日露首脳会談はシナとロシアを引き剥がした戦略的成功と擁護してみる
このサイトはネットでの安倍政権における失態に対して、謎の用語を繰り広げる言論について紹介する記事をよく上げるブログである。今回の記事では、日露首脳会談(平和条約交渉)の評価についての話であった。
首脳会談に先立ちロシアのラブロス(誤記、正:ラブロフ)外相は「北方領土 は合法的にロシアに移った」「日本とは領土交渉はしていない」「(日本は)北方領土ではなくクリル諸島と呼べ」など言いたい放題、挙句の果てにはこんな言われようです。
これは再確認するべきことであるが、ロシアの外相はここまで無礼な態度をとっているのである。
もちろん、ロシアの大統領もいつものように、会議前から日露の立場の差を表現するかのような50分の遅刻で登場するのである。
そして、極めつけは、会見後の安倍晋三の発言であった。
安倍・プーチンの共同発表。プーチンによれば「南クリル」の共同経済活動について話し合った。安倍が何と呼ぶか注目していたが、一拍置いてあたりを素早く見回し「4島」と呼んだ。当然「北方領土」と呼べばロシアを刺激するし南クリルとも言えまい。誰が見てもロシア主導。
「目は口程にものを言う」というのは結構当たっている諺である。終始ロシアのペースでこれまでの日露会談が進められてきたことを示唆するものだろう。交渉なるものを続けて25回も首脳会談を行ってきたとか自慢してはいるが、結局はロシアのペースでことが進んでおり、日本としての本丸である領土問題の進展については、相手から期待を持たせるようなことを言われ続けながら、実質何の譲歩もない状態だったのだろう。
そのロシアからにおわせられている期待に対して敏感に反応して、安倍は策士!といってしまう保守派もまだまだ存在し、このお方も例外ではなかった。どこまで安倍が好きなんだろうと、ため息が出てしまうのである。交渉をだらだらやっていることが、その自慢げな「中露分離」のための「作戦」などという珍説の披露をしていた。そもそも、交渉を急いでいるのは日本側だったような気もするが、結果的に交渉中には、衝突がないということを、こんな交渉が有益な意義があるということにすり替えるあたり、衰退の20年の集大成である安倍政権に対して、どこまであり得ないぐらいのか細い可能性に希望を持っているのかという気になる。それは、逆の言い方をすれば、ほとんど認知的不協和のとらえ方にしか見えない。しかもそういう正常な突込みに対して、日本人はこういう考え方が得意ではない、として、予防線を張り、それどころか自分が賢いことの自慢にしているあたり、おそらくこの考え方の否定意見のきく耳を持たないモードなのだろう。
安全保障というものをとらえるやり方としては、相手国とのせめぎあいと思うのがストレートな考え方だと思われる。しかし、国際関係のとらえ方としては世界の非常識になる日本において、自国日本にとっての安全保障は日本が軍事力を持たない前提で考えるため、カネやら何やらで相手の軍事力を引っ込めてもらうという発想になってくる。その基本となる相手国は、唯一敗戦した相手である米国である。そもそも、その考え方である”丸腰”平和主義は、米国に対する敗戦を認めないためのアクロバットな考え方であり、現在も主流の考え方となっている。日本のことについては、日本人がどこか他人ごとのように感じるのは、まさにこの考え方だろう。自分が同行するというよりは、相手に何かやってもらうのが当然だろう・・という態度である。
今回のロシアとの「交渉」もまさに、これである。ロシアに何かやってもらおう。日本は譲歩をしてどこまでの譲歩で相手のご機嫌を取れるか、というぐらいなものである。最初から0からマイナスの交渉なので、相手はマイナスにはなりえない交渉になっているのである。任期のうちにこれをまとめるということは、現在よりもマイナスの結果を確定させるということである。しかも、交渉の内容よりは、交渉を終結させることが目的化している日本の対応は、無限に譲歩が求められる立場でしかない。
その対応の帰結として、日本側が求めているのは、国民に対して、譲歩した内容をいかにわからないようにごまかせるかどうかということである。そんな中には、「中国包囲網」という保守派の描く、妄想強国日本の世界が広がることであろう。そんな妄想は、妄想であるという認識が強烈に必要なはずだが、相変わらず、現実と妄想の区別があいまいなのが問題であり、現状の「全体主義」が継続する強力な推進力となってしまうのである。