自分たちのためにものづくりができることは根源的な喜びである。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

塩那道路は比較的坂がなだらかになっているが、コレは県道であるがゆえに、普通乗用車が走れるぐらいの道路にすることを目指しているからであろう。林道は通常の道路とは異なり、業務ができる特別な車両が用いられることになるが、そういう車両が儲からなさそうだという理由で製造が打ち切りになってしまえばそれは、同仕様も亡くなってしまうのである。

 

 

ネットはすごい。いろいろなところに住む人達の意見を集約するための道具としてはインターネットのSNSなどは強力なものである。上記の話もSNSを通したコミュニケーションで、林業に必要なトラックが生産されなくなるという危機を救ったという話である。しかし、そのような声があっても、その要望に答える製造業がなければ対応しようがない。ものが作れなければそれは絵に描いた餅であり、それを実現するところとの関係性がうまく行っていない限りは実際に実現することはないだろう。当然、その情熱を理解して不断の努力をするということもありえない。単なるビジネス関係だけではそれがなされる可能性も下がろうというものである。

 

日本国内にある製造業は自動車関係を中心としたものになっている。多くの生産拠点が中国や東南アジアに移されてしまった。そういうものの中には、すでに、自社では作る力のないものも含まれており、中国の企業に頼むしかないものも多い。基幹部分が国内にあるといえば、多くは自動車関係に限られてくるのではないだろうか。そうだからこその林道の悪路で、カーブの多い急坂もあるところでの思い物の運搬に耐えるものという要望に答えられたのだろう。いろいろな生産拠点が失われている現代日本においてコレは、だいぶ幸運な部類になるのではないだろうか。

 

しかし、国力というものはまさにこの実現力の修正を表すのだろう。それをあらゆる分野においてできるように保持しておくこと、さらに発展させることが国力の維持、発展につながるのである。消費者の熱い要望というものも、そういう生産力があるという前提もあるだろう。事情がローカルなものであればあるほど国内における生産力が重要となってくるのだ。そういう状況でなければ企業が情熱的に行うということは考えにくいからである。やはり、自分の国の自分たちの仲間という感覚が共有されているかどうかで、ビジネスライクなのか、より良いものが作り出せるのかという差が生まれてくる。果たして、どちらがいいのか。考えるまでもないことだろう。