2024/3/31(日) 22:02
今日で2024年度も終わりか、とはいえ明日からまた何も変わらずに仕事、いやそういえば体制刷新するみたいなことも言っていたか詳細何も知らされていないから不安しかないし、どうにか軌道を生んできた今の状況を特段理由無く崩すことに果たして何の意味があるのだろうか、いやでも大手企業ではなくあえて中小企業を選んだのは仕事で遣り甲斐や刺激を求めたがために結婚をも投げ捨てて進んだ道じゃないか今更何故変化を恐れるのか、などと。帰省から明けて、一人葛藤していた。
とりあえずルーティンでもあるTwitterことXのタイムライン監視。これもまた年度最終日関係無く行っていたが、そういえば、と、ふと、実家で母親が観たがっていた音楽番組、with MUSICを思い出した。正直、あの一言が無かったら、父親と妹の3人でやっていた桃鉄をひたすら続けていたに違いないし、筆者も筆者で、特に目当てがいるとかの事前情報は無かった。
どうせ、ただのありふれた音楽番組程度だろう。
そう思っていたが、各アーティストを丁寧に紹介する構成、それも決して形式的なものでもない。各アーティストが新曲を出すに至った経緯や音楽への向き合い方など、news zeroを務めていた有働アナが務めるからこそか、温かみがありながらも音楽情報的にも有益と感じられるように、十数分観ただけで驚かされたのを憶えている。
気付けばどのアーティストも自然と魅入ってしまい、そんな最中で出演したのがYOASOBIであった。
世界中でライブを届け、もちろんライブパフォーマンスも掘り下げてはいたが、どちらかというとファンの方々へのクローズアップが濃いものだと感じられた。音楽への強い愛。ライブという空間は、そんな愛情をぶつけ合い、唯一無二の場へと昇華させる。
そうだ、筆者も昔は、地下アイドル現場に対してそんな理想を掲げ、邁進していたじゃないか。じゃあ、今のライブアイドル界に同様の理想を求めるべきなのかというと、はっきりと違うと言える。ライブへと足を運ぶ者の多様化、そして未だに抜け出せない対バン主体のイベント設計の都合、さらにはアイドルという職業柄ライブよりも物販を重要視するヲタク思想も含め、無理と見做すのが無難であり、安全的である。何よりも忘れてはいけないのが、ステージに立つ少女たち、依然として決して強い存在ではないということだ。非常に繊細だ。そんな少女たちに対して、聳え立つが如き理想を押し付けるのは、違うというものだ。
じゃあ、一昔前の筆者はなぜそんな理想をも掲げていたのか。改めて考えてみれば、強く信頼できる、各現場での専ヲタの方々の雄姿というのが、若僧であった当時の筆者、夢を語っても許されるのだと錯覚していたに違いない。結局そんな尊敬できる勇者たちは、コロナの流行と共に避けられなかった、対象問わない地下現場の弱体化によって、跡形も無く消え去った。
勇者。
音楽番組の話に戻れば、今回、YOASOBIが歌っていた楽曲、昨年を振り返れば、筆者にとっても忘れ難い一曲である。
狂ったようにソープ嬢を愛し、そんな自分へも縋っていた当時。勇者がリリースされた時期としては、前回逢ったのは7月、そこから8月、そして9月も逢えず、このまま逢えないまま愛を忘れ去っていくのか、それとも他の風俗嬢へと愛を摩り替えて終わるのだろうか、あるいは普通の人間か不完全燃焼なドルヲタなどへと成り下がってしまうのだろうか、などと、孤独に襲われて不安しか無かった頃だ。そんな最中、勇者という楽曲で描かれた世界観、旅を共にした勇者が人間が故にエルフと比べれば早死にするわけで、そんな存在を思い出として遺す、そんな選択肢があるのだと、最終的には有形無形関係無く、大切な存在を胸に留めておくのは決して悪いことではないと。そんな感じでどこか、背中を押されたような感覚をも得た。
この対象が風俗嬢などではなく一般女性であれば如何に美しいかなどと考えてしまうし、当然、上記の背景を家族に語るわけにもいかない。だからこそ、ちょうど夕飯時になり一時的にテレビが観れなかったタイミングで、勇者のパフォーマンスを観れなかった、というのは、帰省中だからこそむしろ良かったのかもしれない。なお、こうして記事を書き起こしていることから明らかかもしれないが、TVerでしっかり視聴してこの執筆に臨んでいる。何度もSpotifyで聴いている楽曲ではあるが、やはり、ライブならではの息遣いや表情、音楽の迫力とでも呼ぶべきだろうか、やはり一人で観て正解だった気がする。
今回のライブパフォーマンスを得て、いろいろと考えさせられるものだ。上で触れた某ソープ嬢への愛情というのが未だ完全には棄て切れていないこと、仮にライブアイドルがテレビなどの媒体へ昇華を遂げなくても素晴らしい音楽が数多く存在しさらにはライブが持つ魅力をも大衆にはしっかり伝わっているのだということ、ライブアイドル業界が昨今依然として玄人アイドルの卒業が後を絶たず結果やはりライブアイドル界が他業界を差し置いて強く支持される可能性が高くないこと。
音楽に正直でありたい。
YOASOBIのファンの方々を観て、改めてそう感じた。
ライブアイドル界を信じ、強く身を捧げたのもとうに昔のこと、参入する者の多様化というのはその賜物かもしれないが、そんな功績など誰にも理解されず、かつ筆者一人で成し得たものでもない。ただそれでも、少なくとも、筆者個人としては、そんな過去の自分を褒めてあげたいし、間違いなく、今以上に必死に生きることができていた。そんな過去というのが忘れ去られ、平和で穏やかな日常、ライブアイドル界が今日残っていたとしても、私は過去の自分を憶えてあげていたい。
そこまでアイドルに必死になるなど、本当にくだらないだろう。だからこそ、思い出すたびについ頬が緩んでしまうものだ。
本記事冒頭にも挙げたように、未来への不安は尽きない。仕事に限らずとも数多い。それでも、過去の自分という、たとえそれが限定的だろうと、特定の視点からすれば確かに尊敬できる存在。彼への記憶があれば、この旅路も暗くないものだ。(2531字)