NNNドキュメント
毒ガスの痕
~広島 ウサギ島の記憶~
を観ました。





大久野島
通称、ウサギ島。
そして、元、毒ガス島でもある。





ずっと、
行ってみたいと思っていた。
うさぎは好きだが
それで行きたいと
思っていたのではなく、
資料館や工場跡に触れ
知る必要がある
と思っていたからだ。





でも、
冒頭で毒ガス工場の
元工員の方が、

この島は怨念の島、恨みの島。
それは毒ガスで命をとられた…。
多くの人が、観光客、
ウサギの島で
たくさんおいでになっていますが
わたくしは
ひとつも
嬉しくないです。

と、
語っているのを観て
訪ねてみたい気持ちに
ストップをかけました。





彼のその表情は
無表情で、
でも、
その瞳の奥に
怒りや悲しみが
渦巻いているように感じたのです。





誰も癒すことのできない傷が
いつまでも
彼にまとわりついているように
見えました。





特に心の傷痕は、
どんなに時が経っても
癒えることはない。





戦争に限らず、
辛い経験をした人間は
辛い経験と向き合おうとする。
けれど、
多くの人間は語りたがらない。
それは、
口に出したとたんに
まざまざと思い出されてしまい、
生きていけないほどに
辛くなるとわかっているから。
思い出したら
生きていけないから、
口を閉ざす。

何十年と年を重ねて
その辛さよりも
繰り返してはならないと言う
正義感が勝ったとき、
自分には残りの時間が
あまりないのだと気付いたとき、
後世へ伝えていくのは
自分の役目だと思えたとき、
やっとの思いで、
私達に伝えようとしてくれている。





だから、
戦争を知らない私達は
それをきちんと理解し、
受け止め、
後世へ伝えていく義務がある。

もちろん
伝聞による情報は
それが辛いものであればあるほど
感情的になるため、
客観性を失い、
偏る場合が多いことを
念頭に置きながら、
出来るだけ多くの資料を
多方面から収集し
それを客観的に捉え、精査し、
客観的に後世へ
伝えていくことが重要だ。





冒頭の元工員の方は
こうも言っていた。

毒ガスを作ったというのは
これはもちろん加害ですから
犯罪ですよ
加害者ですよ
犯罪者ですよ

………

戦争するためには
毒ガスを作るのは当たり前だろう
という人間を作ったんじゃろう
言うてみれば天皇陛下のためだ
という人間になっていたんじゃろう

そういう人間を作ったんじゃろう

それがなぜ毒ガスか
今問われなくてはならない。





無表情な彼は
やはりどこか悲しげで
多くの怒りや悔しさ
辛さや贖罪の気持ちを
孕んでいるように思えた。





被害者(死傷者や関係者)も
加害者(作らされた方々)も
みんな被害者。





じゃあ、
ホントの加害者は誰?





良い戦争も
悪い戦争も
ましてや、
聖戦などどこにもない。





「私はうさぎがただ見たいな
    と思って(来ました。)
    かわいいので。」
「うさぎを見に来ました。
    うさぎもいるし、
    面白そうだから行ってみない?
    みたいな感じで。」

と言っている観光客らしき人々が
いるということは
日本は平和になった
ということであり
喜ばしいことなのだろうと思う。





だが、
この元工員の方や
元兵士の方々の言葉を
忘れてはならない。





そう
強く思った。