「光る君へ」の感想がまだ書き終えていないうちに、今年の大河ドラマ「べらぼう」が終わってしまいました…。「べらぼう」、仕事の都合で全部は見られませんでしたが、面白かったです。出版のアレコレや創作のスランプの悩み等は、「光る君へ」より「べらぼう」の方がよく描けていたと思います。
今回は、「光る君へ」のファンの方には大変申し訳ないのですが、あえて、このドラマで「ここは駄目だ」と思った箇所を書いてみたいと思います。
まひろ&三郎!! アンタたちだ!!
私は彼らを藤原道長と紫式部だなんて認めない!! 経歴が同じだけの赤の他人だ!! というわけで以後は彼らを まひろ、三郎 と呼ぶことにします。
…いや、何から何まで史実に忠実にやれとはいいませんし、オリジナルも良いとは思いますよ? 直秀もカッコいいとは思いましたよ? でも、三郎が倫子より先にまひろに会ってて求婚しているとか、まひろが「妾も駆け落ちも嫌(最初から正妻にしろ)」と駄々をこねるとか、まひろに振られた三郎が半ばヤケクソ? で庚申待ちの夜に倫子の家に行き既成事実を作るという、最低なエピソードを繰り広げた時点で「このドラマ最低…」と思いました。
倫子と三郎はお互いの親同士で縁談はあったし、倫子は三郎に憧れていたから、結婚自体は別に構いませんが、倫子としても心の準備もあるし、政略結婚でも手紙のやり取りすらなく結婚とかあり得ないでしょ…。しかも倫子の父が家に不在の折に結婚…。
家に帰ってきて倫子父、びっくりしただろうな…。
まひろもまひろで面倒臭いですね。この時点では三郎の父と兄の正妻は子供をたくさん産んだことで、受領階級でありながらも正妻になれたのだから、子供をたくさん産む覚悟で、とりあえず妾になれば良いのに…。紫式部日記に見える紫式部も、大概面倒臭い部分はありますが、それとは違う面倒臭さですね。
それと少し話は逸れますが、何故「まひろ」という名前にしたのでしょうね。まひろ弟の役の方のお名前が「まひろ」なので、撮影の時はややこしかったらしいですが、そんなリスクを背負っでまで「まひろ」にする意味はあったのでしょうか。
何より、「庚申待ちの夜」に三郎と倫子が結婚という設定が個人的には許せないポイントでしたね。「庚申待ちの夜」は道長たちの姉、超子が亡くなった日なので、以後道長の家では、庚申待ちの夜は「お慎みの日」になっているはずなのですが、何故こんな日に結婚という設定にしたのでしょうか。もっとも、ドラマの中では超子の存在が曖昧なので、お慎みの日云々という設定もないのかもしれませんね。
まひろと三郎については次回に続きます。



