なにか最初から諦めて、その諦めのためにやることやらないことを長年続けることで、ありえない形で辛いことになってしまうこともありうるのだ。自分が思っている以上に自分たちに関係するものは広くにあるのである。(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/shougen/shougen11/
この話、なんの落ち度もない女子高生が突然の土砂崩れで生き埋めになってなくなってしまったという話である。その現場は、歩道の横の崖があるとき一挙にくずれたということであり、その危険はある程度予期されている状況があるにはあったが、それを修繕する手立てがうまく手を付けられていないという話である。 いつ起こるかわからないが、たまたま今まで起こってなかったという状況であったと言えるだろう。
このような構造に関しては廃道で見かける風景で想像はできる。廃道などを歩いていると、法面の崩落をよく見かけるのであるが、要するにそういうことが起伏のおおいまちでも起こっているということだ。 対策を講じるべきであるが、それは当然だ。そんな当然のことがうまく執行されていなかったという状況がこの問題の一つの原因と言っていいだろう。その問題はこの崖一つの問題ではなく、おそらく多くの似たような危険箇所に関わってくる原因となってくる。
それは自治体が必要な修繕をタイミングを見計らって実施するということができないことである。そしてその原因は、30年続く緊縮財政で、自治体が仕事を多く出せない状況が常態化して、対応が後手に回るということが上げられる。 緊縮財政を続ける政府が地方交付税を渋るようになって、自治体も疲弊している。自分がよく行く山あいの道も、よく通行止めになるし、何ならその復旧は1年2年かかったりする。工事自体は、集中すればそんなに掛かるはずもないが要は手をかけられないという現状があるのだ。
政府は、国債を発行すればカネはいくらでも調達できる。問題は、それを受け取って仕事をしてもらう体制があるかどうか、いわゆる供給能力があるかどうかである。 供給能力はそこにあるというものではなく、仕事をし続けることでようやく維持できるものであることを忘れてはいけない。 緊縮財政は、仕事を減らしてきたことで、そもそもそういう仕事ができる業者を潰してきたという結果ももたらしている。国内に対して仕事を出さないことの罪深さはここにある。