2024/2/5(月)  22:41

 

 

 

桃鉄やテトリスなど、Switchを起点とした様々なゲームを楽しむというのは、若干時代遅れな気もしてくるが、有吉のゲーム番組などを観ていると、今でもSwitchゲームは根強く支持されているのだと認識できる。そういえば、Switch Onlineに加入したということは、ネットで桃鉄も解放できるので、いよいよ、役職全解放が現実的になってきた。

 

そんなことはさておき、資格勉強に励まねば、というか、そのためのまとまった時間が欲しい、ということもあって、ゲーム中毒な日々を抜けたとて、日常的なTwitterチェックがかなり軽微なものへと緩和された、この頃の筆者である。別に無駄な時間だったわけではないが、やはりピークタイムを抜けてからはハイレベルな自撮り投稿への遭遇率がぐっと下がるし、それにこの2年か3年ぐらいでOneストレージをかなり食い潰し、約73GBを画像で占めてしまっている。なんだかんだで昔の画像などは見返さないし、数年ではなくたった1年だけでも、地下アイドルやライブアイドルの自撮り技術およびスマホ画質はかなり発達し、今改めて見返した際に本当に取っておく価値はあるのか、と悩みつつバシバシ削除している日々である。

 

さて、今回執筆に至った衝動としては、子供運賃の見直しのニュースを受けてである。大学生の頃、就活時点で将来どう生きたいのかを掲げて結婚を避ける路線に乗った筆者ではあるが、それは結婚とは崇高たるもの、強い憧れが故にという想いもあれば、昔からずっと一人で過ごすことに慣れて快楽もストレスもどうにか遣り過ごしてきた、そんな孤独への慣れあって、最期まで自由を貫きたいという想いもある。相反する欲望のように思えるが、どちらも紛れも無い、自身の情念である。

 

先週末、土曜日のことだが、特に何も予定の無いまま、浅草を訪れ、そのまま日本橋に移って三越前あたりを歩くなどしたが、こんな寒い日でも睦まじく歩くカップルの多さには心を打たれてばかりであった。当人たちからすれば、互いに過ごすための場所決めなどが面倒だったり億劫に感じたりしているかもしれないが、特に歓楽街、そういった若者の存在無くしては、活気というものも生まれ得ないものだ。行く行くは結婚などへと人生を進めていくのかと思うと、本当に眩しく思えてしまう。

 

 

 

普通に、幸せに、生きる。

 

そんな「当たり前」を考えてみれば、昨今、地下アイドルやライブアイドルの解散や卒業が相次ぐのも、納得できてしまう。

 

特に、その大半が、コロナ前から活動している苦労人であることは、関心としては避けられないものだ。筆者も幾度と、コロナ禍などは特に、参戦の重要性を認識して、執筆して、ライブをベースに活動するアイドルの素晴らしさを拙いながらも論じたが、やはり一番は彼女たち、アイドル当人たちが必死に頑張って1つでも多く、ステージに立つという努力をしてきたからこそだ。

 

しかし今や、地下アイドルの価値は、と考えた時に、不祥事は尽きず、就く者のレベルも明らかに下がっている。何がトリガーだったのかと考えれば、地上と地下の逆転現象だろう。昔、地上アイドルはAKB48など、センターにスターを立たせてキャッチーな音楽を敷くことで、大衆文化を紡いできた。一方で地下アイドルはというと、場所を問わない場数の多さを武器にして、着実に経験を重ね、人知れずライブに捧げる少女たちという構図で、それはそれで良い棲み分けができていた。

 

この逆、とは簡単に今のアイドル界を議論できるわけではないが、では何が逆転したのかというと、ステージングのレベルの高さである。たとえば乃木坂46などは良い例だろう。一昔前は高貴なキャラクターを揃えることでAKBと比べた際のハイブランド化というのを解り易く展開していた。しかし今日はというと、Monopolyなど観れば判り易いが、フォーメーションの美しさやダンス展開など、MVに限らずとも夏のコンサートや新参者、アンダーライブなど、ライブに賭ける想いの強い者がしっかり集まっている。だからこそ、応援する側も今日ほどにまで増え、昔とは違った大衆人気を帯びている。

 

ハロプロはというと、モー娘一強の時代はとうに終わり、ライブの場数という点ではOCHA NORMAは欠かせないだろう。別に入れ替わり式なわけでもないにも関わらず、全国ツアーをタフにこなすところは、毎週ハロドリを観ていて若干心配になってしまうぐらいではあるが、それでもライブ中や直後の姿など見ていると、本当に良い表情をしている。心からライブが好きなのだろう。それでいてあのエネルギッシュなパフォーマンスである。当然、若さだけでは説明できない業である。

 

他に評価すべきなのは、何と言ってもビヨーンズだろう。本当にプロ集団だ。旅人算のライブパフォーマンスには驚かされた。セリフ調の歌詞をMVとはまた違った味を持たせて、唯一無二へと昇華させて表現してくる。つくづく思う。ビヨーンズに専念して応援する人生というのは、絶対に幸せだろうと。などと考えれば、地上アイドルは本当に、レベル高い者が多い。

 

 

 

コロナが明けてライブ参戦が何ら難しくなくなった今日、参戦するか否かは個々人の欲求に委ねられ、結果、コロナによって不可とされていた大衆的応援が再び可能になった。何が言いたいかというと、ドームレベルでの大規模ライブへの参戦や、旧握手会イベントなどの大衆イベントへの参戦というのが、抵抗無く行えるようになった。

 

さらに拍車をかけるのが、アイドル応援という文化が、決して地味なものではなくなったという、世間的イメージの刷新である。もちろん、貢ぐレベルで重度に応援するのは間違い無く闇なのだが、適度に応援する範疇では世間も理解してくれるようになり、その一趣味で人間的に拒絶するものでは決してなくなったというのが、本当に有難いことだと筆者も思うところだ。

 

さて、そうなってくると、相対的に、かつ全体的に、地下アイドルやライブアイドルは動員減少というのが予想されるわけだが、これは精確ではない。厳密に著すのであれば、ライブアイドルの類いでも、いや、こそと表現すべきか、知名度の優劣というものは著しく、故に知名度が中程度以上のアイドルが10組前後出演するような対バンであれば、キャパ1000程度は余裕で良い感じに動員できるぐらいには、ライブアイドルという領域も確かに知れ渡っている。ざっくり言うなれば、瞬間最多で200人程度といったところだろうか。あとは、参戦しても大半は観るのは数組程度なので、そこから延べ人数を算出すれば、なかなか良い商売なんじゃないかと思えてくるのだが、肝心なのは、こうした恩恵を受けられるのは、知名度を得てからだということだ。

 

別に知名度を得なくても、どんなに売れないアイドルだろうと、ヲタクというのは就いてくれるものだし、知名度によって距離が遠くなってしまうぐらいならむしろファンは少人数な方がいい、などと考える者もいるかもしれないが、運営面からすればまさに絶望的で、いつ解散させるかを日々悩むことだろう。やはりファンが少数だと収入が限られてくるのが痛いところだ。だからこそ、ニッチなアイドルを応援するのであれば、札束で殴って生涯推しを幸せにできる覚悟が無いなら、避けるべきだろうか。

 

 

 

そんな感じで、地上、地下、その中間層、などと雑に議論してみれば、地上アイドルへの風向きというのは決して悪いものではないと考える。少なくともコロナ禍と比べれば良好ではある。ただ逆に言えば、様々な業界がアイドルに関心を抱き能力を買ってくれるからこそ、スケジュールでは間違いなく多忙だろう。人員補充。その意が、今回のオーディションから強く感じられる。

 

かといって、とりあえず開催して、雑に採用してしまっては、要らない人員を増やして終わるだけである。だからこそ、2回に渡って慎重に選り抜くべきなのだ。筆者が考えるに、大事な要素としては、まず歌が上手いことを挙げたいが、伸びしろがありつつもその子にしか出せない味や雰囲気が欲しい。アイドルというのは、代えがきかないぐらい、個々人求心力が高くあるべきだ。

 

あとは何より、異なる価値観を尊重して、協力し合える素質を備えているということだろうか。正直、オーディション時点ではそれを解放できていなくてもいい。いざ活動に面した際に、グループとして活動するにあたって、最低限、マイナスな影響を及ぼさないことが挙げられる。しかしこれだけなら、おそらく、名の知れたライブアイドル事務所でも選抜可能なはずで、ベースとして考えた時に如何にその少女たちに可能性があるか、未来を飛躍させられるか、そんな先見性というのが、採用する側に求められるが故に、筆者は決して運営になれないなとも思うわけだ。それはさておき、だからこそ、地上への尊敬心は絶えないわけだ。

 

タスクマネジメントが全く機能していない課内、上長や先輩の顔色を窺うよりもずっと、アイドルについてこうして議論している方が幸せだ。そう思えてなんだか安堵してしまう、今現在の筆者である。仕事やゲームや資格勉強に追われて、アイドルを愛するだけではなく、考える議論するということに悦びを見出せなくなっているのでは、と正直、怪しいところではあった。

 

何か別の快楽を開拓する必要があるか、と、実は悩みを抱えていた筆者ではあったが、そうか、これが足りていなかったのかと気付かされた。良い執筆になった。明日からも頑張れそう、などと考えれば、また仕事のことを考えてしまうのでやめておこう。孤独のグルメでも言っていたじゃないか。ぼちぼちが一番だと。そうだな、明日からもしっかり、ぼちぼちに生きていこう。