ちょっと前に夢の中で見た品川神社

恥ずかしながら
存在しているのかどうかすら
私は知らなかったので
検索してみたらちゃんとありました



これは
行けって言われているんだろうと思ったので
すぐにでも行きたかったのだけれど

なかなか時間がとれなくて

もんもんとしつつ計画を練る中

ようやく隙間で行けそうな日を見つけ
やっとこさ行ってきたときの健忘録です



品川神社だけ行くのもなんだかなと思い

近辺に何かないかな〜
と探していて見つけたのが以下の遺構

・旧大井町変電所
・日本ペイント明治記念館
・享保21年道標
そして、荏原神社と品川神社

今回は短時間で巡ったので
それぞれについての感想も薄くなりそうですが
健忘録を書いていきます!



バス旧大井町変電所

(東日本運輸サービス山手事業所)

こちらは、
現在の京浜東北線(旧京浜電車)が
東京駅〜高島町駅間で開始されたとき
大正3年(1914年)に
大井町変電所として建設された建物で、
現在は
東日本運輸サービス山手事業所として
使用されている煉瓦造りの建物です。

知ってしまったが最後
どうしても観たくて
なんなら品川神社よりも行ってみたくて
念願叶ってやっと行ったのですが

さすが都会


めちゃめちゃ人が多くて
通行の邪魔になりそうで
写真撮影に少し躊躇してしまいました

しかも
フェンス&樹木で覆われていて
良い感じのポジションが
なかなか見つけられませんでした

なので
あんまり良い写真が撮れなかったため
ちょっと悔しいですが
消しゴムマジックで
私的に要らん物体を削除しました


蔦が良い雰囲気を醸し出していますが
躯体へのダメージが進みそうなので

ちょっと複雑です

メンテが大変だと思うけれど
後世に残して欲しい建物です



バス日本ペイント明治記念館


次は

日本ペイント㈱内にある煉瓦造りの建物です。

明治42年(1909年)に建設された工場で
我が国最古の油・ワニス工場です。
…と案内板には書いてありました。

「明治記念館」と称して一般に公開されたのは
昭和56年(1981年)だそうで
当時は建物内部も資料館として
開放されていたようです。

残念ながら現在は休館中で
理由はわからなかったのですが
再開の目処はたっていないようです。

なので
先程の旧大井町変電所と同じく
外観をちょこっと観て終わりました。

日本最古の油・ワニス工場とのことなので
こちらも
残していってほしいなぁと切に願います



バス享保21年銘道標


こちらも
先程の明治記念館同様、
日本ペイント㈱内にある遺構で
享保21年(1736年)に
南品川の庚申講中の人々によって
建てられたとされる道標です。

東海道から南馬場通りを経て
目黒に至る道が
日本ペイント㈱前の碑文谷道と
交差する地点にあったことから
正面に「かう志んかう中(庚申講中)」
左面に「左ひ文や道(碑文谷道)」
右面に「右めくろ道(目黒道)」

と彫られています。


なお、
裏面には年紀が彫られているそうなのですが
皆さんが出勤する中
裏側に廻り込んで観る余裕がなかったです…


守衛さんに趣旨を説明すると

敷地内に入っての

写真撮影の許可をいただけたので

近くで観ることが出来て

本当に嬉しかったです。
その節は
ありがとうございました。



バス品川神社


そして
いよいよ当初の目的である品川神社へ

神社私的見どころ1


境内の入口にある
龍の細工が施された双龍鳥居


左側の柱には昇龍
右側の柱には降龍が彫り込まれているのですが
こちらの石鳥居は
大正14年(1925年)に製作されたとのことで
来年には百歳を迎えます。

地震の多い日本で
ちゃんと残っていてくれて
本当に嬉しい限りです。

ちなみに

東京にある双龍鳥居は3ヶ所のみで

東京三鳥居などと呼ばれています。


東京三鳥居は

今回訪れた品川神社のほか

馬橋稲荷神社と高円寺境内稲荷社にあるとのことで

他の双龍鳥居については
日を改めて行ってみたいと思います

で!
帰宅後に知った衝撃は
品川神社が
東京十社のひとつだったということ。

全然知らなかったです。
本当に無知って怖いです。

無知なりに調べていたら
東京十社だの社格だのといろいろとでてきて
面白くなってきたので

変遷も健忘録として記しておきます。


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永保元年(1081年)
 社格制度としての畿内二十二社が確立
 国家の重大事、天変地異の時などに
 朝廷から特別の奉幣を受ける





明治元年(1868年)10月17日
 東京奠都により
 明治天皇は
 氷川神社の例大祭を新たに勅祭に定める。

明治元年(1868年)11月8日
 それまでの二十二社などの勅祭社に併せて
 東京近郊の主だった十二社を准勅祭社と定めて
 東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社とする。

准勅祭社(十二社)
・神田明神✔
・亀戸天神社✔
・富岡八幡宮✔
・芝大神宮
・品川神社✔
・赤坂氷川神社
・日枝神社
・白山神社✔
・王子神社
・根津神社✔
・六所神社(大国魂神社)✔
・鷲宮神社

明治3年(1870年)9月1日
 准勅祭社制度の廃止

第二次大戦後(1945年〜)
 政府による社格の廃止





昭和50年(1975年)
 昭和天皇即位50年を奉祝して
 元准勅祭社十二社の中から

 東京近郊の社のみ

 (六所宮(大国魂神社)と鷲宮神社以外)

 東京十社とする






現在に至る

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明治天皇が

東京の平安を祈った東京を代表する十社


私ごとでいうと

上記のうち、「✔」を入れた神社は
訪れたことがありますので
残るは
・芝大神宮
・赤坂氷川神社
・日枝神社
・王子神社 …の4つ!

十二社のときに入っていた
・鷲宮神社

…の5つです!


機会を見つけて
生きている間に訪れたいと思います。


そしてそして
品川神社は
東京十社のほか、
東海七福神の一社にも
選ばれている神社なのだそうで
入口には双龍鳥居の隣
…というか狛犬さんの左隣に
七福神の一柱である大黒天が鎮座していました。





神社私的見どころ2は


海蝕崖!

地形の際です


品川神社は、
地理院で見ると
北西から流下する目黒川沿いの低地に
北側から突き出た台地の末端に位置しています
その末端は
いわゆる海蝕崖で
前面道路からは階段を上らないと

神社にはたどり着けません。

(裏には坂道もあります)


その前面道路は
砂州砂丘が広がる地形となっており
さらに東側は

埋立地となっているところです。



品川神社付近の治水地形分類図(国土地理院)



砂丘の際なので
液状化が起きやすい箇所だとは思いますが
貴重な双龍鳥居を

なんとか守っていってほしいなと

思いました。



文治3年(1187年)に創建された頃の

品川神社の前面道路付近は砂丘で

階段を上って振り返ると

広大な海を見下ろすことが

できたんじゃないだろうか


そんなことを想像して

上から写真を撮ってみました。
どうですか?
絶景観えましたか?




そして、
その台地のさらに上に
本物の富士山から運ばれた溶岩で
富士塚が築山されていて
そこからの景色がさらに素晴らしい!
と紹介されていたので行ってみたかったのですが
時間と体力がなかったので

今回は見送りました。


神仏分離政策により
一度は破壊された富士塚
再築、移築を乗り越えて
今の姿があるとのことなので
一度は登ってみたいです。






神社私的見どころ3


一粒萬倍の御神水!


阿那稲荷神社上社を
少し下ったところにある
阿那稲荷神社下社に
一粒萬倍の御神水がありました。


ここでお金を洗うと
万倍になると伝えられているそうで
そのお金は門前、北品川の商家で

使ったほうが良いとされています。


要は
地元にお金を落として経済回してくださいな
ってことです。

だけど残念ながら
現金で支払うことが少なくなったため
私の財布の小銭入れには
5円玉が2枚あるのみでしたので
1枚を保管用として
もう1枚目をどこかで使おうと
小銭入れに戻しましたが
先にも述べたように
現金での支払いがめっきり減ってしまったため
未だに私の財布の中にあります。

品川神社にはこの他にも
・品川ネギとカブ
・二の鳥居と三の鳥居の間に居る備前焼の狛犬
・立派な社殿(昭和39年再建、令和2年修復)
・神楽殿(令和元年、瓦葺きから銅葺きに改修)
・包丁塚…などなど
たくさんの見どころがありますので
是非、実際に行って見てきて欲しいなと思います。





●まとめ

お次は荏原神社!

…と思ったのですが

次の予定が迫って来てしまったため

時間切れとなり
残念ながら行けませんでした。

品川神社の富士塚も登っていないし

絶対また行こうと思います!


そもそもは
品川神社が夢に出てきたことから
きっと呼ばれているんだ!
などと勝手に思ったことがはじまりです。

夢でみた品川神社がどんなだったかは
朧げで微かにしか覚えていませんが
実際の神社は静かで良いところでした。





次はどこに行こうかな〜♪





バス