時には立ち止まって。(名作シリーズ“時には”〜〜昔の話を/母のない子のように/娼婦のように) | 拝啓 おばあさま

拝啓 おばあさま

職なし、家なし、胸なし。全国を車でふらふらしています。   おばあちゃん。 ほら、孫はこんなに元気です。

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全国のブックオフすべてまわるんじゃないかって勢いでブックオフ巡りしているニートの桃子です。

岩手を抜け、本日宮城に入りました。
なのにブックオフですハイ。

死ぬなら本にかこまれて死にたい。
そんなアタシにとってブックオフは楽園もどきです。


そんなずーっとブックオフにいたため、この1日なにもしてないわけですが、
東京を出発してから1ヶ月ちょっと。

北海道。青森、秋田、岩手と過ぎました。

たくさんの人の厚意に甘えながら、甘えきれずに意地はりながら、
進んできております。



ここに来て、


地元に帰りたいなあと思うようになりました。

東京で生活して7年。
東京ではない、いわゆる地方の良さがわかったとか、そういうもっともらしい理由じゃありません、このホームシックは。

それぞれの土地にある、それぞれの空気。
その空気を感じるたびに、「ああ、うちの地元はどうだっけ」と胸のなかで比べ、
比べることによって物事はクリアになっていく。

そう。「比べる/比較する」って、物事の輪郭をはっきりさせる作業だから、
違うものや新しいものを感じれば感じるほど、自分の生まれた高知や、こないだまで過ごしていた東京の姿がはっきりしてくる。そして他の面も見えてくる。



2年前。海外に行くときに、船に乗る直前に父からのメールが届きました。

 『はちはお花のなかに、
  お花はお庭のなかに、
  お庭は土べいのなかに、
  土べいは町のなかに、
  町は日本のなかに、
  日本は世界のなかに、
  世界は神さまのなかに、

  そうして、そうして、神さまは、
  小ちゃなはちのなかに。


      はちと神さま』

高知を出て、東京へ行って、そっから地球一周なんかして。
地球一周をしたら日本が見えないことに気づいて、日本一周なんて始めて。
そしてら今度は、生まれた高知を知りたくなった。


べつに、

わかっていたんです。


高校のときに書いたメモにこうある。
たぶん、龍馬関係のマンガでも読んだあとだったんだろうな。よくマンガや本や映画の印象をメモしてたから。

『江戸は人が多くてごちゃごちゃしちょって窮屈や。江戸より京のほうがもっと広い。でも京よりも土佐のほうがもっと広い。土佐よりも世界のほうがもっと広い。けど世界の入り口は江戸や。そっから世界に行かんと。世界は広い。そんでも、忘れたらいかんのは、世界よりも、土佐の自然のほうがもっと広いで』
まあ、なんかこんな感じのこと。



高知は、森林面積が県の83%くらいあって、山で他の県と断絶されてる。
でっかい太平洋しか見るものがない。
そんな地形だから昔は流刑地にされたみたいだけど。

四国四兄弟 っていうウェブマンガがあって、
四国四県を擬人化した4コマ漫画。まあ一時期話題になった『ヘタリア』みたいなかんじなんだけど、これがけっこう当たってる。

『四国山脈と太平洋で断絶された陸の孤島。
 他県との交流が少なかったゆえに独自の文化を育んだ、日本の中の独立国』

ふむふむ。

『反権力・反体制・リベラルの気風が強い。
 平和な世の中では偏屈とか頑固とか言われます(涙)』

……あたっとる。
坂本龍馬やら板垣退助やら幸徳秋水やら、なんかどーにかしよーとかした人も多い。
まあ、「どーにかしよー」っていうよりは、「これはおかしいやろ、こっちに変えろやー!」みたいなかんじかなーとも思うけんど。

でも短気で飽きっぽいので長続きしない(笑)


そんな高知にいて、反骨精神やら偏屈やらで東京へ海外へ飛び出していったけれど、その小さな土地にある『なにか』が大事なんだろうなってことは、なんとなくわかってた。
でも偏屈だからね。自分の目で見ないと納得しないから、見てみようと、東京へ行って、海外へ行って。海外へ行ったら、日本が見えていないことに気づいて日本を見ようとして。


なんだかマザーテレサの言葉を思いだすなあ。

記者 「わたしたちが平和のためにできることは?」
テレサ「家に帰って、家族を大切になさい」


日本旅行と同時に、何人かの同世代にインタビューをしてきて、「身の回りの大切さ」に最近気づいたという人が何人かいた。

26歳。
そういう時期なのかもしれない。

そう思ったら、私のこのニートde旅行も、身の回りに目を向けなおすための必要な道だったのかもしれないと、思う。


別に生まれた土地が大切だとか好きだとかなんだとか思ってるわけではないけど、あそこになにかあるんだろうな。
それは、ただ育ってきたという“原風景”なのかもしれないし、無自覚の愛着なのかもしれないし、それはまだわからないけれど。


高知を愛してる?
わからない。わからないから、愛してるとは言えない。


なんか男女の痴情のもつれみたいな問答ですが、まあ正直に言うとこのとおりなので仕方ない。


もっと世界がみたいと東京へ出た。
もっと世界がみたいと海外へ出た。
もっと世界が知りたいと日本を見ようとしている。
もっと世界が知りたいと地元へ目がむく。

やっぱり世界は、小さなハチさんのなかにあるんかね。
そして小さなハチさんは、すぐそこにいるんかね。


ふん。
叙情的になるのは簡単よ。
行動あるのみ。自分の目で見ないとわかんない。

とりあえず、旅行を続けます。
日本をまるごと一周せずに、ときどき地元に帰ってまた出発して をくり返したほうが自分にとっての“地元”の輪郭がクリアになるような気もしたけれど、とりあえず旅行を続けます。
なにかが違うと思ったら、そのとき動けばいい。

有言実行。口にしたことは最後までやれ。
けれど、撤回を恐れるな。

そんなことを考えていたら、写真のない字ばっかりのくそおもしろくもない文章になりました。
でも、本気だから、書きなおさない。

たぶん、こういう時期なんよ。
時には立ち止まって、旅行日記みたいなの以外も、いいでしょう。

人間同じ表情ばかりで生きているわけではないですもんね。


おやすみなさい。



敬具