カネをケチってやらないことで人は殺せる。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

https://hbol.jp/170076 より

非常時の対応にその人の根本的な考え(本音)に基づく態度が出てしまうものだ。

これぐらいなら、宴会を優先にしておいてもいいだろ、と。

安倍以外にだれがいる勢は、このようなことについても、問題のすり替えや別の人の攻撃などで認知的不協和を起こしてしまうのである。批判すべきときは諫言しないと、支援者じゃないよ?

https://twitter.com/CarlosToshiyuki/status/1015996120248434688

 

政府が批判できない立場というのは、本当にそれでよいのかという疑問が常に募ってしまう藤井氏ではあるが、彼なりのクライテリオンで活動がなされているのだろう。広く伝えようとしている情報、意見については文句をつけるところはない。今回の西日本を襲った大雨、長雨による水害の最たる被害を出した川の氾濫の治水に関する話である。

 

藤井 聡 
https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/1406560962778176 

今回の豪雨で決壊し、周辺に大きな被害をもたらした「小田川」ですが、 
この決壊箇所は、非常に危険な箇所として、防災行政関係者は認識しており、 
その対策事業が長年計画されてきたところでした。 

・・・しかし、残念ながら、なかなかその「事業化」が進まずに放置され続けてきた場所でした。 
実際、らいねんどからその高次が予定されていたのですが・・・・ 
なぜ、今まで「事業化」されなかったのかと言えば、言うまでも無く「政府の緊縮財政」です。 
当たり前の財政運営さえなされていれば、この危険箇所対策はとっくに終わっており、 
この被害も未然に防ぐことができたに違いないのです。 

つまりここでも、「緊縮財政による政治家達の不作為殺人」とでも言いうる事態が生じていたという次第です。 

まずはこの「事実」「真実」をしっかりとご理解いただきたいと思います。 

小田川の洪水対策は長年の懸案 国交省が秋にも付け替え着工 
http://www.sanyonews.jp/article/748479

 

数年前の鬼怒川反乱の時にも言われてきたが、自民党民主党通じて進められてきた、国土の保全強化のための公共投資削減は、自然の猛威が振るわれるときに、明確に「効果」が現れる。平和な時を基準に最適化し、金もうけという愚にもつかあいことで、実体経済をないがしろにして、人間の労働を軽んじることによって、必要な経済活動から遠ざける事から起こったことである。いかに、理屈が立っているように見えても、必要な国土の保全事業をさぼっていた事実は曲げられない。要するに、その理屈では、自然災害に対して防災減災ができないということを表しているのだ。

 

短期的なカネもうけが企業活動の至上命題になってしまうという体たらくは、自分たちが活動する土台に対しての無関心をも引き出した。それに対する、何もしないことを前提に活動を続けてきたが故である。それに対して、国家百年の計を語る政府であれば、保全事業についての公共事業を粛々と進めて仕事を発注するものであるが、政府そのものも、そのようなあさましいカネもうけの思想に染まった政治家、官僚集団の行動の結果、カネもうけあるいは、カネを使うことを極端に嫌う、あるいは、外国からの投資を過剰に期待するという、自分たちの働きを最小限にして、漁夫の利を得ようとする態度を取りつつけてきたのである。

 

国家という単位においては、経済活動の血液である通貨の調整役を担っている政府がそのような形で、仕事を出す形でカネを流さなければ、国土保全も含めた実体経済活動は停滞するのである。実体経済で普通に稼ぐことができないことから、カネもうけに過剰にシフトしているという面も否めないのだ。それ以上に、人々の心がそのような公共に対する仕事は、割が合わないからやらなくてもよい、という考えが浸透してしまっているところもあるだろう。

 

嘗ての田中角栄の金権政治という形で、土木業に対しては、カネがまみれているというイメージが強いのだが、実は、仕事を回していた分実体経済に大きく貢献していたことを忘れてはならない。そういう意味で、実体経済を縮小させてカネもうけに走る現在の経済のやり方の方が、100万倍金権政治といえる、ということに気が付かなければならないだろう。

 

嫌なイメージだから、やらない。その選択は当初は合理的でうまくいっているということになるだろうが、それまでのやり方のうまく回っていた部分まで殺してしまうことにも気をかける形で、改めて反省する必要があるだろう。それをやめることで新たに入ってきたものが、もっと質の悪い金権政治(竹中平蔵がらみの人材派遣や移民を推進する連中、新自由主義を政府レベルで進める経産省官僚とそれらを積極的に権力欲に利用する首相)が繰り広げられていることを、である。

 

これまで進められてきた数々の改革。その改革の結果がこのような、必要なことをやらないことによる無作為殺人ともいえる水害の被害者140人であった。きれいごとの理屈の中で、我々のやってきたことのむごたらしさは、死刑囚でもない一般人を合法的な殺人という形で命を奪ってしまうことに至ったのである。それを進めてきた内容には改革という名前が付けられて実施されてきたものが多い。

 

改革、という言葉は聞こえがいいが、前に進んでいてもとんでもないところに進んでいってしまうこともある。山道で迷ったときに、沢に迷い込んでしまって、遭難してしまうことのように、単純に後ろを顧みずに前に進むことだけが是とする進歩主義的な考え方では、うまくいかないのである。自分だけ抜け駆けしたいという欲望が募りやすい株主資本主義が蔓延する世の中ではなおさらその危険が大きいと思った方がいいのだ。こんな時の、俊敏な決定というのはどういうことをもたらすのか。迅速すぎる決定の塊である国際金融で、リーマンショックが起こったように、急激な変化を伴う不安定さは避けられないのである。ある程度の安定が実体経済の成長には必須なことであるのだ。

 

カネをケチってやらないことで、人は殺せてしまう。

きれいごとの理屈を突き詰めるだけで人を殺せてしまうのである。

実際に何が起こるのかということをより大きな目で見なければならないだろう。

それができないときは、時間をかけてじっくりをものを見て判断する必要がる。

間違った見識による迅速な判断が人を殺してしまうことを肝に銘じなければならない。、