五輪も万博も使いよう | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
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持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

 

大阪維新の牙城である大阪府知事が、2025年大阪万博誘致を決めてきたという。

表面上の出来事を考えれば、[おめでとうございます!]ということであろう。

 

しかし、名前が万国博覧会というほどであるから何か新しいものを陳列してそれを楽しんでもらいというたぐいのものである。そもそも自分の国でできるものを急速に縮小していく中で、それを反転しないしない限り、約6年先の未来の日本にそんなことができるのかという懸念がある。

 

これを推し進めてきた大阪維新の会は、詭弁とはったりで大阪の経済を粉飾しさらなる衰退を招いていく集団であるから、万博の年の大阪の状況を考えれば相当悲惨な状況が想像できてしまうのである。浮かれて勝ち取ってきた万博も、落ちた日本を世界にさらすという役目にしかならないという笑えない未来が想像できてしまうのだ。

 

 

 

そういう意味で、それを素直に歓迎できるものではない。

やはり、日本が20年デフレであり、隣国の中国との国力がGDPでみても2倍ぐらいの差が付けられているという事実であり、その差が広がるような形で、日本が衰退し続けている状況をひっくり返せるような空気が醸成されていないからである。

 

もちろん、万博誘致は、何もないところには不可能であり、それだけの潜在能力があるという前提を認められたことを意味し、それ自体は、よいきっかけを得た、と考えることもできるだろう。

 

しかし、万博より目の前に迫ってきている2020年東京五輪の進行状況を思えば素直に喜べないというのは正直な感想ではないだろうか。国威高揚のはずが、最初から国立競技場のデザインなどでケチが付き、温度をとっているはずの都知事がやる気を出しているというよりは足を引っ張ってばかりで、国威をつぶしまくり、各種建設も一部間に合うか危ぶまれている状況である。また、運営のための人員をボランティアで求めることに対して、放送利権を牛耳る広告代理店が儲けている事実もあるという、

 

 

土台が衰退しているのに、表面上だけ発展している風に見せる。そんなことは、いったい何のためにやっているのか、まったく見えない状況となっているのである。できることなら、こんなものはやめてしまったらよいと思うぐらいであるが、決まったことをやめることはなかなか難しいので、うわべっつらだけ帳尻を合わせて実行はなされるだろう。そして、事故が起こらなければ、スポーツに興じることで、一時的な「危機感」から目をそらすことができて、政治の失敗、経済の失敗から目をそらすことに「成功する」のである。そのあとにくるオリンピック不況に耐えられるのかどうかが問題となる。対策をしないで先送りした結果として、たぶん、色々壊れるだろう。

 

オリンピックにしろ、万国博覧会にせよ、そのイベントを目標にいったい何をするべきかというものが問題だろう。これは、ILCという加速器の誘致も似たようなことが言えるのではないだろうか。

 

果たしてそういうものが、国民経済の発展につながるか。もっといえば、そのようにするための国威高揚につながるか・・ということだろう。それがないとすれば、国民経済を発展させないで、外国に頼って形だけをそろえるようなことになるとすれば、いったい何のためにやっているのか、ということである。国が発展しているというようなイメージだけを国民に植え付けながら、経済活動としては、国内で行うことを減らしていき、海外の力に依存していくということになってしまいかねない。

 

国内でやることを国内の力でできるだけやるということは、国民経済を発展させることの基礎的なことである。カネさえ外国に出せばやってもらえるというのは、カネで交換できるものの価値が変わらないという前提で見ており、結局は、外国の力を借りるためには、それに見合う国内の生産力がない限りは、別の見返りがない限りはできないものである。その見返りとは、経済至上であろう。要するに、金儲けとして物を買ってくれる市場である。それに対する規制はどんどん取っ払われることが期待されるのだ。そして、国内での生産は邪魔であり、外国勢力の生産を消費することが期待されるのである。

 

万博をやるとして、それに対して金を使って、技術開発やインフラ整備をするという国内の仕事を増やして、仕事に対してカネを出すという正常的な経済の循環を起こすべきだ!というきっかけにする政治にできない限り、この世界的な国威高揚のきっかけはただの現実逃避に終わってしまうのである。いうなれば崖に突っ込む車の中で、前を見ずにカラオケでも歌っている感じだろうか。それは我々のやるべきことだろうか。