変なことを言って人を惑わせ混乱させるよりは、寝て自分のこれまで行ってきたことを責めて夢の中ででも反省する方が有意義な時間の過ごし方だといえるだろう。
コロナ禍でもこれ。維新以外に政治家のぬるま湯、厚遇、もたれ合いを律する、「身を切る改革」を実行する政党は生まれないのだろうか。 https://t.co/XkOupZe3z1
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) November 28, 2020
うさぎ跳びや身に飲ませずに真夏で練習させるとか、精神が鍛えられたら何かが突破できるという感覚を行政に適用するのはさすがにあほである。カネを増やすことにしか興味がない経済学に基づく実体経済殺しのこのような対応は、このようを地獄に導くことであるといっても差し支えないものである。
しばき上げたら何か出てくるという考え方は基本的には間違っている。それが正しい場合は、短期的に集中したものであり、それが終われば通常のモードが戻ってくるという保証がある場合に限る。しばき上げで得するのは、ブラック企業の経営者だけであり、そのことは、社会に大きな負担だけをかけて、特に益をもたらさない。ようするにそういう経営者にだけ得をさせて、社会を棄損するという、要するに、ただ飯を食らって、傷を負わせるだけという、どこをどうとっても褒められたものではない。維新の代表であるこの人が、ふとつぶやいたこの一言は、そういう本音が含まれていると見た方がよいだろう。
そしてそれにうっかり同意してしまう国民も、そのまずさに気が付かないとすれば、同罪である。同じように社会を傷つけて自分だけ儲けて何が悪いという考え方であり、そのことを、勝手に努力が足らないとかいう感想をもってひずんだモノの見方で自己正当化する。結果として、そういう自分も依存している社会を壊してしまっていて、それを常識として続けていけば、今はやりの言葉で言えば、持続「不可能」な社会を作り出すことになる。その最たる人間が竹中平蔵であり、菅首相を筆頭にそれにシンパシーを感じる政治家は、国益を棄損する重罪人といっても差し支えないだろう。
しかしそういう菅首相率いる政権について、のほほんとその場の雰囲気で支持率を回復させたりしている国民は、そういう自分たちの社会が日々壊され続けていることに気が付きもしていない可能性がある。そもそも、スガ政権からではなく、安倍政権から延々と続いていることであるので、その続きとして、安閑としているのであろう。うまくいかないことを、上記のような、維新の代表の発言のような間違った認識でそれに基づいて物事を大書したどうなるか、考えるまでもないことである。