日本経済の復活では金融緩和は脇役にすぎない | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
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持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
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勢いに任せてやったことがうまくいかないこともある。(月がきれい)

 

 

XXよりマシの是々非々が殺し文句だった安倍政権。

 

すでに非々非々でしかない内実がばれたのにもかかわらず、金融緩和一本足打法は、実体経済すら棄損するほど金融経済を活況にさせるだけであり、金もうけ主義の浅ましさを加速させ竹に終わっていることについて、まったく反省の声も出せないリフレ派の見識の狭さ、障子に謝れない不誠実さに我々は怒るべきで、いまだに金融緩和だけでデフレ脱却とかいうことを容認する態度は許しがたいものがあるだろう。

 

もりちゃん(CV:毒蝮三太夫)@mollichane

田中秀臣氏がラジオの中でかなりの長尺を使い薔薇マークを批判している。要約すれば「経済政策は大きく間違ってないが
金融緩和への言及がほとんどない。また薔薇マーク運動は経済政策よりも安倍政権批判の方が優位になってて政治的な偏向が強すぎる。」

ほんまこれ。
https://twitter.com/mollichane/status/1102710484761948161 

 

いやいや、ほんまこれとか、毒蝮の声でいってる場合ではない。

 

 

 

 

カネなんぞシステムの中の道具に過ぎないので、サブでサポートするという視点がないといけないのに、金融緩和(微笑もの)といっている場合ではないのである。やることをさぼっていながらやったふりをするのは安倍晋三直伝の詭弁術かもしれないが、もしそうであれば、我々国民はこんな言い草に付き合わされ、なされるべき経済策のための支出を意味する財政出動を行ってこなかったこと、金融緩和とごっちゃなイメージにしてことは、日本復興に大きな枷をはめた相当重い罪を背負っていることを自覚してもらわないといけないのだ。

 

田中秀臣@hidetomitanaka

大胆にまとめよう。世間には知的な人とバカがいる。バカは理屈よりも感情や価値判断や説教に異常にこだわる。
ただし知的な人もバカもいまいっしょくたになって明日を悲観している経済に陥っている。それをとりあえず知的に表現したのが
デフレ経済だ。どうすればここから脱出できるか?
https://twitter.com/hidetomitanaka/status/188378966225195008

浜田先生の解法は、1)財政政策だけ⇒マンデルフレミングから限定的な効果しかない、2)金融政策だけ、社会コストが少なく即効性もある、
3)でも2)だけでは知的に洗練されてない人がつれない可能性もあるので、知的じゃない人たちが効くと信じてるもの
(財政政策、構造改革)も組み合わせて釣れ。
https://twitter.com/hidetomitanaka/status/188379791450320896

むしろ「知的に洗練されてない人」=田中のいうバカがいてくれないと、実はこの複数均衡としてのデフレ経済から
抜け出るのがかなり難しい。これは傍系の議論としては、資産制約や所得制約で近視眼的になっている人が多い経済でも同様。
https://twitter.com/hidetomitanaka/status/188381809321574400 

 

自らの言論界でのマウントをとるだけの言説は、決して彼の地位が向上するわけでもないことを考えれば、むなしい限りである。

そんなメタなことを言う暇があったら、うまくいかない現実とこれまで行われてきたリフレ政策の関係性を分析しろと言いたい。いつまでも俺賢いといわれても、役に立たないことを言うやつは黙っとけという感想しか生まれないのである。実に見苦しい限りであり、むしろその行動は自閉的なもののとらえ方を加速してしまっていて、彼が唱えている説の改善の機会を奪っているという悲しい状況を呈しているだけなのである。

 

実体経済に直接効くのは、政府の財政出動であり、金融緩和はそのサポートになるぐらいである。しかも、カネはたくさん貸し出せる状況になるため、カネだけで何かできる対象があればそこにカネが流れてしまう可能性がある。それは金融経済の活況をもたらすかもしれないが、そこで行われるのは、ただのゲームであり、国力の増進には何の益ももたらさない。むしろそれが過熱することで、実体経済に回るカネが吸い上げられることすら危惧される。そのような危険性は全く触れられたことはなく、それを助長する統計や確率論でその危険性をごまかす金融工学はリーマンショック後も相変わらず幅を利かせ続けているのである。