旧国鉄時代、東京を中心に「通勤5方面作戦」とかいう戦略があり、東海道・中央線・東北高崎・常磐・総武方面で複々線化や緩急分離など混雑緩和政策を行う、今日の基礎を築いてきました。
総武線でも昭和47年に津田沼まで複々線化及び東京地下駅乗入れが完成。その後千葉まで複々線化され、それから今年で50年になりました。
沿線に住んでいた当時、完成前後で大きく変化。特急183系「さざなみ」「わかしお」、電車急行165・153系、快速113系が新設され、それまでの気動車王国から一変したのを覚えています(複々線化後も気動車は「犬吠」「水郷」などが残っていた)。
現在、線路は新小岩・西船橋の貨物駅が廃止されたのを除けば大きな変化は見られず。変わったのは沿線の街並み。国技館、スカイツリー、高層マンションなど。
車両は……当時のほうが面白かったなぁ。