを感じており、かつ小銭も全然残っていなかったので、またの機会にと思いながらも、ふと目に入ったのが、短冊である。七夕ということで、参拝料徴収も兼ねての粋な計らいだと感じた。それに、こうして神社仏閣に訪れた際に、いつも心掛けていることがある。

 

それは、アイドル/運営/ファン、他全て、アイドルに携わる方々の幸せを願うことだ。

 

地上地下問わず、アイドルというのは今や本当に数多く、ファン人口というのも結局は限度がある。それでも少女たちはステージに立ち、歌とダンス、そして生きる糧を私たちに与えてくれる。その実現にあたって、当人たちの頑張りだけでなく、運営によるプロデュース、そしてファンの愛溢れる応援というのは、決して欠かせないものだ。ただ、それらを義務だとか作業だとかには感じてほしくはない。あくまで、やりたいからやっている、という衝動や欲求が優っていてほしい。それを測る一つの要素として、今この瞬間、幸せか否か、というのがある。アイドル云々に限らずとも、幸せじゃない人生というのは勿体ないものだ。以上を踏まえて、筆者はこう記した。

 

「アイドルに携わる方々が皆幸せに従事できますように」

 

参拝料を払い短冊を手に取った瞬間、村山の顔が浮かんだ。恋文と向き合い、思考を巡らせて文字に起こす瞬間というのもまた、趣深い。そして同時に、言葉の持つ力、これを改めて認識させられる。筆者としてもこの頃、つまらない記事ばかり仕上げてしまっていなかったかと、良き自戒へと化すものである。筆者は昔、アイドル界を変えたい、そんな一心で多々議論し、一喜一憂し、記事数は既に四桁に達するほどに数多く書き残してきた。結果として今や、様々な者がアイドルに関心を持ち、就きたいと願うほどに価値あるものと化し、活気溢れる業界へと化した。そんな現状に対して、まずは日々、感謝の念を忘れること無く、生きていく。そんな時間を大事にしているこの頃だ。

 

これからも、アイドル界は続いていく。そして、透色ドロップというアイドルグループもまた、歩みを止めることは無い。彼女たちのアイドル人生、その歴史に今回、1ページとはいえ触れることができたのは改めて、大いなる収穫だった。感謝だ。そして、上記と重ねてにはなるが、立場問わず、携わる方々の幸多きことを願って、参戦レポの執筆を終えるとしよう。(8317字)