ぶれないずれない対立構造 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

2018年・平成30年秋アニメ(10月~12月クール)は、アニメに情熱を持てなくなっていたそうにも訴えかけるような作品が多かったように思う。なんといっても筆者が1年ぐらい継続視聴(1話をみて見てそのあとを最終話まで続けること)ができなかったのが、11作品も最後まで視聴しきったことが何よりの証拠だろう。その”豊作”のなかでも覇権といわれたのは、ゾンビランドサガであったが、このSSSS.GRIDMANという、25年前の円谷特撮ヒーローものである電光超人グリッドマンの”リメイク”的な作品も、今風の女子が出てくるアニメとして生まれ変わってきたのである。その中でもダブルヒロイン構成とも呼べる上記の二人の身体的特徴が大きな話題を呼んだのである。左がアカネ、右が六花というなまえであるが、小さく表示してある横棒をると左のあかねの足の太さと六花の足の太さがあまりにも違うことは錯覚だということが分かるが(嘘)、六花はノーベルフトモモ賞を受賞したことになっている(嘘)。

 

 

年末のキャスター討論に引き続き年始、新春のキャスター討論がアップされていた。コレ自体は、1月4日の昼に生放送で配信されていたものであったが、年末のそれに比べて去年同様話の展開が面白いものであった。

 

 

憲法改正に対する考え方と、それに関する安倍晋三に対する期待へのこだわりが未だにあるというのが結構驚きとその執念がかえって新鮮に思われた。そこまであの男に期待するのか。おそらくそれをやってくれるのであれば、橋下徹にも期待するのだろうなぁ、と思ってしまうのであった。憲法改正への執念は変えることが大事だということもわかった。一度変えてしまえば、変えるのが普通になるというのがポイントらしい。

 

憲法改正ってのはシンボルなんだよ!!

とにかく変えなきゃいけない。まずは変えさえすれば(なんでも)いい!

 

移民法こと入管法の再改正で反対デモを繰り広げた水島チャネル桜社長はこの意見には明確には同調しなかった。かつては、憲法改正のためにあらゆる売国法案を飲み込む覚悟がある、というようなスタンスだったと思うが、それにも比べられないものがやってきて認知的不協和すら保てなくなったのだろうか。上記の発言をした二人は、まだそこにはとらわれている。おそらく安倍でなくても、首相が橋下徹であっても売国法案をいくらでも飲んで、憲法改正さえしてくれれば、妄信でもよい、ぐらいなものなのであろう。ある種のじらしプレイで逝ってしまった類の人たちである。

 

それでも理由を聞いてみれば、ほんの少しの筋あるとは思うのだが、さすがにその変え方が第一印象になるという可能性もぬぐい切れない。そういう最初の変え方はそれなりにあとに引きずると考えられるのと、憲法そのものが実際的というよりは観念的な上位法律であることを考えると、変える手続きの予行演習そのものよりも、変えるための議論作りの方が大事であり、しっかり国民的なレベルで議論したほうが良いとも思った。実際に戦争状態になることで実際の意義があるかどうかの話は進むと思われるが、そうならない状態で仮想的に検討ができるという状況を作るべきではないかと思われる。実際に事が起こるほうが早い可能性もあるが、それはそれである。

 

いろんな形で一応言っとくけど、日本は属国なんですよ
もうひとつ、はっきり言いたいのは皇室もある種の破壊工作がされている
じゃぁ、どうするか?
私が言いたいのは、私がそれを言う分にはOKだというね
いいですか?パネラーがそれをいろんな形で分析、指摘すると
自分は言うばっかり、具体的なことはちっとも言わない。じゃあ、どうする
誰かを敵にしたてあげて攻撃をするしかできない、あいつが悪いんだ

今は、ある種の菅、二階路線にやられちゃってるということも見とかないといけない。 

 

やるべきことと、自民党の政局の話と、ジャパンハンドラーの話をごちゃごちゃにして煙に巻いてしまう水島氏のいつもの殺し文句は今年も健在である、これで話の矛を収めてしまうのは無意味であります。

 

あと、sayaが、水島社長十八番の「梅毒・淋病」のたとえの話から、本物の梅毒罹患者がこの10年❓ぐらいで4倍ぐらいに増えている・・という話の下りも笑ってしまったとことである。そのあとに水島氏が、繰り広げるいつもの、「若者は働く気がない!けしからん」論が続いていくのも、本物の梅毒・淋病を直視できないが故のことなのだろうかと勘繰ってしまった。文化というのものは、経済環境によっても大きく変わる。生き方のイメージも変わるものである。そこを無視した、若者は軟弱だ論をぶったところで、年寄りのひがみとしか見えないのだ。やるべきことは、国民の経済環境(今だけでなく未来のイメージも)を復興していくことだけなのである。そのほかのものは、憲法改正のやってみたら論とは対照的に、それこそ、ついてくるのである。