消費者目線で見ると安くて便利なサービスが多く出てきているが果たして働き手として幸せなことか。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

一枚の絵をじっくり見ていると色々見えてきたりする。アニメでは全部が全部というわけではないが、妙にいろいろ書きこんでいる背景もある。そういえば、コンビニからはエロ本が消えてどれぐらいになるのだろうか。(上記はまだ消えていなかった時期のはずだが、見当たらない。)(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続)

 

テレビを見なくなって10年近くになる。しかしテレビそのものを持っていないわけではなく、樹上のできる状態でそこにおいてあるが、ほとんど放送を移すことなく、ほぼ底につないである据え置き型のPCのモニタとしてしか使っていないという現状である。テレビを見なくなってわからなくなったのは、テレビで放映されているドラマなどにもほとんどついていけなくなってしまった。みんなの共通の話題のうちある部分を失ってしまっている感じである。あと、当然のようにテレビCMもどういうものがやっているのかがわからなくなってしまった。

 

このテレビCMに関しては、かつてテレビを普通に見ていていたころにはむしろ好物で興味深いCMをコレクションしていたころもあった。それに関しては、最近は有志が動画サイトに挙げているものを見ることで、昔のものを知るという楽しみ方で、かつての楽しみを再現しているというところである。その例もあるように、テレビを見なくなっても、動画を見なくなったということではなく、ネットメディアでそれを見るようになったということだろう。動画メディアが出始めのころは、インターネット自体が無料で利用できることが売りであったこともあって、広告もあまり邪魔にならない形で存在していたにすぎなかったが、気が付けば、動画の任意のタイミングでCM動画が割り込むという形になってきた。そういう心理的な負担をかけることで、無料であったところにCMを割り込ませる。それを避けたければ、年会費を払えばよいというスタイルで、手数料をとるビジネスになってきているのである。

 

そんな動画CMで最近よく見かけるのが、UberEatsのCMである。これは、提携しているお店の商品を自宅まで届けてくれるというサービスであり、出前のシステムを一般化したものだともいえるだろう。アイデアとしては秀逸で、消費者としては便利で、お店側としても出前サービスを追加できるという便利さが受けている…というようにも見える。確かに、消費者側から行けば、そのメッセージ通り、今日は何々の店の料理が食べたい!というのが実現されるわけでその快適さは実にいいものである。

 

しかし、それを実現しているビジネスモデルというのが、本当に良いものなのかということを考えれば、かなり微妙なものである。会社自身は、出前サービスを取り次ぐ仕事をしている。そして、その取り次ぐ担い手は、正社員を使っているわけでもないのだ。コンビニでも見られる契約でカネをもらっている人が担い手である。そうすることによって、雇用によるいろいろな縛りや社会保障を会社が負担することなく、人を動かすことができる。単に仕事をその場で割り振っているだけのため、だれがやってもいい。暇がある人に頼めばよいという、会社からすると、人を単なるリソースとして割り当てるという仕事なのである。要するに人は機械かモノなのである。

 

問題は、そうやって仕事を頼まれる人だろう。

雇用形態としては、雇われているということでもないので、事故などの責任についても会社は基本的には関与しないことになる。個人的な活動の範囲での処理になってくる。移動中の事故なども同様であろう。そして仕事がなければ、報酬もない。需要がダイレクトに報酬に連動し、会社から無駄がない状態が、仕事をしている方には大きな負担となる。このような労働は、日々の生活レベルでの不安定さをもたらし、ひいては人生設計にも影響があるだろう。一部の特殊な思考の人たちのように縛られない生き方であったり、得意な能力で稼ぐというの生き方であれば、ちょうどいいが、このような、個人任せのやり方が多くを占めてくると、おそらく安定的な消費活動というものや、人生設計というものに大きく影響を与えるものとなってくる。

 

冒頭のCMで楽しそうにこのサービスを使うような人間そのものが減っていってしまうということにもなりかねない。仮に貧乏になってもそれを使うとしても、結婚もせず子供も作る余裕もなければ、そもそも、その国の人間が残らなくなってしまうということにもなる。それは、社会が変容してしまうということにもつながるのである。ただの快適サービスというだけでは、すまされない社会の衰退がそこに結びついているのである。それも、そのビジネスがどういう仕組みで行われているのか、そこにかかわる人はどういうことになっていくのか。それがより大きなビジネスになっていく・・・当然、サービスを受けられる機会が増えるためにはそうなる必要がある・・・とどうなるのか、という想像が働かないと、自滅的なことにつながってしまうこともある。そういうようなビジネスが最近普及し始めているということは認識しておかなければならないだろう。

 

おそらく上記のようなビジネスは、デザイン思考と呼ばれる、人の気持ちを基準とした価値創造の考え方で生まれたものだと思われるが、その思考においても、働き手の気持ち・・それはビジネスの使い手の都合の良いところのきりとりだけではなく、働き手の人生まで考えないとまずいことになるということも意味しているだろう。