献血は自分のためにやる | 池田 泰急のブログ ZX10R SL230 マラソンと旅行

私的にはバイクネタ、マラソンネタを中心に実行し献血ネタは、おまけ程度と考えています。

 

献血ネタを記載するとみる人が多いので驚いています。

 

16歳になったとたん原付免許を取りに行った際に実行したのが始まりです。

 

当日は雨。代書屋で書類を作ってもらい、申請手続き後試験開始。

 

事前に練習問題を解いていたので、電光掲示板に私の番号が点灯し一発合格。ホッとしました。

気が大きくなって献血したのが一回目です。※上記画像は当方注射ダコです。

 

それからしばらくして・・・、浪人中でやることがなかったからか、続けるようになりました。

 

成分献血が出始めた頃でした。昭和61年頃でしょうか。

 

当時は世のため、人のためでした。浪人の身で社会に全く貢献できていないという

 

負い目があったからかも。

中野の献血ルームタキオン(今はない)でほぼ毎月実行していました。

 

献血は現在のように機械的にやるものではありませんでした。看護婦さん(当時)の顔も知っていて、「池田さん、次回はいつにする?」こんな調子です。受付の人もいなかったんじゃないかと思います。

 

採血は医師がやっていて、青白い液体の中に私の血液を1滴入れて、落ちる速度で比重を測っていました。

 

いまではありえないことですが、私は「こうやって比重を測るんだと思っていました。

 

当時、私は若かかったですし、気力体力も充実していました。看護婦さんから「両腕で採血してもいい?」と聞かれ両腕でやったことも複数回あります。ドナーにつきっきりで世間話したりしていました。

 

毎月献血するということは、風邪や体調不良に気をつけなければなりません。

 

献血一週間前に母親に「ヒジキの煮物作って」と依頼し、体調を整えるように気をつけました。