鹿島神宮には
東西南北に一之鳥居があることをご存知ですか。
東の一之鳥居や北の一之鳥居の案内板によると
次の4か所の一之鳥居内が神域なのだそうです。
東の一之鳥居は太平洋に面した明石の浜
西の一之鳥居は大船津の北浦湖面
南の一之鳥居は神栖市の息栖神社の前
北の一之鳥居は神戸の森
…となっております。
それでは
私が行った時の4つの一之鳥居について
記していきたいと思います!
ちなみに
一度に訪れることはできなかったので
時期は全部違います。
茨城県鹿嶋市明石の明石海岸にあります。
次に紹介する西の鳥居と比べてしまうと
派手さはありませんが
東日本大震災にも耐えた木製の鳥居で
なかなかの強者です。
鳥居と海の間の防潮堤を
先の震災を踏まえて
さらに高くしてしまったことや
サーファーや釣り人の車が
普通に路駐してあったことなどがあり
ちょっと悲しかった記憶があります。
でも、
防潮堤は住民を守るためのものなので
仕方ないですね。
日本にはいくつかレイラインがありますが
ここも日本のレイラインのひとつといわれており
日本で最初に日が昇る場所とも言われています。
鳥居から海を見渡すことはできませんが
現在も静かに佇んでいました。
到着したときは
鳥居にしか目がいかなかったけれど
振り返ると道中に道標と石碑
そして、遠くに目をやると
鹿嶋灯台も望めます(後述)
●道標には…
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中央に大きく「鹿嶋大神宮」
左に小さく「南 てうし」
右に小さく「北 いそはま」
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と刻まれていました。
「てうし」は、銚子
「いそはま」は、磯浜ですね。
●石碑(敬神)には…
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鹿島神宮東門一ノ鳥井再建ヲ
計画シ以て其ノ實現ニ奮闘ス
敬神ノ一念空シカラス爰ニ奉
建ノ目的ヲ達ス
維時昭和七年四月吉日
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と刻まれていましたので、
西の一之鳥居近傍にある
神宮橋(初代の方は昭和5年開通)と
同じ頃に再建されたようです。
その後、
東の一之鳥居から見えた灯台にも
もちろん行ってきました。
東の一之鳥居の西方の高台にあり
銘板によると
1971年(昭和46年)3月生まれのようなので
なかなかのお年ですが
調べたら現在も現役のようです。
海から離れたところにありますが
東の一之鳥居からもよく見えたということは
問題なく
海の安全を守ってくれていると思います。
チェーンで締め切られているので
敷地内には入りませんでした。
茨城県鹿嶋市大船津の北浦湖上にあります。
現在の鳥居は
2013年(平成25年)6月に再建されたもので
耐候性鋼板で出来ているそうです。
水底からの高さが18.5m、幅22.5m
橋脚の直径が1.515mと、とても大きいです。
鹿嶋市と潮来市を繋ぐ、神宮橋の近くです。
日本最大の水上鳥居と言われているだけあって
朱色の鳥居が見えたときは
思わず「わぁ〜」と声が漏れ出てしまうほど
本当に圧巻でした。
茨城県神栖市の息栖神社の大鳥居(一の鳥居)
この鳥居が
南の一之鳥居を兼ねているとのことでしたが
息栖神社のどの案内板を見ても
そのようなことは書いてなかったです。
私が見落としたのかな?
鳥居の先には息栖の舟溜りがあって
その先の堤防には
1974年(昭和49年)3月生まれの
息栖樋門がありました。
堤防は整備されていて
お散歩している人もちらほら。
時がゆっくり流れている場所でした。
大鳥居(一之鳥居)の両脇には
小さな鳥居が井戸の中にある、
「忍潮井」と呼ばれる井戸があり
向かって左が女甕、右側が男甕と呼ばれており
日本三霊泉の一つなんだそうです。
日本三霊泉とは
息栖神社の忍潮井(おしおい)
伊勢の明星井(あけぼのい)
山城の直井(なおい)
の3つの井戸を指すそうなのですが
勉強不足で私は全然知らなかったです。。。
水底を覗くと
甕(瓶:かめ)が見えるらしいのですが
私が行ったときは
残念ながらあまり良く見えませんでした。
私に幸せはまだ早いってことですかね…。
気温が高いと水が濁りやすく
低いと水が澄んでくるそうなので
極寒の時に絶対再訪したいと思います。
茨城県鹿嶋市浜津賀にあります。
鹿島大野駅から
北に向かって10分ほど歩いていくと
突如、ここが"神戸森"か!と
ひと目でわかる森が見えてきます。
この森は北の一之鳥居のすぐ隣にある
戸隠神社の境内でもあります。
北の一之鳥居は
車道を跨ぐように立っているのですが
ここも戸隠神社の境内なのかな?
水戸方面から鹿島神宮に参拝する人々は
ここを通って向かったのだそうです。
水戸から歩いてここまで来るとなると
10時間はかかると思うので
昔の人たちにとって参拝は
本当に大イベントですよね。
後述する案内板によると
戸隠神社の鳥居は
2019年(今和元年)9月の台風により倒壊後
2020年(今和2年)5月に再建されたもので
北の一之鳥居は
2017年(平成29年)10月に
再建されたものだそうです。
この鳥居の大きな特徴は
硬質塩化ビニール製だということ。
塩ビの鳥居は聞いたことなかったので
少しびっくりしました。
なお、鳥居の脇には
昔の基礎が置いてありました。
戸隠神社にお賽銭をと思ったのですが
すぐに盗まれそうなお賽銭箱だったので
やめてしまいました。ごめんなさい。
それでは
3つの案内板に記載されていた内容を
ちょこっと紹介します。
劣化が激しかったり個人名があったりと
いろいろありますので抜粋です。
●戸隠神社の鳥居横の古い案内板
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戸隠神社
御祭神 手力雄男命(たぢからおのみこと)
鹿島神宮の北の一之大鳥居の建立されて
いた所で住吉より神戸森と称した
例祭日 十一月二十三日
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●鳥居をくぐった先にある新しい案内板
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戸隠神社
御祭神
手力雄男 命
緣 起
長禄元年(1457年)二月
信濃国戸隠神社の御分霊を奉祀し
濱津賀郷の鎮守となる。
鳥居の再建
今和元年(2019年)九月の台風により、
鳥居が倒壊
今和二年(2020年)五月、
氏子有志の支援により再建す。
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●鹿島神宮一之鳥居の案内板
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鹿島神宮一之鳥居建立記念
悠久
奉納 中島ビニール加工 日立市
鹿島神宮はかつて東西南北に一之鳥居があった。
東は明石、西は大船津、
南は日川、北は当地浜津賀である。
ここ一之鳥居の建立されている周辺は
神戸地区といわれ文字通り鹿島神宮への
玄関口の意味でその地名が残っている。
隣接する戸隠神社の境内は神戸森と呼ばれ
黒松の巨木が立並ぶ森が形成されていた。
その姿は海上から見ると突出しており
沿岸漁業者の漁場の位置取りや
海上交通の目印として鹿島神宮の森、
筑波山、日立銅山の煙突等との組合せで
重要な役割を果たしていた。
この地方では神戸様という言葉が通用し
浜津賀地区をはじめ多くの人々が
戸隠神社のことを神戸様と呼んでいる。
一之鳥居は神戸であり
その存在は地域の人々の生活や
文化等に大きな影響をもたらしてきた。
平成二十九年十月一日
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いきなり現れる神戸森
一本隣の道は県道242号で
車がビュンビュン走っているけれど
神戸森のあるこの道は
とても静かで
とても清々しい気持ちになりました。
大変だと思うけれど維持していってほしい
そんな場所です。
ちなみに最寄りの鹿島大野駅は
関東の駅百選の認定駅だそうで
とても個性的でモダンな駅でしたよ。
まだまだ知らないことが多くて
出掛ける度に調べては
いろいろな点が線になって
繋がっていくことも多くて
本当に面白いなぁと思います。
そこになにか構造物がある、
またはあった形跡がある
ということは
なにかの役目があったわけで
無意味なものなど何一つなくて
なくなったのにもわけがあって
そういうことを考えながら
当時に思いを馳せるのは旅の醍醐味です。
隙間時間が出来たら
出掛けられるように
お金を貯めなくちゃです!






