2024/4/7(日)  00:48

 

 

 

46と48を比較する、つまりは坂道グループとAKB系48グループを比較するというのは、とっくに古い議論である。世間的な知名度を考えれば、坂道グループが優っているのは自明であり、かといって乃木坂46のセンター?と訊かれれば回答に困る者が一般的であり、前田敦子や大島優子などのセンター議論故に「48」という数字が依然として特別な意味を生むこともまた、否めない。

 

にも関わらず、時代錯誤だと称したのは、じゃあ、今更その二者比較で議論したところで、果たして何が生まれるのか、というためである。乃木坂46に限らずとも、櫻坂46、日向坂46はしっかりと、若者からの支持を集め、世間的にセンターどうこう知られていなくとも、肝心なのは如何に個々人が、いわゆる「推しメン」に対してその推し意識を有しているか否かである。ここで言葉を選んだのは、ガチ恋は決して推奨しないがためだ。いずれにしろ、反して、48グループはというと、中年男性からの支持は強かろうと、若者からは、となれば、メディア露出も限定的であり、どうしても若者にリーチできていない現状がある。だからこそ、議論したところで、この優劣に逆転現象が生じ得るかというとそんなことは無く、かつ、昔AKB専ヲタだった身である筆者としても、それを望んでいない。

 

肝心なのは、少女たちがどのグループに在籍しているか、に関わらず、アイドル個々人がしっかりとアイドルとして愛されていることだと筆者は考える。その一手段として、乃木坂などの名の知れた、かつ世間的な関心でも決して時代遅れではないアイドルグループへの所属が挙げられるのである。今回はあくまで48グループを主軸に議論したいがためにこれを適用すれば、一昔前、元AKBというのは、それなりにインパクトのある肩書ではあった。前置きを抜かしたが、ライブアイドルへの転身においての話である。やはり、AKBに居たのであれば、劇場公演などにより基礎含め、その当人がどうかはさておき周囲には優れた人財が集っているがために、自然とステージ上における緊張感、結果同じ場数でも成長というのはライブアイドルのそれとは比にならないものだ。

 

技術面では確かに、元AKBなライブアイドルのパフォーマンスをいくつか観て、確信に至ったわけだが、今の時代に求められる自己プロデュースという観点では、もはや致命的なほどでもあった。AKBに居るからこそ、制限されたSNS、そしてプライベートでの研鑽というのが、転身にあたって仇に転じるわけである。そう考えればやはり、アイドルに求められる技術というのは、少なくともその内訳という点では、大きな変化を遂げたのかもしれない。

 

ただ、別の観点からすれば、AKB含め48グループの戦術展開としては、大人数が1つのステージで一斉に歌って踊ること、特にフォーメーションやセンター展開を特徴としていた。しかし、一昔前のアイドル界というのは、今ほどには多様的に関心を持たれた世界でもなかったので、そもそもアイドルを志す母体数が少なかった。そのため、採用にあたって今以上に高いハードルでの精査ができなかった。これが何を意味するかはあえて明言を避けるとするが、そんなわけで、当時の戦術を実現させるためには致し方なかったのではないだろうか。これもまた業界の趣だと筆者は捉えたいものだ。

 

 

 

 

 

 

さて、先程も軽く触れたが、SNSでの握手会の様相などからすれば、依然として中年男性がファン層としては根強いのではと考えるところだ。新規獲得が乏しいことからすれば自明なのかもしれないが、別の観点としては、アイドル界でのファン層の低年齢化が挙げられる。坂道グループ総じて、乃木坂に限らずともクリーンなイメージ強く、それが結果として敷居の高さを生んでしまっている。Z世代などと呼ばれ得る若者からすればそのようなものは障壁だとは感じ得ずに、むしろ時代相応なアイドルだと好感が持てるのかもしれないが、現場で熱く応援して汗を流してきたヲタクからすればどこか棲み辛いのではないだろうか。もっとも、筆者はこれには完全には該当しないために逐次情報追うなどはしているが、地下現場で上記の癖が付いたので、現場参戦は無いかなと思っている。どう考えても不完全燃焼に終わってしまう。かといって正直、48現場でも同様なので、上記のいずれでもないケースに分類されると言えるだろう。話が飛んだが、戻して、消去法で48、ということも可能性として考えたい。

 

ただここで誤解してほしくないので、今の時代でも48として背負って生きているアイドル各位は、総じてパフォーマンス志向性が高いことを補足しておきたい。以前書いたようにAKBやSKEの新曲はどれも、キャッチーよりかはレベル追究でのダンス設計となっており、これが大人数体制として特有の魅力を生んでいると考えるところだ。同様のパフォーマンスをライブアイドル界で展開するとなるとまず無理だし、やるとしたら同事務所で複数グループ今後の特別グループとかで組むしかない。ただ、坂道グループだと可能なのでは、と言われればまあ100%否定はできないが、過去のレッテルをどう足掻いても棄て切れない第三者的な苦悩というのが、良いベースになってくる。そんな背景を抱えているからこそ、世界観に重みが増すものだ。AKB48『アイドルなんかじゃなかったら』は第一線から退いている現状に対する活動継続の葛藤とも読み取れるし、SKB48『愛のホログラム』は失恋ソングではあるもののより陰鬱な世界観というのが背景も重ね合わせて良く表現されている。

 

そういえば議論し忘れるところだったが、中年ヲタクが流れる先としては、ハロプロというのも普通に選択肢として挙げられる。昨今では、春ツアー含めライブ活動が顕著であり、グループ数も、活動をコンスタントにこなして収益源としてカウントできる、という条件では間違い無く、過去よりも増えている。故にハロプロに限定したとしても、複数グループを応援することで推し事を充実させることは十分可能である。しかしこれに対抗して議論するならば、48グループの場合は劇場公演がある。しかも頻度では確かに勝てる。逆に、会場の広さやユニークなセットリストなどを挙げれば劣るが、そもそも48グループだって逐次ツアーを開催してはいるので、やはり厳正な比較とは言えないだろう。となれば、あとは音楽の方向性で決まってくるような気がするが、そうなるとライブアイドルも十二分に勝機があるのが、今日のアイドル界の戦乱ぶりである。アイドル戦国時代、という言葉が死語と化している今日こそ、水面下で再生数や動員数など如実に比較されているものだが、記事冒頭に挙げたように、ファンの総数よりかは愛の確実性、これが筆者としては重視しており、収益以前にアイドル当人の精神影響、つまりはアイドル継続における安定性に強く影響するからこそである。

 

さて、では、中年男性各位、一昔前のアイドル界に囚われて既に応援士気湧かず、となれば、じゃあ、その残った金銭や時間はどこへ行くのだろうか。風俗か。あるいはこれを除いた水商売か。もちろん結婚などへ動ければ安定なのかもしれないが、ヲタクとして長く生きた者というのは、そう簡単に舵を切れないものだ。などと考えれば、時折報道される金銭トラブルというのも、正直なところ、そう他人事だと言い捨てられないものがある。同情心である。遣り切れない虚無には掛ける言葉も無い。

 

 

 

 

真面目に、今後48グループが知名度を上げて収益面以前に層問わない新規ファン獲得を実現させるのであれば、と考えてみたが、正直難しい。というのも、仮に、今以上に他アイドルとの交流を増やして親和性良くイベント出演または主催する、などと考えてみるが、ライブアイドル含め各種アイドル、48グループのメンバー各位をどの程度知っているだろうか。などと考えれば、そもそもイベントが破綻するのではという懸念すら湧いてしまうのだ。仮に互いに予習をこなして挑んだとしても、どこか仰々しくなってしまうだろう。その壁というのは、今の時代ではかなり厚く映るものだ。その結果として、呼ばれたアイドルよりも48アイドルにおいて、精神的なダメージが無視できないのではと、筆者は考えてしまうものだ。ということで、他アイドル云々な戦略はボツとして、じゃあ単体で勝負する、となると、国内ではどうしても、48グループ、というのが障壁となる。誰もがスターと認めるような圧倒的センターをつい求めてしまう。しかし今はそういった戦術ではないがために、直感的に否、と判断されてしまう。これを避けるために、勝機というのは国内ではなく海外、と考えるのは自然なことであって、最近ニュースとなったKLP48は解り易い例だろう。

 

そのため、移籍というか異動無く、国内で活動を続ける48アイドル各位は、もっと怠惰的でもおかしくないのだが、本当によく頑張っていると思う。歌もダンスも精進して、ウォーターフォール型で打ち出される楽曲ではしっかりMVを完成させてくる。やはりこれに欠かせないのが、各位、自分のグループに対して誇りを持っていることだろう。これは本当に、知名度や地上地下問わず、アイドルにおいては特に大事な要素である。その実現のためには、そもそもアイドルへの志向性が強い子を採用すること、本人の志す方向性がグループのそれと合致していること、グループ名やメンバー名や楽曲名やが陳腐なものではないこと、楽曲や衣装が完成度の高いものであること、などが挙げられるだろうか。嗚呼、あとはメンバー間での相性も欠かせないことだ。影響はしている。

 

48グループに関して議論しても結局、最後に残るのは、今日、活動を続けてくれる少女たちへの感謝である。本当に頭が上がらない。運営やファンに関しても同様に感謝の意が改めて湧き上がってくるが、アイドル、「やってみたい」と思う子がいなくなってしまっては成り立たない世界だからこそ、務める当人たちを一番に感謝して然りである。それにしても、今回の執筆にあたって、日頃の情報収集が如何に疎かであるかを痛感したものだ。感謝を抱くからには、それを行動へと昇華させていきたい。

 

もし再び執筆する日が来たら、より情報量多く。そして愛を忘れること無く。(4218字)