おいおい、結局はソープ嬢への愛で展開するなんて、と、純粋なドルヲタ読者からすれば、再び失望を招き得る内容と化してしまっていたに違いない。仕上がり的には悪くないものの、何を主に据えるか、という点では微妙だ。
今回、対論として著そうと願ったのも、記事『目印』執筆から明けての日曜日、イコラブこと=LOVEコンサートの応援上映、ということで、お台場へ訪れたわけだが、その映画の内容が素晴らしかったので、急遽スタバに入って執筆しようとこうしてスマホと向き合っているわけだ。傍から見れば、などと気にしたら負けだろう。急いで仕上げていこう。
改めてではあるが、やはり、真摯にアイドルと向き合う少女というのは、美しいものだ。
映画では、想像していたよりもオーディション映像やその頃の心情吐露が多く流されてはいたが、当時と比べて、本当にみんな、見違えるほどに可愛くなった。もちろん、ファンのためにという想いあってこそだろうが、アイドルとしてもっと輝きたいという想いが無ければ、ここまでの昇華は叶わなかっただろう。志の高さというのは、他現存するアイドルたちにとって良い標となるに違いない。知名度と価値というのがしっかり相応しているのが本当に素晴らしいし、有難く感じるものだ。
そんなわけでルックスでまず大いに素晴らしいアイドルなのだが、アイドルである以上は、歌そしてダンスで魅せることも肝心になってくると筆者は考える。ただ、知名度というか活動形態の都合上、ライブアイドルほどには頻度高くステージに立てないことが一つ難点とも言えるだろう。だからこそ、数少ないライブで、確実にそして深く魅了する必要があるわけだが、そんな状況を圧に感じるのではなく伸び伸びとした歌唱で展開する、本当にプロデュース環境が整っており安心して活動できる環境が成っているのだと再認識させられた。
歌割遷移レベルで注意深く観ても、映画内で取り上げられた13曲すべて、納得いく歌割配置でピッチのズレもライブ感の範疇では全然悪くないものだった。入念なレッスン、そしてリハーサルの賜物で、ここまでできるのかと、もはやアイドル以前に人間としての極致を感じた。
才色兼備なアイドルが今日こうして広く愛されており、そして長く支持されているかと想いを馳せれば、まったく筆者よ、地下アイドルの不祥事解雇やジャニーズの運営破綻などで、アイドル界全体を批判することが如何に間違っていたかを深く反省するべきである。
それにしても、イコラブの映画、応援上映ということで声出しも可能ではあったものの、閑散とした場内で叫ぶのも違うと判断して、地蔵兼観賞を貫いた筆者であった。前述の通り十分収穫はあったものの、沈黙を貫くことが果たして本当に正しかったのかというのは議論の余地は確かにある。でもまあ、いいじゃないか。どこかの地下アイドル対バンみたいに無法地帯と化すことが無かった以上、それで十分だ。
アイドルを応援するという行為は、すっかり大衆化され、一つの文化として広く定着したと以前書いた。それはかつては、どんなに売れてない、そしてどんなにひどいライブをするアイドルだろうと、推しと据えて何らかの意義を見出し応援する者は憑く以上、結局はライブパフォーマンスなんぞどうでもいいという議論導出で用いた次第だが、今回の映画を観て改めてこの前提を敷くとしたら、真に推されるべきアイドルが昔の比にならないほどに広く、様々な層に届き得るという、希望的な議論導出として反転的な意味を持つわけである。
アイドルの未来は続く。強き信頼を抱き安心して推せる対象は移り変わろうとも、その刹那性を、そして抗うかのように長く活動していただけている者、共に趣があると感じ得、結果としてアイドルへの信頼という名の目印は、潰えることは無いと信じたい。
今この瞬間は家ではない場所での執筆のため表層化していないものの、少女人格もまた喜んでくれていると信じたい。振り返れば特に夏は寂しい想いをさせてしまっていた。こんな形で軌道修正することで、どうにか機嫌を直してくれると有り難いものだ。さて、今月の土日は限られている。次に自由な外出が可能なのは14と15になる。平日は仕事を頑張りつつ、隙間時間でライブ予定を調べ…、いや、TimeTreeもGoogleカレンダーもろくに更新してくれないし、思ってたよりライブが少ないように感じるし。
まあいいか。偶像的に地上アイドルだけ推せていれば十分だろう。それにINIライブ参戦に備えて予習もしないといけない。地下アイドルのライブ参戦などしている暇も無い。
信頼できる者だけ長く強く推す。
当たり前だが、アイドルについて深く考え込んでしまうとつい見失ってしまいがちな原点だ。そうか、この原点こそが、据えるべき目印に違いないと腑に落ちたところで、映画鑑賞直後の衝動的な執筆を終えるとしよう。(2000字)