みなさんこんにちは!
早速、Wonderwallの動画でのジュンスの語りを文字起こししました。
文字起こしの文の後に、私の感想を付け加えました。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
CHAPTER01
Intro:Musicianキム・ジュンス
<キム・ジュノとイム・ヘユンのインタビュー>
ステージ上で他の俳優と最も美しいハーモニーとステージを作り上げる俳優だ。
ステージで照明が当たり、赤髪になり、衣装を着て会った瞬間は人じゃないような印象を受けました。
ファンタジージャンルの作品において、相手役として、とてもサポートしてもらいました。
感じること全てをステージで発散し、感じている感情を表現することを恐れず、ひとつ残らず表現し、観客に見せる俳優だ。
明日が無いかのように1曲1曲シーンごとに全身全霊でこなしていく人です。
公演するたびに大きな会場を満たすエネルギーが、共にステージに立ちながら感動しました。
<キム・ジュンスのインタビュー>
歌手&ミュージカル俳優キム・ジュンス
こんにちは、歌手、そしてミュージカルかる俳優として活動しているキムジュンスです。
この映像をご覧の皆さんはご存じだと思います。
東方神起というグループで、高校2年生の冬にデビューして、6年ほど一日も休まず一生懸命活動し、独り立ちすることになり、ミュージカル俳優としてはミュージカル「MOZART!」でデビューしました。
ミュージカル俳優として活動を始め、今年で11年目になります。時間がたつのは早いですね。
ミュージカルをしながらもアルバムを発売し続け海外コンサートもしながら約17年間毎日一生懸命歌手としてミュージカル俳優として活動してきました。
音楽を始めたきっかけ
もともとは運動が好きで、野球をしたり、サッカー部にも入部し、運動選手になるのが夢でした。
家がとても貧乏で兄も一緒に運動をしていましたから、二人を運動に通わせるのは少し厳しかったので、僕より兄の方が体格がよかったんです。
運動は一人だけということになったので 僕は未練なく兄の方が背も高く、運動は体格の条件も大切なことを幼いながらも分かっていたので、また母が歌が上手でその歌を聴いて育ったので、僕も歌をやろうと思いました。
人より上手かな?と思っていました。運動を諦めて自然と「じゃあ僕歌手になる」と、子供だったので漠然と考えていました。じゃあ僕歌手になる。
未練なく運動は趣味にしました。
そうして初めてのオーディションに合格し練習生になり、東方神起でデビューしました。
実は中一のころSMという会社に入社しました。
当時は、最年少と謳い、中2か中3でデビューする予定でしたが、変声期が激しくて、普通は長くても一年半から2年ほどですが、僕は約5年間デビュー直前まで変声期が終わらなくて。
今振り返るとこう思います。
当時は不幸だと思っていましたが、変声期があったから東方神起のメンバーとしてデビューできたのではないかと。
災い転じて福となす、と感じています。
デビュー前の5年という時間
今考えるとそんなに長いかなとも思いますが、当時肌で感じるほど大きな期待をされていたのに、変声期のせいで準備してたプロジェクトが遅れ、僕よりも遅く入社した子たちが先にデビューしていきました。
今もそうかもしれませんが、アイドルのデビューというのは幼いほど利点がありました。
今考えると大したことじゃないのに、当時は辛かったです。
僕より遅く入社した子が先にデビューするのを見て、不安に感じたり、その不安が倍増したり。
変声期の終わりが分かれば精神的に不安が減ったでしょうけど、ただ終わるのを待つしかありませんでした。
一生終わらなくて歌手の夢を諦めなくちゃいけないのか、その不安が5~6年続き、その時期がとても辛かったです。
信じようと思いました。
僕がここで終わる運ではないという、ある意味自己催眠です。
不幸だと考えたら耐えられませんでした。
ポジティブな方なので自分を慰めていました。
ミュージカルとの出会い
歌手になる前はミュージカルを知りませんでいた。
授賞式などで、俳優さんがコント形式で面白く披露してくれる姿を授賞式で見て、楽しい世界だと思っていました。
ミュージカルは演技が必要ですが、基本はMUSICという音楽と歌があります。
もう少し大人になったら、歌手以外のものをやる日が来るならば、一番挑戦したいと思ったのがミュージカルでした。
そんなぼんやりとした考えで、丁度その時明知大学で、当時は公演芸術学科でしたが、現在はミュージカル学科になりました。
学生時代に一度挑戦していましたが、余談ですが明知大学ミュージカル学科第一期入学の首席入学でした。
光栄だと感じています。
ミュージカル学科が僕のスタートでもあるし、俳優の皆さんの中には明知大学ミュージカル学科出身が沢山いるんです。
現場でお会いすると、とても嬉しくなります。
「学校で見たよ」とか。「そうでしたか」と挨拶を交わしたり。
そのスタートを首席で・・・・(笑)
僕にとって家宝のようです。
特に教授だったイ・テウォン教授がミュージカル「エリザベート」で、俳優として同じ舞台に立てて、大変光栄でした。
とても不思議でした。学校で会ったら教授なのに、同じステージに上がり、それ自体が僕にとって原動力や発想のきっかけになりました。
明知大学ミュージカル学科を卒業しましたと聞くと、嬉しくなりますし、同窓への愛としいいますか、幼いころは分かりませんでしたが、、明知大学卒業したというと少し特別な存在と言いますか、自然とそうなってしまいます。
同じ道を歩んできた同志のような、そんな気持ちになって、そんな存在が心強くもあります。
絆を感じます。
ステージに上がる前の準備
作品ごとに順序や練習量が異なりますが、基本的には音楽の練習をします。
ナンバーのメロディから練習します。
ピアノ伴奏や音楽監督とともに、ナンバーを練習します。
メロディーを追って、創作劇や初演の場合は、台本作業と言い、台本のベースはありますが、そこに俳優や演出さんの考えなど疑問点を意見交換します。
同じセリフでも、俳優によってどんなふうに伝えたいかなど意見があれば劇の流れが変わらない程度で幅が与えられます。
そのような台本作業が同時進行して、シーン別に出演俳優が集まり、集中的にシーンの練習をします。
それには台本の熟知が必要なので、前日までに流れを覚えて、台本を持ちながら演技の練習をし、動線などさまざまなチェックをします。
シーン別なので、僕が出ないシーンは別で行われていて、練習室に三つに分かれて少しずつ作り上げていきます。
その過程が終わり、ランスルーを行います。
ランスルーとは、リハーサルのことですが、安全性の問題はないか、最初から最後まで切らずに俳優のミスや場面転換でミスで大きなミスが無かったか、最後まで本公演のように行うのがランスルーです。
それが終わると、一幕を通し二幕を通して練習します。
その次に一幕二幕を俳優を決めて通します。
そのあとは皆さんご存じのシーツプローブを行います。
(字幕)
シーツプローブ
公演前に俳優とオーケストラが息をを合わせて練習すること
シーツプローブをする時期は、練習室での練習は、ほぼ終わっている状態です。
シーツプローブは練習室での練習を終え、ステージにセットがセットアップされた時期に俳優はシーツプローブをしますが、その時初めてオーケストラと合わせます。
それまではピアノ伴奏で練習します。
すべての楽器をピアノで代替しているので、ピアノで聴いていたメロディがフルートやコントラバスやバイオリンで聴こえるフルオーケストラで合わせるシーツプローブを行います。
俳優もみんな驚きます。
初めて合わせる日は歌の入りも間違えるほど、すべての楽器をピアノで聴いていたのでフルオーケストラでは特殊音響もあるし、打楽器の場合もある。
フルートの場合もあり、ピアノの音に慣れていたので俳優としてもシーツプローブが大切な理由が実際に公演する時、こんな音楽で歌うんだと慣れなきゃいけません。
そして俳優が感動します。
フルオーケストラの演奏を聞いて、歌い方やイメージが変わる瞬間でもあります。
ピアノで想像していた歌がフルオーケストラの伴奏を聴いて、こう歌おう!と音楽的な完成イメージが具体化する日です。
そのあとは実際の会場でテクリハーサルを行います。
それまでやってきたステージの動線なども大きく変わります。
それまでも広さなど計算して練習していますが、実際のステージのセットが入ると、全く変わります。
登場や退場はどこからするか、照明と衣装も合わせ、映像音響特殊効果などすべてをテクリハーサルで合わせ、そのセットが終わると、公演と同じ本リハーサルを行います。
その時撮影したものが、プログラムブックの写真などになります。
本公演の前の本リハーサル、最終リハーサルで撮影した写真映像になります。
屋外広告などの映像ありますよね。
その日に撮影されたものになります。
そうして本公演が始まります。
大体この流れですね。
キム・ジュンスのWonderwall
Wonderwallは今回オファーを頂き知りました。
これまで撮影されたスターのWonderwallクラスを見ました。
何かな?と思い確認しましたが、一生懸命生きてきた人生を、整理したいときがあるじゃないですか。
それを日記ではなく映像で残す、撮影をしながら自分自身を振り返って映像で残す日記、または自画像のようなそのように捉えました。
ミュージカル俳優として10年が過ぎたこの地点で、今年11年目ですが、振り返る時間を作るのもよいなと思いました。
また、一度整理することでこれから進む道について明確になるのではと思い、喜んで参加したいと思いました。
Wonderwallを通して先ほどもミュージカルの過程を話しましたが、他のインタビューではこんな細かな話をしたことがないと思います。
ミュージカルの練習プロセスやミュージカルへの僕の気持ちや、ミュージカルごとの違いなど、ミュージカル俳優としての目標や願いなど、この映像で僕の気持ちを言葉にする時間になると思います。
ファンの皆さんも聴きたかったであろう、より深い話をお話しするのでお勧めしたいです。
とくにミュージカルを勉強している方や、ミュージカルを夢見る全ての方へ役に立つ映像になったら嬉しいです。
その方たちが見て、少しでも何かを感じる映像になったらと思い、撮影に臨んでいます。
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ここまで読んで下さり、どうもありがとうございました。
この記事は、Wonderwallでのジュンスの語りを記録しておきたい、読者の皆様にシェアしたいという思いで書き始めました。
動画は、21分ほどの長さです。
その日本語字幕を見ながら、「全日本タイピング連盟公認1級タイピスト」(←大嘘)の私が、ひたすら文字起こししました。
↑イメージ画像です
さて、この動画を見て感じたのは、ジュンスは、これまでになくたくさんのことを語ってくれたなあ、ということです。
ここまで語ることができたのは、動画のインタビュアーの方とジュンスとの信頼関係なのかなと感じました。
まず、始めの方の、なぜ歌手を目指すことになったか、の話の中で「スポーツが好きだったが家が貧乏だったので、兄だけがスポーツを目指すことになり、自分は諦めた」と語った場面は本当に驚きました。
えっ、そんなことまで話していいの?と。
また、期待されて練習生を続けていたのに、変声期が終わらなくてなかなかデビューできなかった時の辛さなどは、これまでも雑誌のインタビュー記事などで読んだことがある様に思います。
でも、今回の動画を見た時がが、一番心に刺さりました。
やはり文字ではなく、ジュンス本人の言葉として聴いたからだと思います。
韓国語だから、勿論話していることはほとんど理解できません。
それでも、やはり話している時の本人の表情、まなざし、口調、身振り手振りなどから伝わってくるものは大きいのです。
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この記事を通してWonderwallに興味を持たれた方は、ぜひ申し込んでみてくださいね♡
ではこれで〆ます!
今日も長文にお付き合いくださりありがとうございました!
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