国民凌辱の上で守りたいのか、この笑顔
安倍晋三首相が臨時国会閉幕に合わせ、10日に官邸で記者会見を行うことが分かった。外国人労働者の受け入れを拡大する改正入管難民法が
成立した意義を強調し、国民の理解を得たい考えだ。政府関係者が8日、明らかにした。
臨時国会の閉会に伴う会見は、野党の強い反対の中、特定秘密保護法が成立した2013年12月以来。
共同通信 https://this.kiji.is/444069032941995105
法案が成立してからの説明であるし、それを繰り返される可能性がほとんどない余裕の状態でで行うことである。余裕の勝利者インタビューのようなノリでやるのだろう。あと、いつもの「丁寧な説明」というもののアリバイ作りである。丁寧に詭弁を述べるだけで、反論は許さないのである。だって、法律成立したのだから。与党+維新の議員の賛成投票で。
会見の場は、おそらく質問を認める記者の選択なども含めて、大した質問がないような茶番の場にすることで、一方的にその詭弁を垂れ流す大会にあることはほとんど明白だろう。そんなほとんどあり得ない未来を語る一方的な政府広報のような会見に対して、我々国民がこれに対して対応することは、これが詭弁であり、安倍首相の口から垂れ流すことは、実際に狙っているところは全く違うということを認識することであろう。
これまでの、
TPPの交渉参加や、批准に至ることもそうである、
消費税増税についてでもある、
以前に緩和した入管法の改悪のときもそうだし、
外資に有利な各種規制緩和や、
道交法や旅館法、タクシー規制の法律無視の傍若無人な外国人観光客に対するお目こぼしもそうだろう。
詭弁ついでにこういう横からの意見も出てきて、白人の意見ということで無駄に注目されることにも注意である。
モーリー・ロバートソン 「移民受入の是非という議論自体が詭弁。“受け入れない”という選択肢は無い」
すでに受け入れている日本がおかしくなっていることについて、その衰退に拍車がかかっていることを無視して、敗戦以来の上から目線で、日本の国情無視の無駄な多文化共生信仰を押し付ける毛唐の言うことを聞く必要はないだろう。外国人を受け入れるのであれば、コントロールできる人数でないとどうしようもないというのは、社会学的な見地でもわかるはずなのに、その辺は何となく、アメリカが移民国家だ~とかそういうレベルの適当な理屈で、あとは、経営者の視点で人件費を抑えられるという労働や国の中で生産力をつけるという国家の維持、成長のために必要な対応を考えもしない詭弁に付き合う必要もないのだ。
https://mainichi.jp/articles/20180725/k00/00e/040/301000c
毎日新聞2018年7月25日 16時36分
政府 介護、ベトナムから1万人受け入れ 20年夏までに
慢性的な人手不足に陥っている介護人材に関し、政府は2020年夏までにベトナムから1万人を受け入れる数値目標を設定した。「外国人技能実習制度」を活用する方針で、1年以内に3000人を目指す。ベトナム側も人材の送り出しに協力する意向で、今後両政府で覚書を結ぶ見通しだ。
政府は昨年11月、外国人が日本で技術や知識を習得し自国で生かす技能実習制度の対象業種に「介護」を追加した。しかし、入国時にゆっくりと日常会話ができる程度の日本語能力など、他の分野にはない要件を実習生に課しているため低調で、介護実習生は7月時点で中国からの2人にとどまっている。
日本、ベトナムの両国政府担当者は対応を協議、今年6月、受け入れ促進の方針で一致した。これまで本人の…
これから与党議員もこの会見を受けて詭弁を弄することだろう。
その詭弁に乗っかる義理も全く必要がない。実際に起こることは、東南アジアからの奴隷労働者を固定化するという国辱的な現象からの目そらしと、日本人労働者に対する賃金抑制への詭弁を強化することである。技能実習制度、留学生制度の根本的な問題である政府が社会に対して関与をしなさすぎることで、公共に必要な仕事を出さなさすぎることである。そこに貨幣の多寡は理屈の上ではほぼ無関係であり、ただの方法論である。それで実現するべきは、政府がやるべき仕事をさぼらせてしまっていることを反転させる、ということだけで十分だ。