2024/2/25(日)  22:09

 

 

 

3連休の帰省から戻ってきて、最低限の家事や食事、仕事の雑タスクなどを片付けて、しかし慢性的な睡眠不足ということもあり、桃鉄で気を紛らわせながらの一日だった。そしてもう深夜である。まだ日付を跨いでいないだけでもましだろうか。

それにしても、日曜深夜の坂道冠番組、月曜深夜のなまらめんこい&ハロドリ、となれば、無条件で火曜日は極度の睡眠不足に陥るのは容易に想像できるものだ。もはや、火曜の昼はランチに同行せずに仮眠を取るのが習慣化してしまっている。

 

とはいえ、振り返れば、そういったことはかつて起きていなかったし、となれば原因はやはり、睡魔が襲う中でも無理矢理己を叩き起こして休日でも忙しく過ごしていたことが挙げられるだろう。いやそれでも、そう陥ってしまっていたのは2月前半あたりで、この記事がアップロードされる頃には、一日過ごしてそんなにパフォーマンス悪くなかったと自己肯定できるはずだ。

 

自己肯定か。そういえば、出社して先輩から直接食らう指摘の数々によって、メンタルをえぐられていたのは事実だし、今後も対峙してまた昨年のソープ狂いのような事態に陥る可能性も正直ゼロではないが、帰省して気付いた。いくら他人と過ごすことが億劫に感じ一人でいる時間を尊重する今日の筆者とはいえ、仕事以外で他人と話すことというのが、想像以上に癒しとなっていたような気がする。かといって、じゃあ友達探しと称してマッチングアプリか、と考えてみるが、ふと我に返れば、中学以降は学業と推し事に全振りして友達も恋人も一切いない今日の筆者に対して、知り合いたいと願う人などいるのだろうか。

 

そう考えてみれば、第三者と交流することによって、むしろダメージを負う可能性も十分あり、故に、円滑な一人暮らしや抜かり無い推し事、そして仕事での被害に対する現在のメンタルケアスタイル、といったバランスが崩壊する可能性が考えられるわけであって、ただでさえ2024年初め、資格取得や家電買替などで忙しい中、そう冒険する余裕も無いといったところである。

 

 

 

 

 

 

この頃の天気の悪さも込みで、休みの日は家で居ることが増えてしまっているわけだが、そのおかげで資格勉強は順調だ。かといって全くアイドル情報を追わないわけでもないし、Twitterチェックは毎日行っている。とはいえ、じゃあそれでライブに行くのかというとまた話は違ってくる。SNSで十分に魅せられていても、ライブパフォーマンスがボロボロだというアイドルを、筆者は嫌というほど数多く見てきた。それは決して、コロナ前やコロナ禍などに限った話ではない。

 

そもそも筆者、ライブに求めるレベルが高過ぎるというのは重々承知してはいるが、では、上に貼ったSKE48のダンス動画を観た後でも、下手なライブを行うアイドルへと行けるものだろうか。そういった士気高いヲタクはどの事務所やグループにも一定数いるものだし、そんな方々によって、鬼のように物販ループするなどして、経営的にどうにかなっているのは事実だ。しかしあくまで筆者個人としては、相応の価値に対して、金銭を支払いたいというポリシーが故に、邪魔をするわけである。

 

MVではもっと、映像も合わさってよりクールな感じとなっているが、固定カメラでのダンス映像、気迫という形でまた違う角度や塩梅から演出してくるというのは、なるほど、高画質にこだわってアップロードするというのも頷けてしまう。

 

 

 

もし筆者がどこかの地下アイドルのプロデューサーであれば、本楽曲をカバーしたいところだ。ただ、ダンスによる世界観表現に徹してもらいたいので、歌唱は無しで、余裕があれば前録りしてそれを流す感じが望ましいが、カバー楽曲をやるとしたらワンマンか生誕祭ぐらいだろう。対バンでやってしまうと、たとえばきみにYORISOERUのAKB48『チャンスの順番』みたいに、コンセプトとして組まれているなどの深い理由が無い限りは、他アイドルの楽曲を対バンで披露するのは望ましくないことだ。

 

なお、カバーしたい一番の理由としては、センターに据えた少女を一晩で飛躍させられるような可能性を感じるからだ。たった1回のライブイベントでしかやらない、まさしくその場に居合わせた人は目撃者となるわけだ。語り継がれること、それは一つのアイドルにおける、物語やドラマといったものだ。そんな非日常性、非現実性というのが、アイドルという職業には欲しい。

 

とはいえ、ライブアイドルや地下アイドルの類いというのは、オリジナル楽曲をベースに組むアイドルなので、たとえば振り切ってカバー専門でやるアイドルというのは、楽曲によるアイデンティティーが無いことと等しく、着実に知名度を上げてきて今や地上とも呼べるような「元地下」アイドルにおいては特に、オリジナル楽曲の重要性というのは、容易に理解できるだろう。

 

 

 

さて、今回の記事、改めての軌道修正ということでまとまった感じだが、当初の予定としては、帰省時の諸々を書くつもりではあった。が、そもそも睡眠不足な状態で帰省して、早起きさせられて睡眠時間もそこまで確保できず、さらにはベッドではなく布団なので、などといろいろと挙がってしまうので、おそらくマイナスに働いてしまうだろうという懸念からである。とはいえ有意義だったのは事実だし、前述の通り会話を楽しめる自分に気付けたのは特に大きい。

 

そうだ、最後に書き忘れていた。どうしてここまでSKE48の楽曲に拘ってしまうのか、ふと考えてみたが、パフォーマンス特化な地上アイドルとしては櫻坂46筆頭、他事務所をあたればハロプロ各種やスタダ各種など、パフォーマンスで戦うにしても正直厳しい中で今回そこを狙った攻めの姿勢、かつ沈むような失恋ながらもシックな世界観をベースということでイコラブの楽曲ともまた違う角度である。故に、簡潔に言えば、見事に隙間を狙って敷いた楽曲戦術を称賛したく。

 

楽曲カバーとして仮に地下アイドルがこなせば、と議論したが、ふと考えれば、普段やる楽曲の比にならないほどの難易度、そして独特な世界観である。故に、強制的に演じさせてしまっては、その影響というのは一度の披露云々に限らず、アイドル人生へ及ぶ可能性も十分だろう。要は、アイドルとして併せ持つ全てのエネルギーを注ぎ込んでしまうという懸念である。

 

遺作に近いほどに全力なパフォーマンスこそ物語性はあるが、如何せん非現実的すぎる。

 

アイドルプロデュースというのは、人を活かす仕事である。それでは本末転倒極まりなしといったところだろう。(2888字)