今回は
京都伏見稲荷大社のご分祀である
東伏見稲荷神社に参拝に行ってみよっか!
という
軽い気持ちで出掛けたときの健忘録です
行ってみると気になることばかりで
とても面白かったです神社



あしあと参道入口の鳥居(一の鳥居)


まずは東伏見駅南口を出てすぐの

参道入口の鳥居↓



これがとても立派で
おぉ〜!となっていたところ

「文部大臣 鳩山一郎 謹書」

と刻まれている石柱が
隣にあることに気付きました。

なんで鳩山一郎?
と気になり調べたことにより
東伏見の歴史を知ることになりました。



西武新宿線 東伏見駅は
もともと東伏見神社があったから
東伏見駅になったのかと思っていたのですが
順番はちょっと違ったようです


100年ほど前の1925年(大正14年)
西武鉄道が2年後の駅開業に先駆けて
まず行ったことは早稲田大学の誘致でした


西武鉄道は
大学の総合運動場となる土地を
大学に寄付することで誘致に成功し
1927年(昭和2年)

この地に駅を開業したのだそうです


開業当時の駅名は"上保谷駅"


そして
西武鉄道が次に行ったことは分譲地の販売
長者園文化住宅地(現在の東伏見公園あたり)
と呼ばれるモダンな建物のある
新興住宅街だったようです


当時の雰囲気を見てみたかったのですが
空襲により町が破壊されたため
残念ながら今はないようです

というか

素敵な公園になっていました


さらに西武鉄道が行ったのは
伏見稲荷神社の勧請


西武鉄道は
東伏見稲荷神社に
土地の無償貸与などを行ったのだとか


どんだけ土地持ってんのよ…


昭和2年に上保谷駅として開業したのに
2年後には東伏見に改名とは
なかなか大胆です



ここで
思い起こされる
「文部大臣 鳩山一郎 謹書」の石柱

鳩山一郎氏が文部大臣だったのは
1931年(昭和6年) から1934年(昭和9年)
朝ドラ「虎に翼」における
共亜事件のモデルとされる帝人事件で
汚職の疑いをかけられ
辞職するまでのおよそ3年の間に
揮毫されたのでしょう


クリスチャンだったと記憶していますが
結構いろんな神社で揮毫されているようなので
きっと
異教の儀礼をも尊重できる方なのでしょう


鳩山一郎氏のお陰で
失礼ながら

全然知らなかった東伏見の成り立ちを
少しばかり知ることができました
ありがとうございます





あしあと参道中央付近の鳥居(二の鳥居)


先の参道入口の鳥居をくぐると
次に出てくる参道鳥居がこれ↓

※一部加工しています


こちらもとても立派でした
分岐点にどーんと建っていて
このまま真っ直ぐ進んでいくと
神社に到着するので
迷うことはないと思いますが
神社では
さらに大きな鳥居と出会いました






あしあと東伏見稲荷神社の狛狐さん


京都の伏見稲荷大社には
稲穂・巻物・玉・鍵をくわえている
お狐さんがいるそうですが

東伏見の方は
左側が鍵(穀物倉の鍵)
右側が玉(宝珠)
をくわえていました。








あしあとお塚


そもそもお塚とは
稲荷神を信仰する方が
個人的な守護神として
名前を付けて奉納したものです


「お塚の巡拝をおすすめします」


とあったので鳥居をくぐったものの
小銭がなかったため
一礼のみとさせていただきました
すみません







あしあと中島飛行機株式会社
      武蔵製作所 殉職者慰霊碑


お塚の一番奥にひっそり佇む慰霊碑
入り口が狭すぎて
入っていいのか一瞬戸惑いましたが
意を決して歩みを進めたところ
顔面に蜘蛛の巣が絡まりましたニヒヒ




長い事
誰も来ていないのかな?


ここには戦前
中島飛行機の社員研修所があったことから
中島飛行機武蔵野製作所で亡くなった人々の
慰霊碑があるんです


以前なにかの番組でこのことを知り
東伏見稲荷神社に行く機会があったら
絶対に寄ろうと思っていたんです。


米軍は
日本空軍の補給力を全滅するために
国内一の航空発動機工場となっていた
中島飛行機株式会社武蔵製作所を
本土爆撃の第一目標とし
1944年(昭和19年)11月24日の空襲以来
終戦まで十数回爆撃しました
これにより
二百余名が死亡、
五百超の負傷者が出てしまったという
悲しい過去があるのです
慰霊碑はここでは載せません

是非行ってみてほしいです





あしあと国史跡下野谷遺跡公園


石神井川沿いに少し歩くと
右岸側に
国史跡下野谷遺跡公園が現れます


失礼ながら
こちらもあまり知らなかったのですが

駅前に案内板があったので来てみました


1970年代の本格発掘調査と
その後の調査により
大規模な縄文時代集落であることが
判明していたのだそうで
2007年(平成19年)
下野谷遺跡公園として
整備されたのだそうです


私が確認できたのは
復元された竪穴式住居ふたつと

土器溜りなんですが





調べてみると
出土状況の復元や
土層の堆積状態を表す土層模型
土坑墓などもあったそうで
ちゃんと見つけられなかったことが
本当に悔やまれます
また機会を見つけて
リベンジしたいと思います!


ちなみに
竪穴式住居の内部は
日曜日に公開しているそうです
詳細は
ホームページ等で確認してくださいませ





あしあとまとめ

気になったことは調べてみる
調べてから改めて見てみると
理解が深まる
知らない地を実際に歩いて感じる散策は

やっぱりとても有意義だな〜と
再認識した一日でした照れ






あしあとおまけ

石神井川はとてもきれいに整備されていて

お散歩するには

とても良い環境だと思ったのですが

どうしてこうなった?
っていう4種類の修景材の端部をみて
思わず写真を撮ってしまいましたカメラ





いろんな修景材があるんですねぇ〜




バス