家内と長崎に行った。

 

ずっと行かなければと思っていたが、なかなかその気になれなかったけど。

 

原爆平和公園と資料館をこの年齢になって初めて訪れた。

 

 父が16年前に亡くなったときに、棺に被爆者手帳を入れた。手帳には「爆心地から1.9Kmの地点で被爆」と書いてあった。

 

原爆資料館に行ったときに、生々しい被爆者の様子、写真が展示してあった。息をのむ、これが本当に人の姿なのかと、重苦しい気持ちになる。

 

家内と黙ってそれらに見入っていた。館内には外国人も多かった。おそらくアメリカ人だと思しき家族もいた。

 

若い10代の息子さんが、いささか飽きたのだろうか、落ち着かない様子で、もう展示物を見ていなかった。でも父親たちは黙って展示物を見ていた。もちろん英語の説明文章もあったので、リアルさは十分伝わっていたと思う。

 

80年前のあの日、父は16歳。長崎市から北の方の訓練場で、学徒動員として鉄砲の弾を磨いたりの訓練を受けていた。

 

昼頃に教官が市内に大きな爆弾が落ちたらしい。今日はこれで訓練終了、全員帰宅するようにとの命令が出た。

 

 何がなんだか分からず、不安にかられながら、一生懸命自宅を目指して走った父。

 

 途中から、川の中にたくさんの黒焦げの人々が浸かり、中にはまだ生きていてうめき声をあげている様相。

 

 水をください。絞り出すような、弱った声があちこちから聞こえて。ますます不安と恐怖にかられた父が帰宅してみたものは。

 

 朝、行ってらっしゃいと見送ってくれた、母親や幼い妹たちが黒焦げになって、形も顔もわからず横たわっている状況。

 

 思えば16歳でこんな経験をした父が、毎年の原爆の日に大人になっても嗚咽していた理由が痛いほど分かった。

 

父の父親、弟の2人は造船所にいて直接熱線を浴びることはなく助かったのでした。

 

 「爆心地から1.9Kmで被爆」の意味が分かりました。自宅のあった場所なのです。自宅で二次被爆。

 

 父からは原爆の話を直接聞いたことはありませんでした。原爆の熱線は数千℃まで達したと聞きます。生き物が原型をとどめるわけがないのです。目玉が飛び出たり、顔がなくなったり、体が曲がるのも、皮膚がただれて剥がれるのも無理はありません。

 

 資料館の説明で、原爆使用の許可を出したルーズベルト大統領、トルーマン大統領。

 

「戦争を早く終わらせるのが目的でその判断は正しかった」現在でも投下の是非を問われてその答えを繰り返しています。

 

父は言っていました。「被爆者とは見せしめじゃ」

 

私は違う意味でとらえています。「被爆者とはモルモットだ」

 

 現在も核兵器は世界に12,241発存在しています。その90%は米国とロシアが保有しています。これらを全部投下したら、何千回も地球を破壊できるそうです。

 

 日本の中でも、「生意気な中国を抑え込むためにも、日本も核武装すべきだ」という意見の方がいます。これだけ沢山の核兵器が存在していて、日本がいくつか保有したところで何の効果があるのでしょう。

 

 勇ましいことを言う方は、一度広島、長崎の資料館に行ってみて欲しいのです。人が人として、生き物として扱われないおぞましい様子が分かります。自分の家族、友人、大事な人たちが、そして自分自身がその被害にあったらどうなるのかを知ってほしいのです。

 

 現在も戦争をしている国があります。長引けば長引くほど、死者がたくさん出ます。どちらかが降伏するまで続けたとしても、多くの人が命を落とすことになります。もちろん築き上げてきた文明、文化がことごとく破壊されていきます。

 

 正しい行動は戦争を直ちにやめることです。赤勝て、白勝てではないでしょう。

 そんなことよりも人類はほかに取り組むべき重要なことがあります。

 

 今のままでは人類は、近いうちに滅亡すると言われています。

 

滅亡の原因は、

1.大規模天変地異 (地殻変動、大雨、洪水)

2.飢餓飢饉 (食料の枯渇)

3.疫病の流行 (ペスト、コロナなど)

4.紛争(殺し合い)

 

早ければ数十年で人類は滅ぶという説もありますし、数百年のうちには滅んでしまう、という説もあります。

 

どうなんでしょうか。核兵器?殺し合い? 人類はそんなことをしている場合ではないと思います。

 

大規模天変地異で被災した国の人々をどこの国が受け入れるのか、飢饉のときの食料配分を国際レベルで協議しておくなど、人類は協力して存続のために協議しておくべきだと考えるのです。

 

場合によっては、好き嫌いにかかわらず、大規模地震が起きて日本人が領土を捨てて、中国に頭を下げて大陸に住まわせてもらう可能性だってなくはないのですから。