アイドルにとって、より多くの人に愛されることは幸せであろう。多者かつ他者に愛されることを目的の一つとしてアイドルをする者は多いはずだ。

その名声というものは、容易に得ることができるものではない。単純な近道があるほどに簡単な話ではない。アイドル自身の絶え間ない努力はもちろん、その努力が真っ当なものか、加えて運営のプロデュース力なども試されるものである。

 

 

 

さて、先日、とあるアイドル運営が声援に関してツイートをした。

その現場の声援は独特で新規が加勢しにくく、新規獲得のために改善してほしいといった主旨のものであった。

なかなか興味深い要求だと思ったものである。これについて現場を愛する筆者の意見を書いていこうと思う。

 

 

 

まずは、そもそも声援とはファンで為すものであること。

本来主体的に創るものであって、それを運営やメンバーが何かしら意見するということ。それ自体が斬新であった。

声援含む応援とは、ファンが体力を削って行うものである。自身ではなく他者に決められて行う応援とは形骸化なのではと思ってしまう。

しかし、筆者は「専ヲタ」という言葉を多用するように、声援は専ヲタの方々に合わせるように心掛けている。

ならば、そもそも筆者自体が応援を形骸化させているのではないか、と思われてしまうかもしれない。

それについて、理由をちゃんと説明しようと思う。

 

 

 

筆者は、アイドルというよりも、専ヲタの方々を応援しているのかもしれない。

少し前は、現場を支えんとするような意志を持った方々が最前列、少なくとも前方に立ち、勇ましく応援する姿が強く印象的であった。

もちろん、アイドルは魅力的だが、全力で応援する彼らもまた輝いて見えた。

自分一人でできることは非常に微力ではあるが、しかし少しでも力になりたい。

そんな意識が、筆者をDDへと変えた原動力であった。

 

 

 

そのため、筆者からすると、その応援そのものが現場を現場たるものとする大きな要素であり、他の現場と差異を設けるために必要だと言っても過言ではないほどに重要視している。

そんな現場を、新規のために変えてほしいという要求、いくら運営とはいえ如何に図々しいかと思ったのは否定できない。

そこまで憤っているわけでもないし、躍起になるつもりもさらさらないが、まさか声援というものがそんな風に見られてしまうとは。

筆者が愛してきたものがどれほど軽く思われているかという衝撃を受けたものだ。

 

 

 

ただ、タイトルにもあるように、そういったものを内輪意識とはき違えてしまうと、それは新規を排斥してしまうことにつながってしまうので、現場を形成することは本当に難しいことなのである。

本現場は若干独特な形成でありながらそこまで新規が増えていない現状にしびれを切らしてそんな要求をしたのか、と思えば理解できない話でもない。

だがしかし、新規を排斥するのは本当に声援が主な要素であろうか。

これこそが、筆者が今回この記事を書いた理由である。

 

 

 

物販時に内輪のファンに対しては笑顔いっぱいであるのに対し、物販に久しぶりに行ったときの冷めた表情が未だに忘れられない。

物販メニューを新規同然に紹介するわけでもなく、快く話しかけてくれるわけでもなく。

日常的に払えるような金額でない物販において、そんな状況下で新規がそれでも物販に行くとなると、それこそかなり限られるのでは。

何度も書くが、別にそんな現状は筆者は改善してほしいとかそんなことは少しも思わない。

ただ、現状維持で本当に新規ファンを獲得できるのかな、と他のアイドルのライブ、現場、物販を比較して、特に筆者は物販に難があると思うだけである。

比較対象の少なくない筆者は、本当に行きたい、投資したいと思える運営やメンバーにしか金は落とさない。

 

 

 

声援だけでなく、物販をも形骸化させてまで応援に自身を捧げるのは、懲り懲りである。(1571文字)